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15
※注意
「それらしい嘘をついたものだな。師よ」
ヴィルトガンス湖にまで移動し、鯨はそう声をかけた。
サチェグは応えを返さず、何処から取り出したか、水晶の塊二つを弄(もてあそ)びつつ湖面を見つめる。その理知に富んだ無表情は他人には滅多に見せず、鯨も数える程度だ。
鯨の前でそのような表情をする師は、深刻な思案に耽っていると知っている。
わざわざそれらしい嘘をついてまで有間の側にティアナとアルフレート両名を置きたがるのも、その思案故のことなのだ。
鯨は黙って師を見つめ、言葉を待った。
離れた場所で雪に混じって白い鳥がひょこひょこと餌を求めて歩いているのが見える。
かと思えば、近くの雪の中から飛び出した狼が咽元に噛みついた。暴れる鳥を振りかぶって咽の骨を噛み砕き、息の根を止める。
だらりと力無く垂れ下がった鳥を雪へ放り投げ、満足そうに食べ始める。
一瞬だけ、狼に殺された白い鳥が、有間に見えた。
アルフレートが有間を殺す――――そんな不穏な様に見えて、すぐに振り払う。
らしくないと舌打ちして後頭部を掻いていると、サチェグが深呼吸した。
「……イサ。俺の占いは嫌みなくらいに良く当たる」
「そうだな」
自慢……ではない。
サチェグ自身、占いをほとんどしない。今回だって、コルネリアから篤(あつ)く頼まれたベルントの身を気にしてのことだった。
本人が命中率の高さを疎み、滅多に占いをしない性分であったと知っているからこそ、鯨は無駄口を挟まずにただ肯定を返す。
サチェグは鯨を肩越しに振り返り、目を細めた。
「占って良かったのか、悪かったのか……正直、これ程分からなくなるのは俺も初めてだ。アリマは普通じゃない。だからこそ、生まれる前から下らない終焉の主人公に選ばれてしまっていた」
「……」
「もう無理だ。俺達が何をしようと、本編は始まっている。始まれば後は俺もお前も、ヒノモトの人間達も皆、決められた道筋に従って完結に向かうのみ。枠から逃れることは出来ねえ。だが、せめて微かな差違を作っておきたい」
だから、あの二人を同行させるのだろう。
鯨は片目を眇めた。
「それだけのことを、有間はするんだな」
「すると言うよりは……物語にそうさせられるって言うべきだろうな」
サチェグはなかなか核心を言わない。
まるで彼自身もそれを拒絶しているかのように。
鯨は無理に急かそうとはしなかった。本心では、サチェグ程の人物が拒絶する核心を知りたくない、と思ってしまう。
たっぷりと間を置いて、サチェグはようやっと話を切り出した。
「序章は、アリマが生まれた瞬間から始まり、サザンカに出会った瞬間に本編が始まった。言うなればアリマの人生そのものが終焉……」
「だから、主人公と?」
「不名誉な肩書きだけどな」
終焉の物語の主人公なんて、誰も喜ばない。
サチェグはまだ言いにくそうにしながら、はっきりと告げた。
「アリマが、ヒノモトを消失させる。アルフレート殿下達を連れて行くのは少しでもマシな結果にする為だ。イサ、お前ももう諦めておけよ。俺がどうにも出来ないんなら、お前には無理だ」
こうなるのもまた、そういう道筋なのさ。
心の中で、ふざけるなと返す。
全てが定められた人生など、それは生きていないも同じだ。決められた道を、自ら選んでいるつもりで行くことのなんと虚しいことか。
ヒノモトの誰もが滅びる為に木偶人形よろしく闇の女神の見た終焉の夢通りに生きるなど、馬鹿馬鹿しい。
そんなモノに、有間も併呑されてたまるか。
あれは狭間とイベリスの忘れ形見。
終焉の道具になどさせはしない。
それが、二人への償いだ。
だのに――――。
「イサ」
「……」
師は、諦めろと言外に、厳しく、冷たく諭すのだ。
力不足だと、鯨にも、サチェグにも、もう何も出来ないと、受け入れたくない現実を突きつける。
鯨は沈黙し、師に背を向けた。サチェグが呼ぶが、彼は反応も返さない。
ただただ黙って雪に足跡を残していった。
鯨が側を通過した狼は、未だ鳥を貪っていた。
雪に混じる白い羽毛は己の血で真っ赤に染め上げられている。
鯨の後ろ姿を見つめながら、サチェグは憐れんだ。
こうなるなら、人らしくならなければ良かったのかもしれないと、一瞬だけ思ってしまったことに、苦笑する。
‡‡‡
「……このクソガキが……!!」
サチェグは憎らしげに睨め上げる。
自身に馬乗りになり胸に短刀を突き刺す少年の頭を掴み、強引に引き剥がした。その際肉が抉られたが、そんなことにいちいち構っていられない。
起き上がりつつ片方の手で治癒術をかける。
少年は悪びれも無い。むしろ舌を打って後少しだったのに、と宣(のたま)う。
――――もう、五十三回目だ。
毎晩のように寝込みを襲われ、解剖されかけた。お陰で身体中傷痕だらけ。歴戦の猛者みたいな嬉しくも何ともない身体になってしまった。
「あのな……お前師匠を解剖しようとすんの止めろ。これ痛いから。超絶痛いから!」
「知るか馬鹿」
「今すぐ知れ!」
怒鳴りつけると少年は肩をすくめ、興が冷めたみたいな顔をして大股に部屋を出る。一応家から出られないように逆結界を張っているから、自室に戻るだろう。
サチェグは後頭部を掻き、開かれかけた胸を見下ろした。
目を細め、舌を打つ。
異常に強い知識欲で動くのは、異母妹そっくりだ。
今はまだそんな気配を見せないが、いつか彼女のように人を殺してしまうかも知れない。
その時には、殺すしか無い。
異母妹の時のように、殺されかけながら、その身体を消滅させて――――。
また、舌打ち。
「邪眼と魔女の混血ってのは、最後まであんな化け物なんかね……」
例外とか無いのか。
あいつの将来が、滅茶苦茶心配だよ。
サチェグは目を細め、細く吐息を漏らした。
……あいつも、人らしく生きれたら良いのに。
友情を育み、恋愛に現(うつつ)を抜かし、子供を作って子育てに苦しんで、寿命を迎えて。
そんなごく普通の人生を、彼らは一生遅れないのだろうか。
邪眼と魔女が愛し合った、ただそれだけのことで。
サチェグは、開けっ放しの扉を見つめ、己の弟子を、今は亡き彼の両親を、心の底から憐れんだ。
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