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 馬に引かれる粗末な荷車に押し込められての誘拐は、地獄のようだった。
 まず、臭い。獣臭い、腐臭がキツい――――吐き気と頭痛を催した。草で編んだ敷物で上を覆われ、縄で絞められていたから、臭いも熱気も籠もっていた。
 更に荷車は凸凹とした隘路(あいろ)を急ぎ、左右に上下に大きく揺さぶられた。何度舌を噛んだことか。何度吐きそうになったことか。気を失いそうにもなった。

 そんな劣悪な環境に煮えたぎる悔しさを噛み締めつつ耐えていると、彼らは唐突に現れた。
 人の潰れたような悲鳴が聞こえた直後に縄を斬られ敷物を剥ぎ取られ、乱暴に首根っこを掴まれて引き上げられてしまう。その衝撃に耐えられず胃液を吐いてしまったのは、人生最大の恥だ。
 抗議しようにもその余力も無く、筋肉隆々とした分厚く堅い肩に担がれなすがままだった。そのまま、おぞましい惨劇を目にした。

 何故僕がこんな目に――――。
 考えて、すぐに結論に辿り着く。

 右目の、竜の所為だ。
 未だこの右目に宿る竜は、自身の中で再び暴れる機を窺っている。稀に身体を支配しようと意識に見えない触手を伸ばしてくる。それを抑え込むのも一苦労だった。
 だが、右目に宿らせたのは自分の意志だ。
 自分の我が儘を暴走させ、人が手にするべきではない禍つ力を手に入れた。使役しようとし――――自分の意志で動いているようで、その実、意志に重なっていただけだった筈の竜の破壊衝動に操られていた。

 記憶の中、ザルディーネを逃げ回る国民達の姿が残っている。
 彼らの中で、一人の、自分と同じ年頃の少女がいた。瓦礫に足を潰され痛みと恐怖に泣き叫ぶ彼女の側には、その両親がいた。自分達が満身創痍でも構わず瓦礫を必死に退かし、最愛の娘を助けようとした。
 それを――――自分は無情に燃やしたのだった。
 両親がその身を挺(てい)して庇ったとて無意味だった。
 業火は両親も娘も燃やし尽くした。

 命を、自分はどれだけ葬ってしまったのだろう。

 矮小な自分の愚かな過ちが招いた大量の犠牲。
 その罪は、この肩にはあまりにも重かった。

 そして今、竜の力を利用しようとヒノモトの人間に拐かされ、別の集団にまた強奪され――――その集団の一人と共に不穏なモノばかりが徘徊するヒノモトを逃げ回っている。

 どうして助けたのか、訊いてもその男は嘯くだけで、殺すつもりなのか、封印するつもりなのか、逃がすつもりなのか、何の為に、どうしたいのかが分からない。
 得体の知れない坊主頭の大男。
 警戒心は勿論あった。

 だがどうしてか――――この男の側では竜は静かなのだ。
 男に怯えているようにも思える。
 見た目は確かに恐ろしいが、意外と動物に好かれるし、甘い物も好む。料理だって作れる。稀にファザーンと似た味付けの料理も作ることもあった。
 筋肉に見合う化け物並の怪力で、自身と同じ程に太い樹木を易々と引き抜いて振り回すことが出来るが、こちらの知る限りでは、それだけだ。
 竜が怖がるような要素は何処にも無いように思える。

 ただ――――あのティアナと言う少女の持つ犬笛に本能的な恐怖を抱いたように、普通の人間のように思えて何か奇(く)しき力を秘めているとも考え得る。
 旅をするようになってそれほど日数は経っていない。見た目や素行だけで判断するのは、まだ時期尚早だ。

 ……もっとも、一番得体が知れないのは、大男が頭を下げるあの赤い目の黒髪の女なのだけれど。
 大男はあの女の指示で動いているようだった。あの女に何の目的があるのかは、やはり分からない。
 自分の身の回りで、自分に関わることで、何も分からずにただ流されるままだというのは、不愉快だった。

 不安よりも不満ばかりが募っていく旅路、目の前を歩く大男――――田中東平がふと空を見上げ低く呟いた。


「……通り雨が来るか」

「何だと? おい、目的の街はまだ遠いと言っていたな。また野宿か?」

「そうなる」

「冗談じゃないぞ。毎日のように野宿ではないか! 屋根のある場所で寝たことなど数える程度だ」

「こればかりは仕方がない。それに……人の集まる場所に何度も泊まって足が着けば闇眼教徒に襲撃される。その中でぬしに暴走されては困る。ザルディーネの二の舞は御免だ。化け物よ」


 うぐ、と言葉を詰まらせる。
 竜の力を引き合いに出されると弱いのを分かって、田中は言うのだ。

 反論出来なくなったこちらを振り返り、田中は鼻を鳴らす。


「さて……雨を凌(しの)げる場所を探さねばなるまいて」

「……」


 舌打ちし、石を蹴飛ばす。
 それは、奇しくも田中の太い脹ら脛にぶつかった。
 ぎくりと身体を強ばらせる。

 しかし、彼の声は穏やかだった。


「痒いな。男ならもう少し力を付けぬか。それでは自分の身も満足に守れまい」

「……自分を守る必要など無い」


 自分を守って、どうなる?
 竜を抱えたまま、何処かに生き埋めに、何処かに沈められた方が良いのではないか。
 あのままローゼレット城の地下で封印されていた方が世界の為だった。

 自分はもう、数多の命を無情に葬った化け物なのだから。


「化け物ならば化け物なりに、足掻けば良い。足掻き方を知らぬから竜に呑まれるのだ」

「呑まれてなどいない。自我は、確かにあった」

「変わらぬわ。人で在りたいならば足掻け」


 ……足掻いていない訳ではない。
 これでも、自分なりに抑え込んで、足掻いているつもりだ。
 二度とあんな惨劇を作り出さない為に、自分なりに……自分なりに。
 些末なものだと、自覚している。
 歯噛みして視線を逸らすと、田中は長々と嘆息した。


「……知りたいか。竜を抑える方法を。上手くやれば、竜を従わせることも出来るだろう」

「何……?」

「知りたいなら、教えてやろう。寝泊まりする場所を見つけてからになるがな」

「……ヒノモトの人間にそんなことが出来るのか」

「ぬしが出来るようにならねば意味が無い。儂はただ、その手段を教えるだけよ」


 田中はその場で答えを求めなかった。
 雨が降り出す前にと、足を速めた。



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