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 田中東平の大罪が、気になった。

 けれども訊き辛くて訊けぬまま、二人はとうとうヒノモト最北、北肩山(きたかたやま)――――通称穢土山(えどのやま)に到る。
 この山は沢山の雪を被りながら、しかし今まで歩いてきたどの山や平原よりも緑が豊かだった。分厚い葉の間から色とりどりの花が咲き、雪の白も相俟って美しく映える。
 多肉植物も斜面を埋め尽くし、木々も我先へと天高く枝葉を伸ばす。
 どれもこれも、見たことの無い植物ばかりだった。
 食べれる物を差し出されて嫌々食べてみたが、なかなかどうして美味い。城で食す野菜よりも瑞々しく、歯ごたえも風味も文句の付けようが無い。
 食べ物に不自由しないのか、そう問うたが、さすがにこの山に動物はほとんど無く、植物も山の中腹までしか自生しない。食べれる物は、三合目より少し下辺りまでだ。

 この山の気温の低さは異常らしい。同じ標高の隣の山と比べても二十度以上の差があると、命辛々計測した者が本に記していると言う。
 まるで、人間の立ち入りを堅く拒絶しているかのように、徒人(ただびと)が登るには寒すぎる山だった。

 ここは、闇の女神と光の男神が沢山の神を生み出したヒノモト始まりの場所である。更に贈眼一族が生まれ出た山であり、暮らしていた本来の故郷だ。食料の限られた、極限の寒さのこの地で、彼ら独自の術を駆使して人間と一線を画して隠れ住んできたのだと、東平は山に拱手(きょうしゅ)して山道に入り、説明する。

 本来の山の形は失われ、昔は標高はもっと高かった。
 人間達が排除せんと攻め寄せ、神聖なる土地を蹂躙し尽くしたのだという。


「贈眼とは、邪眼一族の本来の呼び名。闇の女神が、光の男神の為に遣わした存在であった。それが、今となっては忌まわしいと排他され、純血はもうヒノモトに存在しておらぬ。ファザーンにもカトライアにもその誤伝が出回っておる。贈眼も、もう彼らを表す言葉ではなくなり、夕暮れの君も邪眼と呼ぶ。まったく、嘆かわしいことよ」

「……それを僕に話してどうするつもりだ。そんな眉唾物の作り話を聞かされたとてどうにもならん。僕にとってはあの邪眼は気持ち悪いものでしかない。身体の何処かにもう一つ目があるなど、明らかに異常だろう」

「それが、闇の女神と光の男神の愛情の形であったとしてもか」

「神だの何だの……存在しているかも分からぬものを信じろと言うのか、貴様は」


 東平は静かに頷いた。雪を踏み締め、邪魔な枝を容易く折る。


「神がおらねば、儂も、暁の君も夕暮れの君も存在しはしない」

「存在しない? 暁の君、夕暮れの君? どういうことだ」

「このまま来れば分かる」


 こちらを気遣って、歩きやすい道を選んで進む。
 ついていくが、どうも山を登るようには見えない。山道は東へ回り込み、北肩山の後ろへ向かっているようだ。

 邪眼の古巣ではなく、邪眼の力の古巣。
 そこに向かえとあの赤目の女は言った。
 では、この先に邪眼の力の古巣があるということだ。
 分厚い外套の下で身体を震わせた。寒さだけではないだろう。
 汚らわしい邪眼の力が寄り集まった場所だろうか。どんな場所か、想像するだに恐ろしい。

 東平はなだらかな道を選んで進む。稀に山道を外れた獣道に入るが、東平の身体でこちらが歩くには十分な幅が空いた。それでも、打ち付ける草は鬱陶しいが。
 一時間程歩き東平は足を止めた。
 右手に現れたのは階段だ。
 まったき自然の中に埋もれた人工的な石段。そこだけは不思議と雪を被っていなかった。
 その奥は真っ暗だ。果てが無いように闇に呑み込まれ、恐怖を煽ってくる。

 東平はこちらに目配せした後、ゆっくりと階段を下り始めた。
 それを追いかけ一段降りる。

 瞬間、空気ががらりと変わった。

 一番に分かったのは気温だ。冬季のファザーンにも勝る極寒は、しかし階段を降りたその刹那にカトライアのような温暖なものに変わったのだ。
 驚いて声を上げてしまった。

 東平が、それを宥めるように短く説明する。


「領域に入った故に」

「領域? 邪眼の力の、か」

「正確に言えば違うが……今はその認識で良かろうな」


 階段は長かった。強まる恐怖を紛らわそうと、一段一段数えて降りた。
 次第に光も射し込まぬ深さまで至ると、東平が掌の上に青い炎を産み出し足下を照らしてくれる。
 それだけを頼りに危なげに降り続けた。

 どれくらい降りたのか、何段なのか分からない。五百を数えた辺りで、更に怖くなって止めてしまった。恐怖を誤魔化す筈が強めてしまっただけだった。


「何処まで続くんだ、この階段は」

「……もう、終わりが見えてきたぞ」

「何? ――――あ、」


 東平の巨躯の向こうに東平の掌の上で踊る青炎よりも大きなそれを見た。
 それは左右一列ずつ奥へと整然と並び、奥にある物への道を示している。
 その奥も見えた頃にようやっと永遠にも思えた階段は終わりは告げた。

 そこは、広い広い場所だった。
 広間の奥、青炎の列の延びる先に在るのは巨大な岩屋だ。
 ファザーンの館と同じ規模だろう大きさのそれには幾つもの太い縄が張り巡らされ、その全てに菱形の紙が連なった物が無数に下がっている。
 岩屋の入り口は、頑丈な黒金の扉だった。両開きのそれは目のような模様に埋め尽くされており、その全てに見つめられているような錯覚を覚えてしまう。
 今、瞬きをしたのではないか――――ぎょっとすることもあった。

 東平は岩屋に向けてひざまづき、深々と頭を下げた。
 そして立ち上がると厳かな態度で岩屋へと近付いていく。岩屋に気圧されていたのもつかの間、慌てて彼の大きな背中を追いかけた。

 扉の取っ手を掴み、唸りながら渾身の力で開く。

 全開して覗いた中は、奥が氷壁となっていた。
 その中に、誰かが眠っている。ヒノモトの、太古の礼装をまとったそれは、少年とも少女とも思える。

 その姿に声を上げずにはいられなかった。


「こいつは……!」


 丸く整えられた白髪に、黄色い目。中性的なかんばせ。

 それは――――ルナールの皇族と邪眼一族の間に生まれた、あの混血の娘にそっくりだったのだ。


「おお、暁の君……やはり今は、そのお姿か」


 感慨深く、東平が呟く――――……。



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