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「ふざけるな!!」


 激昂した。
 立ち上がって田中に怒声を浴びせかけた。

 田中の言う、竜を抑える方法――――それは、酷く簡潔で、酷く難しいことであった。


『ぬしの精神が竜に勝れば良い』


 投げやりとも取れることを、田中はさらりと言って退けた。
 馬鹿にされているのだと思った。愚かな子供だと嘲られているのだと。
 憤懣(ふんまん)をたぎらせ両手に拳を握る。

 しかし、それでも田中は落ち着き払ったものだ。嘲笑すらも浮かべていないのが、また腹立たしい。


「貴様……僕を愚弄しているのか」

「そう聞こえたのならば、それはぬしが己の弱さを自覚しているが故のことよ。それすらも出来ぬと、分かっておるのだ」

「……っ」

「図星だな」


 田中は嘆息し、焼いた鹿肉を差し出した。
 それを払い退ける。


「ふざけるな。普通の人間が、竜に勝ることが出来る筈がない」

「誰が決めた」

「誰が決めた、だと? そんなの、竜の力を目にした者なら分かることだ」

「それは、真実戦う術の無い者達に言えることだ。ぬしは、竜の器となった以上、器として頑丈でなければならぬ。今のぬしは桶に底が無いのと同じだ」


 田中は払い退けられた鹿肉にかじり付き、一人勝手に食事を進めてしまう。

 歯噛みした。
 簡単に抑え込めるなら苦労などしない。この男は竜の強大さを知らないから無責任なことが言えるのだ。いや、誰にも分かろう筈もない。
 竜の力を真に理解しているのは自分と、自分の中に竜を見た混血――――そして【最後の魔女】だけ。
 だからこそ封印されていなければならなかった。封印を解かれた今、自分が制御しなければならない。分かっている。分かってはいるのだ。
 でも、自分では出来ないと理解してもいるから、腹立たしい。

 田中から顔を背け、距離を取って座る。


「食え。食わねば力が付かぬ」

「要らぬ! そんな堅い肉など食えたものではない」


 嘆息し、田中は鹿肉を投げて寄越す。

 反射的に受け取ってしまい、渋面を作った。
 堅い肉、庶民の食べる肉。
 鹿も兎ももう何度も食べているから、慣れてしまっていた。けれど、美味いとすら感じ始めている自分を矜持が許さない。
 王子としての矜持が、今となっては意味の無い虚ろなものだったとしても、自分に残されたのはそれくらいしか無いから。それを守らなければ自分には何も無くなってしまう。

 田中はこちらを一瞥した。こちらの虚勢など見透かしたような目に、たじろいだ。


「……なまじ舌の肥えた子供は面倒だな」

「……」


 怒るでもなく、突き放すでもなく。
 淡々と言う。
 けれど向けられる眼差しは、急に、異様に柔らかくなって。
 それが少しだけ――――兄に似ているようで、でも違うようで、分からなくて。

 こんな目は今まで何度も目にした。
 田中が自分をどう思っているのか、分からなくなる目だ。

 思わず目を逸らすと、鼻で一笑された。


「……ぬしは、まだ若い。出来ぬ出来ぬと言って、可能性を潰さぬことだ」

「可能性だと?」

「儂は、竜の力を知っておるぞ。その上で、勝れとぬしに言うのだ」


 ……知っている?
 まさか二十年前のカトライアにもいたのか?
 じっと見つめていると、また鼻で笑った。


「儂らのことは忘れたか」

「何?」

「ザルディーネで戦ったではないか」

「戦っただと? 馬鹿な、そんな筈は――――」


――――否。

 違う。

 会った。

 こいつは確かにザルディーネにいた。
 蛇のような男と共にこちらに攻撃してきたのだ。
 どうして忘れていたのだろうか。
 理由はすぐに出た。
 あの蛇男だ。
 蛇男の狂人振りに恐怖と危機感を覚え、無意識に記憶から削除していたのだ。蛇男と一緒にこの田中東平も消していたらしい。


「あの時の……」

「忘れようとしておっても、無理は無い。里藤は、子供には強烈だ。……じきに、相見えることになるがな」

「……花霞姉妹の追っ手か」

「いや。あれ自身の欲心故よ。……あれ自身とは、語弊(ごへい)があるがな」

「どういう意味だ」

「あれはもうじき妖になる。ぬしの竜に匹敵する程のな」


 田中はまた淡々と言う。


「それまでに、竜を抑制させることだ。恐怖心に負けて竜になられたら、面倒極まり無い」

「……何なんだ、この国は」

「それが、ヒノモトという国よ。特に今はな。……人も神も、妖に堕ち、生ある者達を喰らい、狂わせる。滅びに向かって、様々なものが狂い始めておる」


 人があの化け物に堕ちる。
 神があの化け物に堕ちる。

 神という概念はファザーンにはほとんど無い。教会はあるがヒノモト程そういった場所は、実は多くない。ヒノモトの神々が異常に多すぎるのだ。
 台所にも様々な神が存在していると言う。一つの家にどれだけの神がいるのか。それはもう鼠(ねずみ)や虫と同じではないかと思う。

 昔からヒノモトは理解出来なかったが、実際国内を逃げ回っていて余計に訳が分からなくなった。一生かけても好きになれそうにない。
 鹿肉を噛み千切り、不味そうなフリをして咀嚼(そしゃく)する。


「儂も、近々死ぬだろうな」


 自身の死にも、淡々としたものだ。


「生きようと言う気は無いのか」

「儂はただ、為すべきことを為すのみよ。元々、儂は償いきれぬ大罪を背負うておる。それでいながら、儂は尊いお役目をいただいた。それだけで十分過ぎる僥倖(ぎょうこう)故」

「大罪?」

「世界で最も守りたい者達を、守れなんだ」


 低い声で返した田中は、遠い目をして鹿肉をかじった。
 やはり、淡々としている。



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