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 一週間の準備期間の中。
 悲劇は起こっていた。


「もう、アリマったらどうして言ってくれないのかしら。メーキャップは私達に任せてくれれば良いのに」


 舞踏会当日。
 ティアナの自宅に押し掛けてきた客人に有間は青ざめた。
 この一週間のうちに、彼女達に話が漏れてしまったのだ。

 悪魔――――ではなくて、小劇場の歌う花、サニアに。
 身形を整えたクラウスや鯨と共に押し掛けてきた彼女らに有間は口端をひきつらせた。
 ココットはうきうきとメイク道具を抱えて可愛らしい笑顔を浮かべている。が、サニアは……腹の色が顔面に滲み出ている笑顔をしている。
 後退した有間を止めたのは、非情にもロッテである。


「良かった。小劇場の人達なら大丈夫ね。私はティアナの着替えを手伝うから、アリマは彼女達に手伝ってもらってね」

「ちょ、待って! ロッテうちを見捨てないで!」


 伸ばした手は、後ろからサニアに捕まれる。


「さぁ。行きましょうか。大丈夫。ヒノモトの着物の着せ方はしっかり頭に叩き込んできたから」

「……あい」


 あ、うち死ぬんだ。
 身の破滅を、はっきりと感じた。



‡‡‡




 有間の絶叫が聞こえていたのはつい先程までのこと。
 いつしか落ち着いた二階に吐息をこぼし、マティアスは焦れったそうに扉を見やった。


「おい、二人の準備はまだ終わらないのか」


 待ちくたびれた風情の彼に、クラウスは冷たい一瞥した。


「お前が気にすることではないだろう。城への案内は俺がする。さっさと一人で先に行ったらどうだ?」

「法王陛下に頼んで彼女を招待したのは俺だ。俺がエスコートするのは当然だろう。アリマも、アルフレートがエスコートするだろうしな。お前こそ、城で法王陛下のお守りでもしていた方がいいんじゃないのか?」


 揶揄して笑う。
 明らかな挑発にクラウスは眦をつり上げた。


「まぁまぁ、そう焦んなって。オレがちょーっと様子を見て来てやるからさ」

「あ、そんじゃあオレもー!」


 ルシアとシルビオを、アルフレートが叱咤した。


「おい待て、二人とも! 婦女子の支度というものは、何かと時間がかかるんだ。邪魔をせずに、ここで大人しく待っていろ」

「そうだよ。だいたいそんなことを言って、彼女の着替えを覗く気なんでしょ」


 エリクの眼差しは氷の如く、二人を軽蔑する。
 これに、ルシアは即座に弁解した。


「なっ……そんなことしねーよ! 後どのくらいで終わるか、聞こうと思っただけで!」

「いや、オレは覗く気だったけど」


 けろりと言うシルビオに、ルシアはぎょっとした。


「はあ!? お、お前、何を開き直って……!」

「まぁまぁ、こういう時は、男らしく堂々と行こうぜ!」

「そういうのは男らしいって言わねーんだよ!」

「……言っておくが、結界を張っている為に、二階の廊下に上がれば即座に灰になるぞ、猫」


 鯨が低い声で静かにシルビオを睨めつける。
 シルビオは、未だ鯨に恐怖を抱いているらしい。途端に青ざめ口を閉じた。

 鯨は嘆息して目を伏せる。忍びやすい黒一色の身形であった彼も、今は招待したマティアスの評価を下げることの無きよう、こちらの文化に合わせた衣装を身にまとっている。以前ルナールにてハンネスに無理矢理持たされた物だと言う。今回初めて袖を通す。

 有間はヒノモトの未婚女性であることから、肌を晒すドレスは忌避し、ヒノモトの姫の召し物をクラウスが入手した。
 一人ヒノモトの正装となる為に浮いてしまうが、そこはアルフレートが彼女の傍を離れなければ良い。彼にも、鯨からそのように言っていた。

 待てと言いながら、何処かそわそわとしているアルフレートを瞥見し、鯨は扉に目を向けた。足音がする。

 ノックの後に入ってきたのはロッテだ。至福の笑顔を浮かべながら、


「お待たせしました〜!」

「っ……!? ついに、支度が終わったのか」

「はい! アリマも、すっごく綺麗になっていましたよ。……あ、ほらほらティアナ、恥ずかしがらないで、出てらっしゃいよ!」


 開け放たれた扉の向こうに、白いドレスの一部が、見える。だが、一向に出てこようとしない。
 ロッテが戸惑うティアナの腕を引いてリビングに引きずり出した。

 その場の空気が凍り付いたのが、鯨にもはっきりと分かった。

 ティアナは集まる視線に恥じらいながら、上目遣いに皆を見回した。


「こ、こんな感じなんだけど、どうかな? ドレスを着るのは初めてだから、なんだか落ち着かなくて……」


 茫然自失と言葉を失う男達に、ティアナが助けを求めるように鯨を見る。
 鯨は暫し沈黙し、


「衣装は白いが……桃笠姫のようだな」


 と、かけてやった。

 ティアナは首を傾けた。


「えと……モモカサ姫?」

「嘗てヒノモト一の美女と謳われ、世の男という男を虜にしてきた姫の名だ。たった一人の男を一生をかけて守り愛し抜いた貞女でもある。ヒノモトに於ける理想的な女性で、桃笠姫に例えられるのは女性にとって最上の褒め言葉だと思ってくれて良い」


 それなら、他の貴族にも劣らぬ淑女だろう。
 照れも無く無表情に言えば、ティアナは途端に顔を真っ赤にする。
 俯く彼女に、マティアス達はまだ見とれている。アルフレートも彼女から視線を離せないようだった。
 呆れつつ、鯨は廊下に出た。

 階段からサニアに連行されてくる有間を見上げ、目を細める。


「こちらは、白良姫(はくらひめ)か」


 白良姫は人々の間で勝手に作り上げられた、桃笠姫の妹である。夫をひたに守り愛す姉を、その身を神に捧げて守った色を持たない白の美しい姫。桃笠姫が孤独の身の上であったことに対する憐憫と、白は神の色という言い伝えから加味された作られた存在ではあるが、これも美談として姉を持つ女性達の憧れでもある。
 白良姫のことを知る有間は、むっとした表情で唇を尖らせて何か言おうとし、しかしすぐに気まずそうに顔を逸らした。

 その露骨な態度に、鯨の胸が痛まない訳ではない。


「……ってか、中騒がしくない?」

「ああ。ティアナ殿が完全に桃笠姫になっている。アルフレート殿下も、今は彼女に釘付けらしい。……まあ、主に胸元だろうがな」

「あんたは平気だったんだ」

「生憎と、昔から淫欲とはかけ離れているものでな」


 鯨が持つ欲求とすれば、果てを知らぬ知識欲くらいか。
 恋愛などには全く興味を持たない為、そういった欲は非常に弱かった。
 それに納得した風情の有間に、鯨は手を伸ばした。黒い手袋に包まれたその手を取って、サニア達に頷きかける。


「お前がリビングに入れば更に混乱する。先に馬車に乗っておけ」

「了解」

「じゃあ、アリマ。楽しんでらっしゃい」

「今度お話を聞かせてね!」


 きらきらと顔を輝かせるココットに苦笑を浮かべ、有間は頷いた。



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