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 ……酷い有様だ。
 有間は眉間に皺を寄せ、その一帯を見渡す。
 穢(けが)れている。
 思っていた以上に穢れている。
 アルフレートもティアナも愕然とし、その光景から目をは離せないでいる。

 有間は鯨を見やり、指差した。


「どのくらいの規模か分かる?」

「……ファザーンとヒノモトを跨いで半径二里といったところか。まだ生えたばかりで、俺の術で枯らせそうだが……」

「っつーことは半径だけでおよそ八キロ弱……相当広がってるな。結界で覆うだけでもかなり手間がかかる。何千、何万の毒樹が生えているのか……」


 サチェグが顎を撫でながら言う。
 彼の術により、五人は鼻を塞がずともこの危険地帯に侵入が可能である。もっとも、あんなおぞましい光景に死んでも近付きたくはないが。

 元々は森林だったらしいその一帯は、一言で言えば《ドロドロ》だった。

 森林はドロドロとした粘液が滴る葉の無き若木、ドロドロとした液体が乗っかる草花――――毒樹ばかりだ。
 ドロドロ。
 何もかもがドロドロ。
 気持ち悪いくらいにドロドロ。
 そして気が遠退きそうになるくらいに臭い。
 毒樹の群生する様を、生きてこの目で見ることが出来るとは思わなかった。……全く、嬉しくもなんともないが。

 これ……どうにか出来るの?
 鯨を見やるも、彼の目は思案の海に深く沈んでいる。すでにこの森への対処を考えているのだ。
 一人で大丈夫なのか、そう思っているのは有間だけではないと思う。
 けれど毒樹のことはサチェグよりも鯨が適任であると、サチェグ本人が言うのだから、彼に任せる他無いのだ。


「イサ。ここは任せるぞ」

「……ああ」


 鯨は有間を一瞥するとアルフレートとティアナに目を向け、拱手(きょうしゅ)した。
 有間の頭を撫で「処理が終わればすぐに合流する」と言い残す。

 サチェグは鯨に歩み寄り、掌を軽く持ち上げてそこに一冊の本を出現させた。
 それを弟子へと投げ渡す。


「俺の研究ノート。毒樹に関しちゃお前に劣るが、お前よりももっと過去の記録だから少しは参考になるだろ」


 鯨は本を受け取りつつ、きっと師を睨めつけた。


「……どの口が言う。我が師が俺の下であったことなど、一度も無かっただろう」

「おいおい。買い被るな。俺の研究はお前みたいに継続してねえよ。ぽっと興味があったから調べてただけだし、念入りって訳でもない」


 サチェグが片手を挙げ謙遜する。
 鯨は長々と嘆息し、無言で毒樹の方へと向かう。

 有間を頼む――――とは敢えて口にしなかった。

 サチェグは、恨み辛みで澱んだ未知の病原体の巣窟へと弟子の背中を見送り、有間の頭を軽くはたいた。


「んじゃあ、お三方。ヒノモトに参りましょうか。鯨なら、毒樹相手にしくじることも無い」

「ああ。……アリマ?」

「……いや、何でもない」


 有間は鯨から目を離さない。無表情に見つめ、目を細める。
 それに、心配になったティアナが手を握ろうとするとそれよりも早くに歩き出した。


「親父が心配か?」

「……そんなんじゃないよ」


 ぶっきらぼうに言う有間に、サチェグは笑った。
 鯨が実父狭間ではなかった事実に戸惑っていた彼女も、それなりには落ち着いて受け入れ始めているようだ。
 元々有間は両親を知らないのだ。有間にとっての身内は鯨だけであり、今更それを気にする必要も無い。
 鯨が有間の父親。その方が、彼女には良い。どうせ、本当の両親にはもう会えもしないのだから。

 サチェグは有間の頭をぽんぽんと軽く叩くように撫で、大股に歩き出した。
 闇馬を呼び寄せ、自身の術で作り上げたそれを消し去る。


「ティアナちゃんは俺と、アリマは殿下と相乗りでOK?」

「あ、はい」


 先に乗馬したサチェグに引き上げられたティアナは、ちらりと毒樹の森へと目を向ける。それから、有間へと。

 有間はもう頭を切り替えたらしい。
 彼女はさっさと闇馬に乗ってアルフレートを後ろに、いつでも出立出来る状態だった。


「殿下も、ティアナちゃんも、ヒノモトに入ったら相当数の化け物が視界に映るかも知れないんスけど、ことごとく無視して下さいよ! あの手のもんはたまーに意識向けるだけでも十分危険な奴がいるんで!」


 言うが早いか、サチェグは闇馬を走らせた。ティアナを抱え込むように手綱を握り、周囲の様子を窺いながら国境を走り抜ける。
 有間も後ろに続いた。

 国境を越えた瞬間から有間もサチェグも、空気が変わったのを肌で感じた。

 これが太極変動。
 精神的に揺さぶられて否が応にも不安を生じさせる。

 触れたほんの一瞬で異常だと分かる母国に、有間は歯噛みした。
 この空気は、確実にディルクの竜に影響を与えているだろう。
 暴走するまでに彼と合流出来れば良いのだが――――。

――――と、ティアナがひきつった悲鳴を上げた。

 何事かと思って、すぐに納得する。
 目の前に無数の妖がいたのだった。
 腹が異常に膨れた子供のような――――餓鬼の群だ。恐らくは近くの村が死に絶え、そこで食事にありついていたのだろう。次の獲物を見つけたと、こちらに凶暴な食欲の矛先を向けていた。

 サチェグは片手を挙げ、指を鳴らす。


『墨崩れ』


 邪眼一族の言語で言い放つ。
 瞬間、餓鬼は黒に染められ墨のように地面に広がっていく。やがて土に浸透し、黒すらも無くなった。

 そこを通過し、また別の妖を見つける。小型で鳥型のそれは、有間が馬上筒で撃ち落とした。


「サチェグ!」

「言いたいことは分かるが、俺に聞かれても詳しいことは分からん! けど多分ディルク王子の竜の影響だろうとは思ってる!!」


 会話が出来るのは有間とサチェグのみ。
 外国育ちの二人には、まだそこまでは難しいようだ。
 サチェグは有間に目配せし、片手を横に伸ばし袖の下からナイフを落とした。真っ黒な刀身のそれで、血肉を求めて襲いくるであろう妖に備える。

 ディルク殿下のもとに行くまで、妨害が入らなきゃ良いんだが。
 心中で、ぼやく。



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