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 何が起こったのか分からなかった。


 マティアスが突如昏睡した理由も、

 山茶花の顔中に邪眼が幾つも生まれている理由も。


 邪眼は一人に一つ。混血は二つ。
 それ以上持つことは無い。
 だのに――――咽、顎、頬、鼻の左右、こめかみ、額、沢山の目が様々な角度で瞼を開き、赤い瞳がぎょろぎょろと周囲を見渡している。
 邪眼など見慣れた有間でも、それは剰(あま)りに異様だ。

 邪眼で埋め尽くされた異形の顔を笑みに歪め、山茶花は自慢げに胸を張った。


「凄いでしょう、有間ちゃん。私にはこんなに沢山の邪眼があるの。元の邪眼が何処にあったかも分からないくらい」


 ……まさか、全身にも邪眼が?
 それじゃまるで百目鬼(どどめき)みたいじゃないか。
 これではもはや妖だ。如何な有間と言えど、この姿にはおぞましいとしか言えない。

 鯨は山茶花の状態に心覚えがあるようだった。
 舌打ちして有間の前に立つ。


「《夕暮れの虚(うろ)》に入ったか」

「うん。夕暮れの君がくれたよ。こんなに」

「シナリオ通りに進める為の駒になっているのだぞ」

「良いよ。ヒノモトを粛正するのは変わり無いんだもん」

「……」


 鯨は有間を肩越しに振り返った。

 思慮深い黒の瞳に込められた意を汲んだ有間は、ティアナの腕を掴んで部屋を飛び出す。


「アリマ! マティアスとイサさんは……!」

「山茶花なら鯨さんは傷つけない。マティアスだって眠らされただけだ。危害を加えるだけならわざわざ眠らせたりはしないだろ」


 マティアスは、多分目が合った瞬間術をかけられたのだ。目が合うだけで相手に催眠術をかけられる者も、ヒノモトにはいる。
 ティアナだって、山茶花に何かを術をかけられてしまうかもしれない。
 山茶花は、自らの手の内にあるカードを小出しにしている。伏せられたカードがどれだけ残っているのか分からない。そうやって、ティアナ達にも圧力をかけているのだ。有間を自ら手放すか、有間自身がティアナ達の為に離れていく――――そんな流れを作る為に。

 バルテルスの館を飛び出した有間は、何処に行くかで二の足を踏んだ。
 何処が安全なのか判断出来なかったのだ。マティアスがあっさりと術に陥落したのだからアルフレートだって危うい。
 ひとまず……城下に出るか――――。

 ティアナを呼んで、走り出す。

 が。


『有間!! こっちだ!!』


 不意に、その《言語》が耳に飛び込んできたのである。
 十年以上聞いていない懐かしい、邪眼一族の言語だ。
 山茶花の仲間かと真っ先に警戒して、有間は立ち止まって周囲を見渡した。

 だが、その警戒はあっさりと崩される。
 整備中なのだろう。この場から見える城の裏手に置かれている車輪を外された馬車から、見慣れた青年が手招きしていた。彼はこちらに逃げてこいと、邪眼の言語で叫ぶ。
 その声に周囲の兵士達が何の反応もしていないことに不審を抱きつつ、有間はティアナを連れて馬車へ駆け寄った。

 短く切った金髪をニット帽で隠したその青年は、間違い無くサチェグ。カトライア小劇場の大道具担当の気安い青年である。
 彼は周囲の様子を気にしながらまずティアナを馬車の中へ入れ、有間を招き入れた。
 扉を閉め、椅子に腰掛けた。
 大きく深呼吸し、胸を撫で降ろす。


「ふぃー、ここにいりゃ大丈夫だろ。災難だったな、二人共」

『その前に、何で君がうちの言葉が使えるのさ。それに、兵士達もあんな大音声で気にもかけていなかった』


 敢えてその言語で問いかける。

 だらけていたサチェグは頬を掻いて、ふと己の服の裾に手をかけた。がばっと上げて脇腹を晒した。
 有間とティアナは二人して息を呑む。

 そこには、彼の瞳と同じ碧(みどり)の色をした、別の目があったのだ。


「外国産だけど一応、純血種ね」


 愕然と言葉を失う二人に、サチェグは片目を瞑ってみせた。



‡‡‡




 有間は立ち上がりサチェグの鳩尾に容赦なく一発見舞った。
 馬車が大きく揺れサチェグが潰れたような悲鳴を上げる。

 ティアナが後ろから有間を拘束して宥めつつ座らせるも、有間は今度は足でサチェグを攻撃した。


「いてっ! いてっ! ちょ、何、何だよ扱い!? 助けてやったってに何で俺こんな扱い受ける訳!?」

「釈然としねぇ!!」

「こっちもこっちで釈然としねえよ! 同族ラブで行こうぜー!」

「死ね!」

「アリマ落ち着いて!! 助けてくれたんだし、それに話もちゃんと聞かないと!」


 仲裁し、ティアナはサチェグを見やる。


「……そ、それで、どうしてサチェグさんがここに、」

「いや、ちょっと知り合いのことが気がかりでな」

「知り合い?」

「ベルント。コルネリアっつーあいつの嫁さん、小さい頃から知ってるからな。処刑する前に様子をちら見に来た。そんでまあアリマの様子もついでに見ていくかーって気分になって、潜入したら死人が暴れてんじゃん? で、アリマ達が逃げたんで、術で瞬間移動して、逃げ込む場所を作ってやってたって訳。感謝しろよ? イサのお師匠様にしっかり守ってやってんだから」


 ティアナは驚きに手で口を覆う。


「イサさんのお師匠様!?」

「そ。バルタザールからイサを任されたの、俺ね。そっから暫く邪眼の里であいつを鍛えてやってた」

「鯨さん……一生の恥だろうな」

「おーいそこ本心漏らすな。イサにも何度も言われたけど」


 言われたのか。
 何だろう……サチェグの正体が分かっても大して驚きが無い。それどころではないからか。ただ、彼の年齢が非情に気になった。

 サチェグは肩をすくめ、馬車の扉の方を睨んだ。だが、口調は軽佻なままだ。


「しっかし……あの死人の嬢ちゃん。反魂には九割成功ってとこだけど、ひっどい身体じゃねえか。洗脳もされてるし。あれじゃあ生きた術士食って生き長らえてるパターンだ。その上夕暮れの君が管理してる筈の邪眼の半分は宿ってる。一ヶ月身体が保つかどうか……万が一保ったとしても妖化は免(まぬか)れねえぞ。早く滅してやらねえと。むしろ嬢ちゃんが哀れだ」


 有間は静かに頷いた。


「分かってるさ。でもあいつは物理じゃ死なない。身体ごと消滅させないと……」

「いや、ありゃ本体は別にある。難儀だろうが、それを壊せばあっさり消えるだろ」


 本体。となればヒノモトに行かなければならない。
 有間は立ち上がり、扉に手をかけた。


「まだ出ない方が良い?」

「あー……もうちょいだな。まだあいつの気配彷徨いてるし」


 有間は目を伏せ、意識を研ぎ澄ました。けれど、サチェグの言う気配は有間では掴めなかった。
 ……有間よりも技量のある邪眼一族らしい、サチェグは。認めたくはないが、仕方がない。


「アリマ。時間を潰すついでに、そっちで分かってること教えてくんね? カトライアで色ボケしてたからさ、ヒノモトの状況、全然分かってなくってさ」

「……分かった」

「サンキュ、友よ」


 にっこりと野性味含んで笑うサチェグに、有間は後頭部を掻いた。
 サチェグが純血の邪眼……ね。
 釈然としないものの平然と受け入れてしまうのは、やっぱり状況の所為だろう。普段の状態で言われたら、多分かなり取り乱していた。

 この状況で良かったと言って良いのか、極めて判断し辛いけれども。



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