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 急遽(きゅうきょ)、予定を変更した。
 毒樹が一本生えているのを、サチェグが関知したからだ。毒樹に近付いても平気な妖の錫に付近まで様子を見に行かせて、その存在を確認した。

 由々しき事態ではあるが、駆除する時間も惜しい。このまま遠回りをして避けて行くこととした。

 その為、悪路を強引に進むこととなり、その分闇馬にも余計な疲労を蓄積させてしまった。
 夕暮れになり、仕方なく野宿をすることとなる。

 有間は闇馬の様子を見るサチェグとティアナに錫を任せ、アルフレートと共に周囲の見回りに向かった。結界はすでに張ってあり見回りの必要はほとんど無いのだが、付近に少々気になる気配があったからだ。
 念の為アルフレートにも得物を持たせ、自身も長巻(ながまき)を片手に結界を出た。


「二手に分かれるか」

「いや、場所は分かってるから。こっから西――――この先足場が悪そうだから気を付けて」


 鬱蒼と生い茂る獣道に分け入ろうとしたのを、アルフレートが止めた。


「お前は後ろに。オレが前を歩いて草を切り払おう」

「ありがと。助かる」


 片手を挙げて横に退くと、アルフレートは双剣で草を切り払い獣道の入る。足下を確認しながらになる為、歩みはゆっくりだ。
 有間は周囲の様子を窺いながら、アルフレートの後ろについた。時折見かけた妖については、有間が対処した。

 途中何度か方向を違えそうになったのを正して辿り着いたのは、洞穴だ。洞門に禍々しい気を纏うモノがうずくまっている。
 有間はアルフレートの前に立ち、それに慎重に歩み寄った。

 それは間近で見ると、人のようだった。
 髪の長さと身体の細さから察するに女だろう。
 二歩程の距離を取って片膝をつき、有間は彼女に話しかけた。


「……もし、そこのお方。如何(いかが)なされました」

「……」


 反応は……無い。
 死んでいるのか、妖化しているのか――――。
 有間は目を細め、立ち上がって長巻の切っ先を丸まった背中に向ける。後者であるなら非常に危険だ。結界があっても解けた瞬間に襲って来かねない。

 見つけた以上、妖化する前に、人として殺してやらなければなるまい。
 有間は目を伏せ長巻を振り下ろした。背中から胸を貫いた。
 鈍い音と、堅い人肉を貫く感触に鳥肌が立った。
 奥歯を噛み締め目を堅く瞑る。引き抜き、後退した。

 妖化した女が力無く横臥し、虚ろな横顔が見える。
 まだ若い。見た目で計ればゲルダと同じ歳くらいだろう。
 赤い血のような涙を流した彼女は――――笑っていた。

 穏やかだ。
 東雲朱鷺の安堵したような、喜んでいるかのような微笑。
 一瞬だけ重なって、有間は息を詰まらせよろめいた。
 アルフレートが支えてくれなければ、座り込んでいただろう。

 アルフレートが顔を覗き込んできた。彼の顔もやや強ばっている。あれが人間だったのだと、女が倒れて初めて気付いたようだ。
 だからと言って、咎めようとも別の方法が無かったのかと問いかけることもしない。
 有間の手に己のそれを重ね、感触を打ち消すように握ってくれた。
 それに甘えて、深呼吸を繰り返し頭から東雲朱鷺を追い払う。


「……アリマ、大丈夫か」

「平気……殺す瞬間、妖気に当てられただけだから」


 咄嗟に嘘をつき、体勢を立て直す。
 帰ろうと彼の背中を押してその場を離れようとすると、不意に妖化した女から聞こえる筈のない声が聞こえてきた。


『……さん……』

「……アリマ」


 アルフレートが警戒して有間の手を引き距離を取る。有間も、長巻の柄を握り直した。直後、先程の感触が蘇り息が止まる。


『姉さん……姉さん……』

「……アルフレート、ゆっくりと離れよう。まだ辛うじて人間のまま殺したけれど、念の為。呪いになるくらいの未練があるかも分からないし」

「人間のまま……殺してしまったのか」

「これで良かったんだよ。さ、行こう」

「……分かった」


 危険な臭いはしない。
 けれど油断も出来なかった。
 じり、じり、とお互い息を殺して離れていく。


『何処にいらっしゃるの……姉さん』

『母さん達を、見つけたのに……家族皆生きていたのに……』

『今度は姉さんが……見つからない……』


 女の声に抑揚は無い。
 が、悲痛な思いがその単調な声を通して伝わってくる。
 有間は吐息を漏らして足を止め、アルフレートに目配せした。

 その場に座り込み、何事か詠唱を始める。
 すると急速に彼女の身体から禍気(まがき)が逃げるように霧散した。
 かと思えば、女の身体が自ら発火した。赤い炎が浄化するように女の身体を包み込む。

 有間はすぐにアルフレートの手を引いて歩き出した。

 燃えている中でも、女の声は続く。
 しかし、その全てを有間は黙殺した。聞いたとて、どうにもならないから、どうにも出来ないから、放置するしか無い。
 炎に燃やし尽くされれば、きっと彼女も解放される。

 獣道を戻り、有間はほうと吐息を漏らした。


「アリマ。あの女性は、」

「……妖化してた人間。ぎりぎり人間でいられていた、ってところだね。もう少し殺すのが遅かったら、自我は無くなってただの化け物になってた」

「……」

「アルフレート。何そんな顔してんのさ」


 有間は苦笑する。
 こちらはもう普通でいるのに、アルフレートだけは痛そうな顔をしていた。
 殺した、からだろうか。
 肩をすくめてサチェグ達のところへ戻ろうとすると、その手をアルフレートが掴む。


「アルフレート?」


 アルフレートは真っ黒な有間の手を持ち上げ、徐(おもむろ)に顔を近付けた。
 何をするのかと思えば、掌に口を付ける。

 有間は思ってもいない行動に一瞬だけ反応が遅れた。


「……、んなっ」


 咄嗟に離そうとしたが、アルフレートはがっちりと掴んで離さない。


「な、何して……」

「……せめて、感触だけでも消してやれれば……」

「は?」


 アルフレートは少しだけ顔を離し、眉間に皺を寄せた。


「……オレが、彼女を殺してはいけなかったのか」

「アルフレート」

「友人を殺そうとしているお前の代わりに、オレが」

「……」


 邪眼のある場所にキスをして、アルフレートは有間に視線で問いかける。

 有間は目を細め、首を左右に振った。


「君はファザーンの人間だ」


 そう言って彼をやんわりと剥がす。


「妖に憑かれる可能性もある。ああいうのは、うちやサチェグに任せていれば良い。気遣ってくれるのは嬉しいけどね、君が優先すべきは弟のことだ。うちが誰かを殺す殺さないは気にしなくて良い。……どうせ今更、一人殺すも二人殺すも、そう変わらない」


 最後の言葉が嫌に無機質に、冷たくなってしまったのに、ちょっとだけしまったと思ってしまった。

 アルフレートが悲しげな顔をしたのに、胸が痛む。
 あのように言ってもらえることに、嬉しくなかった訳ではない。ティアナも、アルフレートも、マティアス達だって山茶花を殺すつもりでいる有間を気遣った。
 それを拒むことで、自分達の関係に、以前は自らを守る為に作っていた溝が再び生まれてしまうのが怖い。特に、ティアナとの関係が崩れてしまうのは、何よりも。

 それでいながら、有間は謝罪はせず、アルフレートの手を引いて今度こそサチェグ達のもとへ戻った。

 アルフレートを、もう振り返れはしなかった。



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