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※注意



「っ……馬鹿、野郎……」


 マティアスは、呻くように声を絞り出した。

 有間はティアナに顎をしゃくってマティアスに寄り添わせた。


「あの男は、何もかも隠したまま、たった一人で冷たい湖に沈んでいったというのか? 冷酷で非情だと言われていた父親がこんなに不器用な人間だったなど、一体誰が想像できる……!? なぜ誤解を解こうとしなかった。なぜ誰にも真実を打ち明けずに、死んでいったんだ……っ」

「マティアス……」


 激情を吐露する彼に、鯨は静かに口を開いた。


「……あの男は、昔からそうだ」


 一つ二つ上なだけで偉そうに邪眼の文字を教えろだの、お前の邪眼を見せろだの、このケーキを食えだの、お前の国の料理は何だの、誕生日を教えろだの……一方的かと思えば下手な気を遣ってきて、鬱陶しいクソガキだった。
 元々の口調だったのだろう、少しばかり言葉遣いが荒くなっている。
 ティアナは彼を見、コルネリアの日記を見、唇を引き結んだ。


「行こう、マティアス。この日記を、読ませてあげるべきだと思うの。あの方って言うのが気になるけど……それよりも」


 マティアスは目を伏せ、小さく頷く。


「ああ……そうだな。ベルントが食事を絶つようになって、かなり日が経っている。間に合うかどうかわからないが、すぐに行こう」

「うん……!」



「――――じゃあ、今のうちに有間ちゃん連れて行こっかな」



 それは、唐突だった。
 背後から腕が伸びてきて首に巻き付く。
 えっと思う間も無く、視界に入り込んだ赤い糸の束……いいや、髪の毛。

 頭に何か載せられ、有間は身体を強ばらせた。

 鯨とマティアスが身構え、「山茶花!」――――その名を呼ぶ。


「驚いちゃった。いつの間にかお城に入れるようになってるんだもん。有間ちゃん、狭間さん、何かした?」

「……」

「あれ……聞こえてる?」

「アリマから離れろ。闇眼教には渡さない」

「やぁだ」


 ぎゅっとより密着され、顔が横に来る。


「だってヒノモトの状態がもうすぐ変わっちゃうんだもん。有間ちゃん達がヒノモトに入れなくなっちゃう」

「ヒノモトに入れなくなる?」

「そう。王子様から竜を取り出そうとしたら、邪魔が入っちゃって、それで竜になった王子様の所為で大気が乱れたの。陰陽のバランスも崩れちゃって、国境付近が今、陰の気が異常に濃くなっちゃった。あれじゃあ、毒樹が沢山生えちゃうかも」


 鯨が顔色を変える。

 有間もまた同様の反応をした。
 国境付近に、毒樹が生えたら、この季節――――。


「北西への風でファザーンに毒樹の毒素が運ばれる……!」

「そうなの。だから、その前に有間ちゃんと鯨さんと……あ、あと有間ちゃんの旦那さんもか。ヒノモトに連れて行っちゃおうと思って」


 鯨が身を低くする。片手の指を複雑な形に組み、早口に詠唱する。
 その手を薙いだ直後山茶花が離れた。

 有間は即座にティアナの方へ駆ける。途中マティアスに腕を掴まれ強く引かれた。


「ティアナと共に退がっていろ」

「……」


 有間は山茶花を見やり懐に手を突っ込んだ。
 ティアナを背に庇いながら馬上筒を取り出し山茶花に向けて発射する。

 気の弾丸は、彼女の心臓を的確に捉えた。
 山茶花は笑みを浮かべたまま後ろに倒れる。

 見ていると眩暈がしたが、首を左右に振って耐えた。


「アリマ!」


 ティアナが肩を掴んで咎めるのをやんわりと剥がす。
 山茶花を見据え、片目を眇めた。


「……駄目か」


 苦々しく呟く。

 ややあって、山茶花の身体が起き上がる。
 心臓を貫いた筈だのに、にこにこして立ち上がる。
 胸を真っ赤な血で染めながらも何事も無かったかのようにそこに立つ。


「酷いよ、有間ちゃん。撃つんだったら撃つよって言ってくれなきゃ。驚いちゃう」

「そう。じゃあまた撃つよ。今度は頭を」

「どうぞ。心臓を撃っても脳を撃っても、私は死なないから」


 両手を広げる彼女は、ふんわりと、優しく微笑む。
 殺そうとする友人を赦すような、そんな笑みが――――有間の胸を抉る。

 二度目の発砲。
 弾丸は山茶花の側頭部を掠めただけだ。
 舌打ちしてもう一度撃とうとすると、後ろからティアナが抱きついて止めた。


「アリマ、駄目!!」

「ちょ……っ!」


 バランスを崩し危うくあらぬ方向へ発砲しそうになったのを落として回避し、ティアナを怒鳴りつけた。


「あ……っぶないだろうが!! 一歩間違えたらティアナ撃ってただろ!」


 ティアナは肩を縮めすぐに離れる。


「ご、ごめん……でもあの子アリマの友達なんでしょう?」

「それは、あいつが生きてた頃の話! 今はあいつ生きてる方がおかしいの! 分かる!? あれ、ゾンビ! 死人! アンデット! 理解出来る!?」

「落ち着けアリマ。気持ちは察するが、取り乱すな」


 マティアスに諭されて、ティアナ諸共強引に背後に庇われてしまった。

 山茶花は部屋の中を見渡し、何かに気付く。


「あれ……旦那さんいないね」

「アルフレートなら席を外している」

「旦那さんで通じるの止めてくれない?」

「「違うか(の)?」」

「違うから。いやそこハモんな敵やぞ。あいつ敵やねんぞ!」


 マティアスは肩をすくめ、山茶花を見やった。

 くすくすと笑う山茶花は顎に手を添えて、ふむ、と考え込む。


「そっか……どうしよ。あんまり長くはいられないし……しょうがないね。有間ちゃんと狭間さんだけ連れて行こ」


 掌に拳を落とした山茶花は、マティアスににっこりと笑って見せた。

 瞬間――――。


「え……?」


 マティアスが、倒れた。



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