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「よう、イサ。間に合ったか」


 結界に戻ると、サチェグの側でティアナは錫と共に眠り込んでいた。

 有間が血相を変えたのもつかの間、サチェグが笑って状況を説明する。
 酸与の鳴き声が聞こえてすぐティアナを術で眠らせたようだ。魔力を持つティアナが酸与に狙われかねないし、何より彼女が酸与の妖気に当てられて恐慌状態になってしまうと厄介だ。
 即座に判断し、サチェグはティアナを眠らせて鯨から借り受けた式を媒介に強固な結界を彼女の周りに展開したと言う。


「まさか、これから先に備えて借りといたイサの式が、早くも活躍するとは思わなかったが」


 彼が指を鳴らすと、何も無い空間が歪み、そこから一羽の烏が躍り出た。その身体に青い線が模様を描くように何本も走っているのは、結界の媒介にする為の術式だろう。
 烏は鯨の肩に停まる。鯨が手を伸ばすと自ら頭を擦り付けた。


「とにかく、ティアナは無事なんだね」

「ああ。だがお前らは? アリマが気付いた気配追った先でお前らだって見たんじゃねえのか、酸与」


 有間が首肯すると、サチェグはアルフレートを気遣わしげに見上げた。

 だが気丈にもアルフレートは「大丈夫だ」と。


「精神は乱れたが、今は何ともない」

「……そっスか。ま、今日はこのまま野宿するつもりでしたけどね。イサからの話も聞きたいし」

「そう言えば、思ったよりも早かったね」


 アルフレートを座らせ、有間はティアナの側に立つ。錫がよじ登ろうとしたのを首根っこを掴んで首に巻いた。温かい。
 鯨は目を伏せ、サチェグを見下ろした。


「周囲に人間の姿も無かったからな。気遣うことも無く結界で毒樹を覆い焼却した。毒気の除去法は、サンプルの研究を基に浄化をしたが……まさか、あそこまですんなり行くとはな」

「いった! 何で蹴るんだよ! 俺の中途半端な研究から浄化の方法を考案したのはお前だろうが。俺は思いつかなかったぜ?」

「それはお前が考えようとしなかったからだ」

「あ、バレてた」


 ぺろりと舌を出すサチェグに、鯨は苛立たしそうに溜息を漏らす。その内心、察して余りある。
 有間は苦笑いを浮かべて、天を見上げた。
 酸与が去ってから、山は来た時の状態に戻りつつあった。それに、少しだけ安堵する。


「まあまあ、これで毒樹の解決法が確立されたんだから良いじゃないか、我が弟子よ」

「殺す」

「殺(や)るなら結界の外でね。ティアナに血が付く」

「止めろ!!」


 サチェグが、相当な実力者であることを、ヒノモトに来て何度も何度も体感する。
 けれども《この》サチェグが基本なだけに、どうにも釈然としない。ムカつく。

 弟子と友人から冷たい視線を受け、サチェグはアルフレートに助けを仰ぐ。が、アルフレートは思案に耽っており、サチェグの言葉など耳に入っていなかった。
 有間が肩を掴んで揺すると、ぎょっとしてその腕を払い退ける。

 ややあって、我に返って慌てて謝罪してくる。払った手を掴んで撫でた。


「っ、すまない、アリマ。少し考え事をしていた」

「別に良いけど……大丈夫?」

「ああ。大丈夫だ」


 アルフレートは取り繕うように笑った。けれども、努めて作ったのが丸分かりである。

 されどそれを指摘したとて、この様子では誤魔化されるのがオチだ。
 有間はそれ以上は追求しなかった。妖気を間近で受けたのだから、あまり無理をしないようにと釘を刺してサチェグに視線をやった。

 彼は肩をすくめ、話をすげ替えた。


「ところで、さっきの酸与のことだけど。あれ元人間っぽいぜ? 酸与にしちゃモノホンとは気配がちょっと違ってた」

「まず本物の酸与の気配を知ってることが意外なんだけど」

「俺凄くない?」

「何処がどう凄いのか分かりません。で、それがどうしたの」

「さっき興味本位で占ってみたら里藤杵吉だった」


 さらりと、とんでもないことを言う。
 里藤杵吉――――ザルディーネで有間達に襲いかかったヒノモト五大将軍の一人だ。
 あの時の気持ち悪い話し方と顔にうげ、とえずく素振りを見せると、サチェグは首を傾けた。


「里藤と会ってんの? アリマ」

「ザルディーネでね。襲われた」

「あ……そう言やイサもそんな話してたっけ。あいつ、誰が会ってもトラウマになるよな〜。絶対友達いねえな」

「どうでも良いから。ってか、あいつが酸与とか……《ぽい》わ、確かに。ねえ、アルフレート」

「……そうだな。オレも、あの男は苦手だ。仮に味方となったとしても、側には置けないだろう。化け物になった今では、そんなことは有り得ないが」


 いや、化け物にならなくとも誰もが拒否するわ、あんな奴。
 有間は唇をひん曲げて嫌な顔をする。「そんな顔をするな」アルフレートは苦笑した。

 鯨は小さく鼻で笑い――――サチェグに指摘されて容赦無い蹴りを見舞った――――腕を組んだ。


「だが、里藤程の実力ならばまだ持った筈だ」

「思い当たる原因と言えば、《偽仙薬》シリーズだろー。あれまだ出回ってるし」

「ああ、あの霊力を膨大させるって言う、依存性のクソ高い奴……」

「やだねえ、何処でもハイになれる危険なオクスリは消えないんだから」


 サチェグはへらりと笑っておどけた。一瞬だけアルフレートを見やり、有間を呼んだ。


「んじゃ。アリマ。今日はここで野宿だ。ティアナちゃんが起きたらそのことを伝えといて。俺と鯨は、周辺で騒ぎ始めた雑魚を掃除してくるから。ああ、殿下も手伝って下さい」

「……オレが? だが、」

「ちょいと実験したいんで。被験者になってくれません? んな危ないことじゃないんで」


 アルフレートは首を傾け、了承する。

 立ち上がってサチェグに従う彼に、「気を付けて」と声をかけると、彼は笑って頷いて見せた。

 彼らの姿が木々に遮られ、有間はアルフレートが座っていた場所に腰掛ける。錫を膝の上に載せて頭を撫でた。


「大丈夫ちゃうやん。めっちゃ精神的ダメージ受けてるやん」


 あんだけの妖を前にして耐えていただけでも凄いことなのだから、無理しなくて良いのに。



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