X
────







 氷の中に封印されたその少女は、混血の少女に瓜二つ――――いや、何処からどう見ても彼女にしか見えなかった。
 どうしたことだ、これは。
 彼女は兄や、あのティアナの側にいるだろうに……何故ここにいる。

 東平の横を通り過ぎ、氷の壁に近付く。
 温暖な空間の中で溶けもしない氷は不可解だが、それよりも近くで見て少女の不可解さはそれ以上だと分かった。
 血色が良く、唇も本人よりも真っ赤のように思える。ただ健やかに眠っているかのように淡く色づいた頬はふっくらとしている。
 それだけなら、こんな異様な空間の中なのだからとまだ許容出来た。

 だが――――少女は、明らかに息をしていたのだ。

 氷の中で、肩や胸が僅かに上下しているのだ。
 たまに指先も動いているし、唇も何かを呟くように僅かに開いては閉じたりする。
 だって、これは氷だぞ?
 凍っているのに、おかしい。中は水になっているのかとも思ったが、その割には動きは些細でぎこちない。

 ざわざわと疑念に騒ぐ胸中に吐き気すら覚えてくる。ヒノモトの異形も奇術も何度も目にしている。だのに、これはそれよりも異常に感じられた。空気も無い筈の氷の中に眠る少女が、見知った姿だからだろうか。
 手をかけようとして、止めた。
 手を動かした瞬間に、本能が、触るな、止めろと騒ぎ出したのだ。
 この氷に自分が触れてはならない。いや、自分でなくともあらゆる生き物が触れることは赦(ゆる)されてない。
 氷の壁に触れられるのは恐らくこの岩屋の主――――。

 脳裏に浮かんだのはあの赤目の女だ。あれが岩屋の主だという確証も何も無いが、この岩屋の中に佇む彼女の姿が、用意に想像出来た。しっくりきた。自分の頭の中で作り上げた想像のパズルに何もズレは無い。
 暫し氷の中に眠る少女を見上げていたが、ふと東平からではない視線を感じて首を巡らせた。

 そして――――小さく悲鳴を上げ竦(すく)み上がった。

 目。目。目。

 無数の目だ。

 一つ一つ微妙に色形の異なる目玉が、岩屋の壁中を所狭しと埋め尽くしていた。
 ……壁中?

 いや、違う。
 壁だけじゃない。
 よくよく見れば、宙にも浮いているではないか!
 気圧されて東平の隣にまで退がり、彼の服を掴んだ。
 説明を求めようと彼を見下ろす。

 東平は平然としていた。
 むしろ愛でるように、拝むように目玉を見上げている。

 何なんだ、こいつらは!
 これが普通の光景とでも言うのか。
 どうしてこんな目玉ばかりで――――。
 恐慌状態に陥りかけた思考は、しかし次の瞬間には冷静に赤目の女の言葉を思い出した。


「……邪眼の力の、古巣」


 ここがそうなのだとすれば、これは邪眼だ。
 対になっておらず、一つ一つがバラバラに浮いているのもそれなら頷ける。
 邪眼一族の力の具現、誰にも宿らない邪眼がここに保管されているのだとすれば、確かにここは邪眼の力の巣だ。どうして《古》がつくのかは、分からないけれど。
 そして、この少女のことも、繋がりが分からない。

 ある程度考察出来たとは言え、それでもこれは、とても耐えられない光景だった。長居はしたくない。気味が悪い。


「おい、東平」

「これらは全て、殺された邪眼一族の邪眼。転生する先も無く、この古巣に集い沈黙するしか出来ぬ哀れな力よ」

「殺された邪眼一族の……?」

「――――贈眼一族は、元々は千三百人であった」


 第三者の声に、軽く驚き身構える。

 振り返った直後に脇を通り過ぎる黒い影。
 それは真っ直ぐに氷の壁に向かい、抱き締めるように両手を広げて壁に張り付いた。
 あの、赤目の女である。
 彼女は愛おしそうに氷を撫でる。


「有間、鯨、山茶花……砂月――――生きる眼を除いた邪眼が全て還った。儂と暁の、子供」


 暁とは、あの少女のことだろう。東平も暁の君と言っていた。
 女と女で子供が作れるのか?
 そんな秘術でもあるというのか、ヒノモトには。


「否。暁は女に非(あら)ず。男に非ず。儂も女に非ず。男に非ず」


 こちらの疑問を見透かしたように女は答えた。
 女に非ず、男に非ず――――そうは言うが、見た目はどちらも女だ。
 怪訝に眉根を寄せると、女はこちらを振り返り、氷の中の少女をそっと指差した。

 見上げて、声を漏らす。

 ……揺らいだ。
 今、確かに姿が揺らいだ。
 水面に映ったものの如(ごと)、ぐにゃりと波紋を落とし、玉響(たまゆら)異なる形を取った。
 あれが何だったのか、はっきりとは分からなかった。

 だが、多分……。

 それは人間でも、動物でもあるまい。
 危険でもないし安全でもない。
 誰も見たことの無いような存在――――きっと、そんなモノ。

 動いていたように見えたのも、僅かなズレによるものだったのかもしれない。所々でズレが生じ、それが動いているように見えたのかも。

 理解しようにも出来ない存在に顔をしかめるのにも構わず、女は歌うように語る。


「儂は妻。儂は夫。暁は夫。暁は妻。我が兄弟にして我が姉妹、共に番(つが)い、子を成して寄り添う」


 何なんだ、こいつは。
 頭がおかしいのか、一瞬だけそう思ったが、それもまたこの空間では普通のことなのだろうか。
 東平は深く深く頷くばかりだ。
 まるで自分こそが異端な存在であるかのように思えて、錯覚だと否定しながら必死に頭を回転させた。

 だが、ヒノモトの思想など理解出来ない自分には、受け入れられない。よって、意味が正確に把握出来なかった。


「どういうことなんだ。もっと分かるように言え」


 焦れったくなって語気を荒げると、東平は穏やかに説明した。


「暁の君とこの方――――夕暮れの君は、時期は異なるが闇の女神と光の男神の間に生まれた神。遅れて産まれた夕暮れの君と共に監視者として産み出された贈眼一族の管理を、二柱が任されることとなった。それが、今は彼らの力の管理のみであり、暁の君はこの空間を邪なる者から守る為に、その身をこの岩屋に変え、実体を失われてしもうた。氷に映る姿は、暴走せぬように己の精神の一部を宿らせた混血のそれだ。昔は、暁の君は鯨の姿であったと聞く」

「……ますます意味が分からなくなっただけじゃないか」

「異国の人間に分かるように説明すると、日数がかかろう。最初から語らねばならぬ故」

「簡潔に説明出来ないのか」

「出来る程単純な存在であったのならば……苦労は無い」


 東平は立ち上がり、頭を撫でてくる。そうして、女に、無言で指示を仰ぐのだ。
 女は氷の壁に口付け、ゆっくりと東平を振り返る。


「二日の後、里藤杵吉が、妖とあいなりて来(こ)ん」

「……それ程に、竜を喰らいたいか。里藤」


 東平は首を左右に振り、身を翻した。

 ……その背に、咄嗟に待ったをかけたのは嫌な予感がしたからだ。
 これが最期の別れになってしまうような、そんな気がしたのだ。東平相手に名残を感じてしまったのは、自分でも意外だったが。


「おい。東平」

「……ぬしはここにおれ。少し、周囲の様子を確かめてくる」


 東平は振り返りはしなかった。
 そのまま岩屋を出ていってしまう。

 ……階段までなら、大丈夫だろうか。
 一瞬女を振り返って東平の背中を追いかける。

 女は、底の知れない笑みを浮かべたまま、何も言わなかった。

 まるで自分がそうすることなど予想通りとでも言っているようで、正直気分が悪かった。



.

- 63 -


[*前] | [次#]

ページ:63/134

しおり