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 追えと怒鳴る自分。
 追うなと叫ぶ自分。
 どちらに従えば良いのか、分からなかった。


「今なら……まだ間に合う。このままあの男を逃がすなど、一体誰が納得するんだ」


 震える手を伸ばし最愛の恋人に縋る。
 ティアナは泣いていた。痛そうに、辛そうに。


「あの男の裏切りで、どれ程の命が失われた? ファザーンの王として、あの男を見逃すのが正しい選択なのか? 教えてくれ、ティアナ……!」

「っ……マティアス……」


 ティアナはマティアスを包むように抱き締めた。強く、強く。華奢な女の力などたかがしれている。それでも力一杯抱き締めた。


「王として完璧であろうとするなら、二人を斬るべきよ、マティアス。だけど……どんな罪を犯したとしても、あなたを愛し、育ててくれた人をその手で殺めるなんてして欲しくない……」

「っ……ティアナ……」


 あなた一人に、この罪を背負わせたりしない。
 ティアナは強く告げる。


「見逃したのは私も同じ……あなたにとって、あの人が親代わりだったなら、私にとっても同じだから……」


 マティアスはティアナの首筋に顔を埋めた。
 嗚咽を漏らし、次第に声を大きくして慟哭(どうこく)する。

 呼応するように、風が強まり、降雪を彼らに叩きつけた。
 それは王を責めているのか、息子を鼓舞しているのか。
 マティアスが泣けば泣く程、風は強まった。

――――そこに、軽快な拍手が場を壊す。


「お疲れさん」

「サチェグさん……あなた!」


 いつの間にそこにいたのか。
 サチェグはマティアスの真横に立っていた。

 軽薄な笑顔を浮かべ、サチェグは二人の側に屈み込む。涙に濡れたマティアスの頭を撫で、


「イサの奴は責めないでやって下さいよ。あいつ、もう少しで、人になれそうなんスよ。責めるんなら全て俺の所為にして俺の身体をその剣で斬りつければ良い。っつーか、イサ以上にバルタザールに手を貸したの俺だし?」


 サチェグはマティアスの手に大剣を握らせ、さあどうぞと言わんばかりの晴れやかな笑みで両手を広げて見せた。
 その表情が、何処か――――自分の成長を素直に喜んでくれた若き日のベルントに重なって。

 マティアスは大剣を再び取り落とした。


「お前、は……何故、」


 サチェグは笑みを浮かべたまま、両手を降ろした。


「俺の異母妹は、魔女と邪眼の混血だった。混血であるが為に、両親を解剖し、壊し、好奇心に弄ばれるように俺の目の前から去った。魔女と邪眼の混血児は、全てが全てそんな定めだ。そいつはもう化け物なんだ。生き物として認識してはいけない」


 イサだって同じだ。
 サチェグは腰を上げて吹雪き始めて姿が見えなくなった弟子の向かった方向に顔を向けた。


「あいつが共に旅立つ友人を持ち、血の繋がりも無い友人の子供を育て、そして今バルタザールを助けた。それは、昔のあいつだったら有り得ないこと。だから、そのままあいつの好きにさせて下さい。その責は全て、師の俺が負いますんで。それに、元々バルタザールがいなくてもベルントは俺が助け出すつもりだったし?」

「コルネリアさんとの約束、ですか?」

「そういうこと。俺、あいつの親友第一号なんでな」


 コルネリアの日記にあった『あの方』は、きっとサチェグのことだ。
 にっかと笑ってマティアスを立ち上がらせたサチェグは、ティアナにも手を貸した。


「さ、帰りましょうや。本格的に吹雪いたら、いけねえや。明日には俺もアリマもここを発ちますし。準備しねえと。アリマはもう決めちまってますよ」


 見殺しにした友人を、今度は自分の手で殺すって。
 マティアスが呻く。
 そもそもは有間を連れてきたのはサザンカの手から守る為だ。
 それが、こんな不如意な結果になってしまっている。

 ティアナは何とかして止められないか、サチェグに問おうとした。
 けれども、サチェグは無言と苦笑で以てそれを拒絶した。

 彼は、有間を止めるつもりはないようだった。



‡‡‡




「この裂け目に入って真っ直ぐ歩け。そうすればラウラの隠れ家に続く。彼女かゲルダにこの手紙を見せれば、匿(かくま)ってもらえるだろう」


 鯨はバルタザールにぞんざいに説明し、懐にラウラに向けた手紙を押し込む。態度が恩着せがましいのは、この裂け目が非常に手間がかかる術であるからだ。鯨自身、滅多に使わない。

 バルタザールは穏やかな笑みでそれを受け、謝意を示した。


「助かった。鯨」

「貴様が勝手に俺を巻き込んだのだろう」

「砂月にも助かったと言っておいてくれ」


 砂月――――サチェグの本来の名前である。
 今となっては捨てた名だが、バルタザールやコルネリアだけは、この名を呼び続けたとサチェグ本人から聞いている。


「さっさと行け。俺はヒノモトに発たねばならん」

「ヒノモトに? あそこは今、危険だろう」

「邪眼一族の事情だ。死人が関与するな」

「そうか……そうだな」


 鯨は周囲を見渡し、バルタザールを急かす。
 彼に別れを惜しむ様子は無い。再会した時も驚きも何も無かった。

 邪眼と魔女の混血は、そんなものだ。
 薄情という訳ではない。情そのものを持ち合わせていないのだ。
 今の鯨は、奇跡に近いのだ。


「では、さらばだ。イサ」

「……」


 鯨は背を向けた。
 そのまま去るのかと思いきや、


「末子を連れ戻す。それで貸し借りは無しだ」


 そう、冷淡に告げた。

 彼の言葉の真意をバルタザールは察し、嬉しそうに笑みを濃くした。
 気付いていたのだ、彼は。
 自分がカリャンにずっとしていたことを。

 そしてそれに、分かりにくい感謝を示している。
 それはカリャンに対する意識も昔と違っているのだと、バルタザールには分かった。鯨の変化が嬉しくてたまらなかった。

 歩き出した鯨を暫し見送り、バルタザールは鯨の作り出した空間の裂け目に入る――――……。




































































「自分を恨む魔女に花を捧げるなど、馬鹿だろ」


 歩きながら、鯨は吐き捨てる。

 鯨は、拷問部屋に入った瞬間にそれを見つけた。
 カリャンの古びた服に隠れるように置いてあった空の薬瓶に、真新しい花が挿してあったのを。

 花はカリャン共々魔に堕ちたのだろう。
 最後まで鯨以外の誰にも気付かれることは無かった。



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