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※注意



 巡る。巡る。

 熱い血潮が巡る。

 身体が沸騰している。

 なんて……なんて心地良い快楽。


「……あ゛っはは、はぁぁぁ……っ!」


 蒸気のような吐息を漏らし、里藤杵吉(さとふじきねよし)は背中を仰け反らせる。押し寄せる狂おしい程の快感に身悶え手にした注射器を圧壊する。
 燃え盛る炎の中にいるようで、冷たい水の中にいるようで、母の胎内にいるようで。
 筆舌に尽くし難い心地良さに痙攣し、鳥肌が立った。欲情すら首を擡(もた)げる。

 昂揚した気分で求めるのは、人間の断末魔、人間の苦悶の表情、形も残らない程に抉られた無惨な肉体。
 残虐な欲望が止まらない。膨れ上がって溢れて、里藤の理性を塗り潰す。

 動かした足がぶつけたのは空の注射器。
 彼の周囲に転がるのは注射器と泥と藻が混ざったような不穏な色合いの薬液だけだ。薬液を見ても、服用した里藤を見ても、普通の薬とは到底思えない。
 不気味な笑声をだらしなく開いた口から涎と共に漏らしながら、股間に両手をやった。

 尋常でない、理性無い里藤を――――遠くから山茶花は見る。赤い髪をたなびかせ、冷めた真っ赤な目で快楽に浸り続ける狂人を見下す。
 あの薬を使って、よくもまあ十年以上生きてこられたものだわ。
 麻薬以上の依存性と毒性を持ち、服用者の霊力を爆発的に向上させる薬。かつて惨たらしい人災を招き厳しく規制された物を、五大将軍の一人が、その名誉を得る前から服用していたとは、大した醜聞である。
 この事実、花霞姉妹は恐らく知っている。その上で、己の身可愛さに知らないフリをして隠蔽(いんぺい)し続ける。
 さっさと止めさせていれば、手遅れにはならなかっただろうに……。

 里藤は、堕ちかけている。
 闇に、ではない。
 魔に――――妖になりかけているのだ。
 薬で高められた霊力をそのままに妖になってしまったら、ファザーン第五王子の竜とほぼ同じ規模になるだろう。だが、使いたいとは思わない。だって気持ち悪いもの。


「彼も、俳優(アクター)の一人……あんなの、いなくて良いのに」


 気持ち悪い。あんなのが有間ちゃんに会うなんて、許せない。
 ここで殺してしまおうか。そう思う。
 けれど――――多分出来ないだろう。
 薬の効力で限界まで高められた里藤の相手は面倒だ。こちがら命辛々逃げ出すか、いたぶられて殺されるか。今のあの状態なら、犯されるかもしれない。あんな男に犯されるなんて、勘弁だ。

 山茶花は未だ快感に身悶える里藤に背を向け、その場を立ち去った。

 そこは、城だった。
 ヒノモトの、花霞姉妹が住まう、最高権力者の象徴。
 堂々と歩いて下に降りていく彼女に、誰一人として気付く者はいない。まるで見えていないかのように、通り過ぎていく。

 城内であんな薬を使えるって、どうなのかしらね。
 すれ違う使用人や臣下を冷たく一瞥し、山茶花は城を出る。

 かつては、この都は結界に守られていた。どんなに強い妖も入ること叶わず、悪人も結界を越えた瞬間に術式が発動して灰になる。
 かつては、ヒノモトのどの場所よりも神聖で、澄んだ場所であった。

 それが今はどうだ。
 城門の屋根から外へと飛び降りればすぐに腐乱臭が鼻を突く。
 目の前で妖が女の骸に群がって肉を食らっている。ああ、通りかかった男も首を噛まれて引きずり込まれた。悲鳴が聞こえる。

 城門は堅く閉ざされていた。当然だ。妖を入れたくないもの。

 盗賊も入り込み、女を攫っては陵辱し、男を殺しては金品を取り上げる。
 完全に、妖の好む汚らしい腐敗した世界へと成り果てた。
 こんな世界、早く消えちゃえば良いのよ。
 有間ちゃんと狭間さんと、私だけがいれば良い。……ああ、いいえ。有間ちゃんの旦那さんも助けておかなくっちゃ、有間ちゃんが傷ついちゃうわ。
 ヒノモトなんて国は無くなった方が良いのよ。


「さて……ファザーンの王子のところに行かないと。竜を捜さないと」


 でも、何処に行ったのかしら。
 全然見つからない。ここにもいないなんて……おかしいわ。どういうことなのかしら。

 山茶花は妖の横を通り過ぎ、リズムに乗って歩きながら、歌を口ずさんだ。


 甲蘭山の鬼娘
 額に角が 二つ

 母は せかせか 糸紡ぎ
 父は せかせか 竹を取る

 可愛い鬼娘の お気に入り
 西の裾野の 曼珠沙華
 相思華 天蓋花 狐の簪
 天上に咲く 真っ赤な花


 狼牢川(ろうろうがわ)の 蜘蛛男
 八本の 歪(いびつ)な手足

 母は こそこそ 余所の床 
 父は こそこそ 余所の床

 怒れる蜘蛛男の お気に入り
 東の裾野の 曼珠沙華
 彼岸花 死人花 疫病花
 毒を抱いた 真っ赤な花


 その歌声だけが周囲の生き物の耳を擽る。
 けれど、山茶花の姿を誰も見つけられない。

 山茶花の真っ赤な姿は、やがて城下から消えた。



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