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「あー、とうとう見つかっちまったのか、そいつ」


 残念だったな、ティアナちゃん。
 戻ってきたサチェグは、苦笑混じりに言った。

 しゅんと肩を縮めたティアナの隣に立って、有間はすねこすりの首根っこを掴んでサチェグに突き出す。サチェグが抱き上げぶらぶらと揺らして遊んだ。

 その様を見つめながら、有間は疑問をぶつける。


「こいつ何で凶暴化してないのさ。妖気も、すねこすりにしたって弱すぎる」

「つい最近まで誰かの式だったんだよ。まだ人間の霊力が身体に残ってるし、ここまで太極変動の影響を受けてないとなると、相当な強さだったんだな」


 ……だから、出て行く時は言及しなかったのか。
 すねこすりは尻尾を左右にゆったりと揺らし、両手をサチェグに向かって伸ばそうとする。サチェグが笑うと尻尾の揺れる速度が速まった。


「神と密接な繋がりを持つ巫女と違って、強い術士は何とか保っていられたようだが、こいつの主人はもう限界を迎えたんだろうな。で、こいつだけが何とか生き延びてるって感じ」

「となると、こいつもじき凶暴化するってことか」

「そうだな」


 馬上筒を取り出すと、ティアナがぎょっとする。


「こ、殺しちゃうの!?」

「弱いとは言え妖だもの。凶暴化してどうなるか分かったもんじゃないよ。今のうちに殺してやるのが親切ってもんでしょ」


 狂ってかつての主人のことを忘れてしまうよりは良い。
 すねこすりの後頭部に銃口を押し当てると、ティアナが慌てふためいて止めてきた。

 だが、


「ティアナ。ここはヒノモトだ。ここは、アリマ達の判断に委ねるべきだろう。憐れに思えても、それ以前にオレ達はヒノモトのことをほとんど知らない」


 アルフレートが、静かに諭す。自分達がヒノモトのことを知らないと自覚している上で。

 ティアナは引き下がらなかった。


「で、でも、この子凶暴化しないかもしれないでしょう?」

「いや、確実にするだろう。妖が一番強く影響を受ける。こいつはただ、運良く凶暴化が遅かっただけさ」


 サチェグは目を細め、すねこすりを見据える。
 ふと何かを思いついたように掌に拳を落とした。


「そうだ、アリマ。こいつお前の式にしたらどうだ?」

「やだよこんな弱いの。何の役にも立たないじゃんか」

「いや、弱けりゃ弱いなりに役に立つ。俺に考えがあるから取り敢えず式にしてくれ。あ、俺は式は取らない主義だから」

「おいコラ」


 サチェグは肩をすくめた。

 有間は嘆息して銃口を離し、サチェグからすねこすりを抱き取った。

 すねこすりは大人しい。人懐こく、有間の腕の中でじっとしている。
 主を喪(うしな)い、人肌を求めていたのかもしれない。
 目を伏せて脱力すらしている。
 有間は無言ですねこすりを見下ろし、目を細めた。

 サチェグに何の考えがあるか分からないが……彼は鯨の師匠。鯨も認めている程の邪眼だ。


「……しゃーないか」

「本当!?」

「ティアナ五月蠅い速攻黙れ」

「……すみませんでした」


 ぎっと睨めつければ肩を縮めて口を噤む。

 アルフレートがサチェグと苦笑いを浮かべ合った。

 有間は渋面を作り、すねこすりを地面に降ろした。
 きょとんと見上げてくるすねこすりの頭を撫で、


「お前、うちの式になる?」


 きゅう、とすねこすりは鳴く。
 それは拒絶ではない――――と、思う。

 有間は片手の手袋を取り、すねこすりの上に翳(かざ)した。


「名前はどうするんだ」

「毛だ」

「毛玉は止めろよ。可哀想すぎる」

「……ちっ」


 すねこすりは犬のように尻尾を振って待っている。一度は式をの儀式を受けたのだ、今から有間のすることが分かっているのだろう。邪眼を恐れる様子も無く、急かすように鼻を寄せ手首をつついてくる。

 有間は細く吐息を漏らし、少し考え込んで何事か呪文を呟いた。
 そして、囁くように、


「――――汝(な)に名を与うる。汝が名は錫(すず)」


 すねこすりの額に字が浮かぶ。淡い光のそれは《契》という感じを崩して模様にしたもので、すねこすりが跳ね上がると同時にすうっと溶け込んでいった。
 邪眼を手袋で覆い隠す。

 ティアナは安堵してすねこすりを抱き上げようとしたのを、すかさず首根っこを掴み上げてティアナから離した。


「あっ、どうして……」

「ティアナちゃーん。……うちに言わなきゃいけない言葉があるよね?」

「え……」

「あ る よ ね?」

「……」


 ティアナは口端をひきつらせる。
 有間はにっこりと笑って彼女を威圧した。誰の所為だと無言で責めた。

 ティアナも勝手な行動をしたのだと自覚があるようで、神妙に縮こまり、有間に向かって深々と頭を下げた。


「大変申し訳ありませんでした……ありがとうございます、アリマ様」

「よろしい。んじゃ、こいつスカートの下に入れてろ」

「ちょ、」

「さっきまでしてただろてめぇ。何ならどんなに可愛くても妖を拾おうなんて考えないように一人外に出してやっても良いんだからな」

「アリマ……そこまでにしてやってくれ。彼女の性格は、お前が一番知っているだろう」


 アルフレートが取りなすのに、サチェグはしかしふと表情を厳しくした。


「……けど、さすがに、今回のティアナちゃんの行動は今後続くと問題だな。まだこいつが凶暴化していない害の無い妖だったから良かったものの、ヒノモトに対して詳しくもない上に妖の対処方法もろくすっぽ知らないティアナちゃんがほいほい妖を保護して、それが俺達の身の危険と時間浪費に繋がったら、ディルク王子も助けられなくなっちまう」

「あ……」

「ティアナちゃん。可愛いとか格好良いとか美しいとか、そんなんで妖が安全か否かなんて分からないんだよ。むしろ人間が惹かれる姿をしている方が恐ろしい。多分、ティアナちゃんのその笛は、妖には効かないだろうな」


 錫が使えそうな式に繋がったのは本当に結果オーライだ。
 サチェグの言葉に、有間は大きく頷いた。有間が疑問に思うくらいに、錫は危険性が無かった。それは彼が元強い術士の式であったからだ。これは偶然でしかない。
 もう次は無い。これは確実なことだ。

 サチェグは穏やかに、ティアナに言い聞かせる。


「これはもう、今回限りにしてくれ。自業自得でも、あんたに何か遭ったら俺らがマティアス陛下にどやされる程度じゃ済まない。連れて行くって言ったのは俺だが、ティアナちゃん自身危険に飛び込むような真似をされたら、俺だって満足に守れってやれないって。しかもそれが可愛い妖を見つけたから〜、とかさ」

「……ごめんなさい」

「殿下も気を付けて下さいよ。この先人を惑わす妖が出てくるだろうし。あまりぐらぐら揺れてるとあっという間に胃袋の中ですから。お二人に出来る回避方法は先に進みながら教えて行きますんで」

「ああ。頼む」


 だからこそ、有間もヒノモトに入ってから一層の警戒をしていた。
 人間の脛をこする以外にすることの無い妖だとしても、この太極変動でどう変化しているのか予想がつかないのだ。
 ティアナとアルフレートは必ず無事で帰さなければならない。
 危険は出来うる限り回避すべきだ。

 ティアナにもう一度堅く注意してからすねこすりを押しつけ、有間はサチェグに向き直る。


「サチェグ、外の様子はどうだった。今から出立出来そう?」

「ああ。闇馬も無事。また奴が来る前に出た方が良さそうだ」

「分かった。じゃあ、先に行こう」

「了解。んじゃ、闇馬のとこに行くまでに、妖講座でもしましょうかぃ」


 サチェグは外の様子を確認し、一足先に外に出た。
 瞬間、足下に飛び込んできた小鬼を踏み潰し、袖の下から出した短刀で腐りかけた鳥型の妖の首を斬り落とした。



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