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到着した滞閉は無惨な有様だった。
逃げまどう人間達、人間(えさ)を追う妖達。
崩れ落ちた家屋からは押し潰された住人が息絶えたそのままに放置されている。
道にも修験者、旅人、商人、食い散らかされた遺体が打ち捨てられていた。
人間の悲鳴と妖の歓喜の声に満たされた宿場町は、かつての賑わいも失われていた。
有間はよろめいたティアナの背中を撫で、険しい顔で見渡す。
これは、寄らない方が良さそうだ。
サチェグとアルフレートに目配せし、妖達の目に触れる前にと身を翻した。
が、サチェグが顔色を変え、三人を近くの空き家へ引きずり込む。素早く結界を張った。ティアナを抱き締めアルフレート達に人差し指を立てて息を潜めるように指示を出す。
彼の不穏な顔に、有間も黙って従う。
壁の隙間から外の様子を覗いてみると、直後にずしんと大地が揺れてアルフレートに抱き寄せられた。有間の頭があった場所に、天井の板が落ちた。
巨大なモノが歩いているかのように、一定のリズムで地震が起こる。
サチェグを窺うと、彼は表情を強ばらせて、らしくなく緊張していた。
毒樹の群生地を見てもここまでなかったのに、だ。
有間は怪訝に眉根を寄せ、今度は天井に注意して再び穴から隙間を覗き込んだ。
そして――――言葉を失った。
な……んだよ、あれ!
有間は愕然とし、サチェグを見た。
サチェグは口角をひきつらせ、頷く。
青ざめた。
もう一度隙間を見て息を呑む。
巨大だ。
遠くに見えるそれは、とても巨大で――――見覚えがあった。
牛の頭に蛇の首、人間の胴体は剛毛に覆われ、太い腕は異様に長い。
背中から生えた鷹の翼は広がり滞閉の街に大きな影を落とした。
文献に見る、安平山(あんぺいざん)に祀られた光の男神の子供の姿ではないか!
しかし、今見るその姿は酷く禍々しい。
手を伸ばしては人間や妖を掴み、口の中へ放り投げる。
どうなってる!?
男神の子供なる神が、どうして人と妖を喰っている! どうしてあんなにも邪気を放っている!
これが太極変動の影響なのだろうか。
おいおい……冗談だろう。
ヒノモトの神すらも巻き込まれて堕ちたとか!
どんだけ危険な状態になっちまってんだよここは!
暫く食事を楽しんでいた邪神は、ゆっくりと歩いて安平山へと戻っていった。
頭が建物に隠れて見えなくなった辺りで、サチェグは大仰に溜息をついた。
「……あー……マジ勘弁してくれよ。安平山の主まで妖化してるとかさ〜……」
「ああ……やっぱそうなんだ」
二人揃ってまた嘆息。
その様に、ティアナが有間の袖をちょい、と引っ張った。
「ねえ、今の大きな動物って……」
「この近くの山で丁重〜に祀られてた非常に有名な神様。邪神って言うか、妖に変わってる。ここに来るまでに沢山見た妖よりも、めちゃ強レベルみたいな。あれ見つかったら……やっぱヤバい?」
サチェグは大きく頷いた。
「おお、ヤバいヤバい。超ヤバ激ヤバ。俺達みたいな邪眼は格好の餌食だわ」
「だよねぇー……」
有間は後頭部を掻き、立ち上がって格子戸から外の様子を窺う。
妖も人間も、多分さっきので隠れているんだろう、悲鳴も聞こえないし、姿も見えない。
「今日一日……離れられる?」
「離れられはするだろ。夜にでも出れば」
「夜って……妖超元気になるじゃん」
「昼もあんま変わらない状況ですけど? っていうか、これから進めば進む程もっと酷くなると思いますけど?」
「そうでしたねすみません少ないながらの希望を持ってまことに申し訳ございませんでした!」
両手を挙げると、再び地震。
一際力強い振動にバランスを崩し、アルフレートに倒れ込んだ。
「大丈夫か?」
「ん……何とか。……何で離れてんのに地震強くなってんだよー……」
「望み谷を飛び越えたんじゃね? あれ深いし幅もかなりあるし」
「谷に落ちて死ねよ」
「ま! アリマちゃんったら神様になんてことを!」
「どの口が言う」
「この口が言う」
下らないやり取りをして、ひとまず外の様子を見て来ようとサチェグが空き家を出ていった。
残された三人は、とにかく妖達の襲来に注意して、サチェグが戻ってくるのを待つ。
「……ヒノモトに入ってすぐ、あんなモノにご対面とか……マジ勘弁だわ」
「ヒノモトは元々こちらの常識は通用しない部分が多いと聞いていたが……太極変動の所為か、まるで誰かの空想の中にいるようだな」
「誰かの空想ならまだ救いはあるよね。……この現実には無いけど」
アルフレートの感想に、有間は苦笑して肩をすくめた。
実際、誰かの空想であるならどれだけ有り難いか。
ここに来るまで、ヒノモトの状況を軽く見ていたのだと身に染みて分かった。
救いなんて、今のヒノモトには僅かにも無いのだった。
「ディルクは無事なんだろうか……」
「竜が暴れていないのかどうかもこれじゃあ分からないから、現時点では何とも言えないね。中央から逃げてきた人と会えたりすれば、或いは分かるかもしれないけど。ま、今はともかくディルク王子を捜すことだけを考えよう。ディルク王子を先に保護しておけば……山茶花も来ると思うから」
アルフレートの肩を叩き、有間はじとりとティアナを睨めつける。
びくりと身体を強ばらせた彼女は、スカートを押さえ込んで取り繕うように笑った。
「……な、なに? アリマ」
「……アルフレート、ちょっとティアナに背を向けておいてくんない?」
「? 分かった。……こうか?」
「そうそう。何があってもこっち見ないでね、絶対に」
有間はずかずかとティアナに歩み寄り、思い切りスカートを捲り上げた。
「きゃあぁっ!?」
「……さっきから微っっ妙に妖気がすると思ったら……!」
ティアナはスカートの中から首根っこを掴んでそれを持ち上げる。
毛むくじゃらな獣だ。つぶらな瞳が何とも愛くるしい。
まさに、ティアナ好み。
サチェグも気付いていただろうに、害の無い妖だから放置していたのだ。
有間は叱られた子供のように小さくなるティアナを見やり、吐息を漏らした。
「……すねこすり、か」
きゅう。
毛むくじゃらの無害の妖は、小さく鳴いた。
その妖まとう妖気の異常な弱さに、有間は眉根を寄せた。
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