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11
連れてこられたのはヴィルトガンス湖。
有間は抵抗し、拘束の手を逃れた。
「……っサチェグ!!」
有間を拘束していた金髪の邪眼一族は両手を挙げにやにやとする。けれども、寒々しい景色の中進む人影を見て、一切の表情を消した。
彼の変化に、文句を言う気も、真意を問う気も冷めた。
「サチェグ」
「コルネリアの最期の約束くらい、守らせてくれや。アリマ」
「それが、ベルントを助けること」
「そーゆーこと。バルタザールが生きてたのは、驚いたけど。イサもイサで、あいつなりの感情で動いてるんだ、見逃してやってくれ。昔のイサじゃ、まるで考えられねえからな」
一瞬だけ、表情に安堵が見えた。
父性のようにも見える穏やかな眼差しは、過去を追っていた。彼の顔を見た有間は口を閉じる。何も言わずに人影を見やった。
すると城の方から、マティアスとティアナが走ってくる。人影――――否、バルタザールとベルントを見つけ、足を早めた。
有間が彼らに歩み寄ろうとすると、
「今の俺達は幻覚で隠れてるから、あいつらには見えねえよ」
「……傍観に徹しろって?」
「そゆこと」
サチェグは天を仰ぎ、目を細めた。「もうすぐ吹雪くかもな」ぼやく。
その声に重なって、マティアスの声が響いた。
「っ……止まれ! 止まらなければ……問答無用で斬り捨てる!」
サチェグはマティアスを視界に捉えて彼らに近付き始めた。有間も、一歩後ろをついて行く。
バルタザールらの動きが止まった。
「ずいぶん早かったな、マティアス」
「っ……その声は……!」
マティアスらは息を呑んだ。
バルタザールが、ゆっくりと振り返る。マティアス達の目に触れたその姿は、有間から見てもマティアスと瓜二つだと感じられた。親子でここまで似るって、あるのだろうか。
「何のつもりだ、バルタザール。王の鍵は見つかったが、どんなに探してもお前の遺体は上がらなかった。まさかとは思っていたが、本当に生きていたとはな……」
「生きながらえるつもりはなかったが、おせっかいな夫婦に助けられてね」
「トラウムの薬を盗んだのもお前か。ベルントが食事を摂ろうとしなかったのも、お前の差し金だな」
「さすがに察しがいいな、その通りだ」
一瞬、バルタザールがこちらを見たように思う。正確にはサチェグだが。
「トラウムの薬を盗んだの、俺なんだけどそれ言わないんだな、あいつ。俺とイサが荷担したの、バレてるって分かってるくせに」
のんびりと、サチェグは呟く。
「っ……なぜこんなことをする! 生きていたのなら、なぜ姿を現さなかった……!」
「私は死んだ人間だ。そして……この男もそうだ。ベルントは食事を摂ろうとせず、あの牢で餓死した、それでいいだろう」
「ベルントが何をしたか、お前も知っているはずだ。生きているとわかった以上、見逃すわけにはいかない……!」
マティアスが大剣を握った刹那、バルタザールを庇うように一つの影がそこに現れる。空間を切り裂くかのようにして出現した、鯨である。
二人は驚きつつも、有間がこれを予測していたのを覚えていたようですぐに落ち着いた。
「イサ殿、退いてくれ。命令はしたくない」
「……」
「イサ殿!!」
鯨はバルタザールを見、片手を挙げた。早く連れて行け、と言っているのだ。
されど、バルタザールは動こうとしなかった。
「……愚かだな。私が誰のためにこんなことをしていると思う?」
鯨が片手をおろす。分かりやすく嘆息した。
「私も、お前と同じだ。この身体にはベルントに斬られた傷跡が無数に残っている。私は戦いに敗れ、この湖の底に沈むはずだった。だが……ある夫婦に助けられ、一命を取り留めた。傷が癒えるまでの間……私はただ寝台に横たわり、ベルントの裏切りを放置することしかできなかった。真実を知ってもなお、この男が我々に刃を向けるかどうかは、私にもわからない。再びファザーンに仇をなす存在になるかもしれない」
それでも、私もお前も、この男を見殺しにできない。
マティアスにとってベルントは優しく厳しい父親代わり。
バルタザールにとってベルントは気の置けない唯一の友。
その存在は、大きい。
有間は渋面を作る。
マティアスの葛藤は分かる。バルタザールにとってベルントが大切な友人であったのも漠然と察する。
だが――――。
有間の思考を察したように、サチェグが有間の頭をはたいた。
「お前、本当ひねくれたな」
「……」
「……いや、罪無き子供一人をここまでひねくれさせたのはヒノモトの人間か」
からかっているのか、そう思って反論しようとした有間は口を噤んだ。
サチェグの顔が、氷のように冷めていたからである。彼はまた天を仰ぎ、腕を組んだ。
「邪眼一族なんてもん、作らなくても良かったんだよな。なのに、あの馬鹿な女神サマは……夕暮れちゃんのことを考えようともせずに」
「サチェグ?」
「そのうち、お前も分かる時が来るさ。ヒノモトに行くんだから」
背中を叩かれる。
何か含みのある言い方だ。
有間はサチェグを探るように見据えた。
サチェグは苦笑を浮かべて肩をすくめた。有間に城に戻るように言って、マティアス達に近付いた。
マティアスは、座り込んだ。
雪を踏み締め歩き出したバルタザール達、それを守るかのように追いかける鯨を見つめるだけ。
かと思いきや、バルタザールは足を止めて振り返る。
「……ティアナ」
私の息子を……この国を頼む。私の代わりに愛してやってくれ。
ティアナにそんな言葉を遺す。
ティアナは口を両手で覆い、マティアスに寄り添う。そうしながら、二人はいつまでも遠ざかる《死人》二人を凝視する。
「今なら……まだ間に合う。このままあの男を逃がすなど、一体誰が納得するんだ」
苦しげに漏らされる言葉。
彼の側に立ったサチェグは有間に城を指差した。二人に近付くのも駄目だ。
有間はマティアスとティアナを見、やおら足の向きを変えた。
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