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7
気配が一気に澱んだ。
有間は足を止め、周囲を見渡す。
天を仰ぎ眉根を寄せ、周囲を探る。
何かを見つけアルフレートの腕を掴んだ。
「ヤバいのが来そう。こっちに隠れられそうなとこがあるから」
「分かった」
急いで脇道に逸れ、岩と岩の透き間に身体を滑り込ませる。
アルフレートに抱き締められる形で息を潜め、外の様子を窺う。急速に密度と濃度を増していく妖気に冷や汗が流れた。
妖化した安平山の神よりは弱いが、強大な妖であることには変わり無い。
有間は息を呑み、アルフレートに目配せした。
抱き締めているが故、有間の緊張が彼にも伝わっている。それから、近付いてくる存在の不穏さを察したらしい。アルフレートも息を殺し、外の様子を警戒する。片手が、腰に差した双剣の柄に降りた。
その手を掴み、有間は首を左右に振る。人間の武力で相対しても勝てないと、無言で伝える。
アルフレートは顔を歪め、外を見やった。
「……何が、来るんだ」
「分からない。けど急に濃度を増した妖気は、尋常じゃない。サチェグのとこにティアナと錫を残して来といて良かっ――――」
――――た。
最後まで、言えなかった。
言葉を奪うかの如く、有間の身を襲った悪寒に、ひきつった悲鳴を上げた。
まるで冷たいたわしで全身の肌を強く擦られているかのようだった。痛くて寒くて――――不快な感覚。
外の様子を見たくない――――けども、見なくてはならない。
アルフレートよりも、自分の方が、妖を見慣れてはいる。まだ精神的には大丈夫な筈だ。
アルフレートを奥に追いやり、長巻を握る。
息を呑んで視線を上げた。
有間の目が《ソレ》を捉えたのと、一帯に影が落ちたのはほぼ同じ。
すぐ近くに降り立ったのは、鳥だった。
大きさは有間の背丈と同程度。
蛇のような身体に四つの翼に三つの足、そして頭には六つの目――――。
さんよ、さんよ。
さんよ、さんよ。
「さんよ――――酸与」
その姿を現すだけで国に恐慌を呼ぶ怪鳥。
この目で見るのは初めてだ。……出来れば、見たくなど無かった。
山そのものが酸与に恐れ戦き鳴動する。
所々から上がる悲鳴のような耳障りに重なる大音声は、この山に隠れる妖達だろう。
命乞いをしているようにも思えるそれに応えているのか。酸与は己の名前を呼ぶが如(ごと)金属音のような声で鳴く。
その姿を見るだけで有間自身も恐れに身体が震え出す。
アルフレートすら、声を発せずに呼吸を震わせる。
「こ、れは……」
有間は後退してアルフレートの手を掴んだ。強く握り締め、意識を強く持つように小声で言い聞かす。
「……アルフレート。なるべく、怖がらないで。あれは、そう言う妖なんだ。国に恐慌を呼び、災厄を巻き起こす。このまま飛び去るのを待とう」
「分かった……」
胸を押さえ、アルフレートは深呼吸をする。
アルフレートですらそうなのだ。
ティアナに近付きでもしたら――――自我が壊れかねない。
今すぐにでも結界の中へ戻りたいが、ここで酸与に見つかる訳にもいかぬ。こちらの実力でも難しいけれど、こんなにもざわめいた心境ではまともに戦えない。
ああ、なんて間が悪いんだ!
大声で叫んで鉛にしか鳴らない恐怖を吹き飛ばしたい。そんなことをして見つかったら叫ぶどころではなくなるけれども。
有間はアルフレートと共に隙間の奥へと移動した。
しかし――――。
隙間に、何かが飛び込んでくる。
有間は、ぎょっと目を剥いた。
‡‡‡
飛び込んできたのは犬だ。
だが、ただの犬ではない。
首を巡る亀裂から、赤い染みが広がっている。
切断したのをただ重ねただけの、確実に死んでいる筈の犬。だらりと垂れた舌に這う蛆虫(うじむし)は、そこだけでなく身体の至る所に見受けられた。
強い腐臭も、鼻腔を容赦無く犯した。
――――犬神。
有間は反射的に長巻で縦に犬神を斬り付けた。
妖刀のそれは、妖を容易く切断し、腐りかけたグロテスクな体内が本を開くように現れた。
うっとなって目を剃らすと、アルフレートが何かを察知して有間を奥へ追いやった。
直後である。
「――――あ、」
しまっ、た……。
隙間を見つめる、六つの目。
有間はまた反射的に今度は馬上筒を取り出し即座に発砲した。
酸与は顔を持ち上げる。特殊な弾丸はその頭部を掠めた。
「おいおい……何で見つかるかな……!」
酸与が首を隙間に押し込み、有間達に蛇に似た舌を伸ばしてくる。アルフレートの腕に巻き付き容赦無く締め上げるのを長巻で斬り落とした。
手で粘つくそれを剥がし、地面に叩きつける。
まるで蜥蜴(とかげ)の尻尾のようだ。
びたびたとのたうち回るそれに鳥肌が立った。
舌打ちしてもう一度、馬上筒を発砲する。
酸与は容易く避けた。
見つからない為にこんなところに隠れていたのに、見つかってしまったら圧倒的に不利じゃないか!
アルフレートが片方の剣を眉間めがけて投げつける。これも容易く避けられた。
酸与は、首を伸ばせばすぐにでも届くだろうに、なかなかそうしない。再生した舌をちろちろと震わせてちょっかいを出してくるだけだ。
アルフレートは焦りを滲ませて、
「……まるで、オレ達の足掻きを楽しんでいるかのようだな」
「なんっつー性格の悪い奴……!」
なぶる趣味がある妖とか勘弁してくれ。
ただでさえこっちは酸与の力で精神的ダメージが半端ないって言うのに!
歯噛みした有間は手袋を噛んだ。
その時である。
さんよ、さんよ。
さんよ、さんよ。
酸与は首を引き、翼を広げた。
何かから逃げるように、慌てた様子で飛び去っていく。
アルフレートが追いかけようとしたのを止め、有間は外の様子を窺った。
酸与は何から逃げていたのか、慎重に周囲を警戒しながら外に出た。
すると、目の前に黒い影が落ちてくる。
「あ……!」
「無事か」
真っ黒な影――――鯨である。
少しばかり疲れが滲んでいる彼は、飛び去る酸与を一瞥し、そう問いかけた。
有間とアルフレートは、ほぼ同時に吐息を漏らした。
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