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 ケーキ屋は閉店間際だったらしい。
 気前の良い店主に快く入れてもらって、残っているケーキを全種類一つずつ買った。サチェグに勧められたシュークリームが無いのはとても残念だが、人数分は揃った。
 ケーキの入った紙製の箱を大事そうに抱え、有間はアルフレートの隣を歩く。

 全種類買って行こうと言ったのはアルフレートである。そこへ店主が閉店間際だからと更に割り引きしてくれたので、有間も思い切れたのだった。しかも、金はアルフレートが払ってくれた。心の中で王子万歳と両手を挙げたのは秘密である。


「アリマは、甘い物が好きなのか。カーニバルの日にも、食べていたように思うが」

「……あの日のことは黒歴史だから思い出させないで欲しいな」


 あんな、こっぱずかしい格好をさせられたのは人生最大の汚点である。
 それを言うと、彼はきょとんとした顔で有間を見下ろしてくるのだ。


「黒歴史……か? それ程悪いもののようには感じなかったが」

「他人の目ではない、こちらの感情の問題なのだよ」


 あれは、二度と思い出したくない記憶だ。
 一生スカートなんて着たくない。
 有間は辟易した風情で吐息をこぼし、心無し痒いうなじを掻いた。

 そこで、アルフレートが何事か呟いたが、聞き取れずに聞き返せば首を左右に振って何でもないと誤魔化された。


「取り敢えず、早く帰ろう。ティアナが夕食の支度をして待っている」

「そうだね。食事に五月蠅い奴もいるし」


 真っ白な家鴨だった少年を思い出し、有間は肩をすくめて見せた。
 言わずもがな、ルシアである。あまりに五月蠅ければエリクが対処してくれるだろうが、後から恨む事を言われるのは有間である。ねじ伏せるのは容易いが、相手するのは少々面倒臭い。
 少しばかり急ぐかと歩幅を大きくして速度を上げる。

 帰宅途中の人々の合間を縫って急ぎ足に帰宅すれば、ティアナが家の前で有間達を待っていた。


「あ、アリマ!」


 手紙を大事そうに握っていた彼女は二人に駆け寄って、安堵したように笑う。


「どうかしたの?」

「あのね、アリマ。今日、クラウス法王陛下から舞踏会の招待状をいただいたの」

「法王陛下から?」


 法王――――と言っても、ベルントに殺されかけて東雲鶯に保護された法王陛下はすでに隠居してしまった。実に呆気なく、そして強引に息子のクルトに押しつけてしまったのだった。
 クルトが法王陛下の一人息子だったことは内臓が飛び出す物だったが、まあ今となればどうでも良い些末な変化だった。

 そのクルト法王陛下から舞踏会の招待状とは……。


「ティアナといやんな関係の第一王子の陰謀を感じる……」

「うん……マティアスが、お願いしたそうなの。アリマもみたい。ラウラさんの周囲に変化が無いか確認する為に、イサさんも呼んだらしいわ」

「……そう、なんだ」


 鯨の名に、有間の表情が強ばる。
 それに、ティアナも表情を陰らせた。

 まだ鯨に関して複雑な感情を抱いているのは、ティアナも知っていることだ。他の住人達も。


「アリマ……」


 大丈夫、そんな声が飛び出してきそうな顔に苦笑し、彼女が声を発する前に有間は話を戻した。


「で、その舞踏会って強制参加なの? そうじゃないなら、うちは遠慮するけど。服も無いし、踊りらしい踊りと言えば、邪眼一族の伝統的な祈祷舞踊くらいしか知らないし」

「法王陛下から招待状が届いた以上は、絶対だと思うわ。文化の違いは法王陛下も分かっているだろうし……アリマがいてくれたら心強いんだけど」


 ……。
 有間はティアナを半眼になってじとりと見やり、はあと長々と嘆息した。

 自覚していない分質が悪い。
 そんな風に言われて、断れる筈がない。
 ここに来て、自分はティアナにも甘くなったものだ。
 昔は他人は全て敵だと思い込んで生きていた筈だのに……。
 眉間を押さえた有間は、恨めしそうにティアナを睨んだ。


「分かった。行く。行けば良いんだろ、行けば。ただ、本当に服は無いよ。それはどうするのさ」

「クラウスが用意すると言っていたけれど……」

「はあ……そうなんだ」


 用意が良いな畜生。
 何でもこなせる法王陛下とティアナのお守り役に恨み言を呟き、有間は首筋を撫でた。


「これで、逃げられないか……」

「オレの傍を離れなければ良い。そうすれば、多少の人払いにはなる筈だ」

「そうする。舞踏会って、何をどうすれば良いのか全然分かんないし」


 壁の刺々しい花を決め込むさ。
 両手を挙げて荒んだ笑みを浮かべるとティアナも苦笑を浮かべる。


「アリマがとても嫌なのは分かったわ」

「……っていうか、アルフレートも知ってたんなら迎えに来た時に言えば良いのに」

「いや、オレはあまり詳細を聞かされていないんだ。ティアナから直接聞いた方が良いと思ってな。……それに、小劇場の者達の耳に入るのも……色々と困るだろう?」

「……」


 ああ、そうだった。
 小劇場には悪魔がいたのだった。
 腹黒ナンバーワン女優の笑顔を思い出し、有間は青ざめる。彼女は今でも、アルフレートと有間に笑顔で圧力をかけてくる。『さっさとくっつきやがれ奥手同士め』と。
 最近それが怖くてろくに小劇場の中に入れないでいる。

 アルフレートも被害者なので、この点に関しては理解を示してくれるのだ。

 げんなりとする有間に、アルフレートは励ますように肩を叩いた。


「で、ダンスはしないこととして……準備期間はどれくらい?」

「一週間ですって」

「来週かい」


 もうちょい猶予延ばせよ。
 恨めしそうに、彼女はぼやいた。



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