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アルフレートは、有間の部屋のソファに眠った。自らそう言い出したのではなく、有間が風呂で部屋を離れている間に眠り込んでしまっていたのだ。
さすがに起こすのも気が引けたので、女官に頼んで毛布を用意してもらい、起こさずにそのまま寝かせることにした。
有間はベッドで寝たのだが……念の為、寝衣では寝なかった。本当に、念の為に。
朝目覚めた時のアルフレートの慌てようと言ったら無かった。アルフレートも有間も特に何もしていないと教えてやれば安堵したように笑ったが、手間をかけさせたことを謝罪した。
鯨と有間が出て行った後、アルフレートは鍛錬に没頭していたらしい。自身を落ち着かせようとしてのことだったらしいが、それが効果を為したか微妙なところのようだ。
朝食も、昼食の間も、ずっと上の空だった。
しかし、有間はそれでも敢えて何も言わず、ただ他愛ない話を振った。たまに、反応が返ってこないこともあったが、そこは流した。
アルフレートが騎士の間へ向かった後、暫くアクセサリーを作っていた有間だったが、朝に作りかけていたマティアスの物まで完成した頃にバルテルス邸から呼び出しの使いが来た。
鯨が封印を解いたのだ。
アルフレートを呼ぶべきかと考えたが、武具の点検があると言っていたから、抜けられるかどうか分からない。ならば自分が行って後か話してれば良いかと、一人マティアスの私室を訪れた。
マティアスの私室にはマティアスは勿論、ティアナと鯨の姿があった。クラウスは、今朝早くにカトライアへ戻ったようだ。これ以上ファザーンの深みに関わるのは止めておこうと、彼自身判断したのだろう。くれぐれも無理をするなと言う、彼らしい伝言も貰った。
マティアスが鯨に頷きかければ、まず彼は手紙を取り出した。受け取るなり広げ、視線を落とす。
ややあって、読み上げ始めた。
『王の証である鍵を手に入れた者へ
これを手に取るのは、我が息子マティアスだろうか、それともベルントだろうか。それ以外の、私の知らぬ者かもしれない。』
ティアナが顔色を変えた。
「……あの部屋へ入れるのは、王の鍵を持つ者だけだ。となると、俺の前にこの鍵を保管していた、バルタザール以外考えられない」
前王が、この手紙を……地下室を開けた者に向けて遺したのか。
マティアスか、《ベルント》か――――となれば、バルタザールがベルントの動向に気が付いていたのだろう。
マティアスは努めて静かに、手紙を読み続けた。
『この部屋を見たのなら、だいたいの想像はついているだろう。……いや、この部屋に縛り付けられたカリャンという女性に全てを聞いたのかもしれぬか。
ここはファザーンの王族たちが代々魔女を囲ってきた部屋だ。
私は彼女たちを解放しようとした。
だが、他国にその力が流出することを恐れた者たちの手により、彼女たちの命は奪われてしまった。カリャンも、その渦中に巻き込まれ、ファザーンへの、私への憎悪によってこの部屋に縛り付けられた憐れな女だ。
一部の者の暴走により、魔女たちを苦しめ続けたファザーンの歴史には終止符が打たれたが、その無念が晴れたわけではない。
その証拠に、ファザーン王家の血筋は、今も魔女によって呪われている。
私も例外ではなく、我が息子マティアスも、その呪いから逃れることはできなかった。私はただの一度も、我が子を腕に抱くことができなかった。マティアスも恐らく、同じ苦しみを背負うだろう。
マティアスだけでなく他の息子たちにも、この先何があるかわからない。彼らに罪はないが、ファザーン王室には、虐げられた魔女たちの怨念が刻み込まれている。彼女たちを利用し続け、強引にその命を絶った者……私の兄弟の血を全て捧げても、その罪は許されなかった。
最後の一人となった私が王位を退き、この命を絶ったとしても、彼女たちの無念は晴れないだろう。
王の鍵を相続した者は、この事実から目を背けてはならない。
永遠にその罪を胸に留め、償い続けて欲しい。
そして願わくば、この世界の何処かにいる鯨という男を見つけ出し、ただ一度カリャンに会わせてやって欲しい。もし彼がファザーンを憎んでいたとしても、それはファザーンの罪。我が友、鯨には、決して手を出してはならない。
バルタザール・バルテルス・ファザーン』
手紙は、そこで終わっている。
マティアスは苦虫を噛み潰したような顔で、手紙を見下ろした。
「にわかには信じがたいことばかりだが、バルタザールが即位前に血の繋がった兄弟を皆殺しにしたのは……あの地下室で魔女を囲い、虐げていた者達を自らの手で粛正したということなのか?」
「それに、非常で冷酷だと噂されていたバルタザール陛下が、マティアスと同じ呪いを身に受けていて……その弱みを隠し通すために、周囲に誤解され続けていたんだとしたら……」
「バルタザールが俺と同じ体質である可能性は薄々感付いていた。だからこそ、そういう血筋なのだろうと思っていたが、世継ぎである男児を腕に抱けぬ呪い……。あの男も、俺と同じように、苦しんでいたのだとしたら……」
暫し、その場には沈黙が横たわった。
それを破ったのは、有間だ。
「……というか、鯨さん、バルタザールに我が友って書かれてるけど」
「あの馬鹿が勝手に言っているだけだ」
元一国の王を馬鹿呼ばわりとは。
鯨は無表情に吐き捨て、促すように、今度は小さな本をマティアスに差し出す。
それを受け、マティアスも本を開き、中身を改める。
「これは……日記のようだな。だが、一体誰の――――」
言い差し、マティアスは手を止める。
一転食い入るように文面を凝視し、目を剥いた。
「……!? これは、まさか……」
「何かわかったの? マティアス……!」
マティアスはページをめくっていき、記述を確認する。
「間違いない。この日記は、ベルントの妻、コルネリアの物だ」
コルネリア……ベルントの妻。
ああ、バルタザールが人質として幽閉したって言う。
ティアナがマティアスから日記を受け取り、日付を確認する。
「一四九七年三月の日付が書かれてる。というと、今から十三年前の話……?」
日記の記述を、ティアナは読み上げた。
『ハイドリッヒ家のアンゲリカさまが、お世継ぎであるマティアス殿下を排除し、エーベル殿下を次期王にするため、協力者を吟味しているという噂を聞いた。私はただ、大事に至らなければいいと願っていたけれど、すぐにそれは他人事ではなくなってしまった。
アンゲリカさまはベルントに接触し、懐柔しようと企んでいる。
ベルントはバルタザール陛下の腹心であり、マティアス殿下の指南役で、マティアス殿下のお相手をしていると気のあの人は、本当に幸せそうな顔をしている。
私は子供の頃から身体が弱く……あの人の子供を産むことは、きっとできない。だからこそベルントは、殿下を実の息子のように、想っているのかもしれない。そんなマティアス殿下を、彼が裏切ることは決してないと信じたい。
だけど……あの人は、バルタザール陛下の忠実な家臣で一生を終えることなど望んではいない。時折垣間見せる彼の獰猛で野性的な一面に、きっと陛下も気付いていらっしゃるだろう。アンゲリカさまが、ベルントを懐柔しようとしたのも、彼のうちに燻(くすぶ)る野心を見抜いたから……。
だけど私は、この国に無用な混乱が起きることは望んでいない。あの人の本意ではなかったとしても、バルタザール陛下と共に、この国の行く末を見守って欲しい。
だけどそれは……彼にとって、とても残酷な望みなのだろう。王としての資質に恵まれ、バルタザール陛下と同等か、それ以上の力を持ちながら、常に二番手に甘んじ、誰かの引き立て役で一生を終えるなど、死んでいるのと同じなのかもしれない。
もし私が男だったら、彼の苦悩を、わかってあげられただろうか。それともあの方に彼のことを任せていたら、私以上に抑止力になってくれただろうか。
例え王になれずとも、誰もがうらやむ富や権力を手に入れ、これ以上何を望むのか……。
……これ本当に、彼のためになるかどうかは、わからない。
だけど、たったひとつだけ、彼の裏切りを阻止する方法がある。
もし彼が叛意を持てば、バルタザール陛下はその命を見逃してはくれないだろう。
私は……あの人を失いたくない。どんなに惨めでもいいから、生き抜いて欲しい。愚かな計画だとわかっているけれど、あの方と違って何の力も持たない私には、他に方法がない。
彼の裏切りを阻止するために、バルタザール陛下が私を人質に取ったと知れば……ベルントは陛下を憎み、その忠誠心は消え失せるだろう。今よりもっと、彼を苦しませてしまうかもしれない。それでも……アンゲリカさまの反乱が成功するとはとても思えない。彼の命を救う手段は、他にないのだと私は信じる。
もしいつか、この日記を読んで、真相を知れば……なんと愚かな女だと愛想を尽かすでしょうね。
でもこれが、今の私が表現できる、唯一の愛の形……もしいつか、あなたが違う道を選ぶことができたとしても……そのとき、私は隣にいないかもしれない。
それでもこの決断が、あなたをこの世界で生かし続けると、信じています』
そこで、記述は終わっているらしい。
ティアナの音読は止んだ。静かに日記を閉じ、涙を拭う。
「ねぇ、マティアス。この記述が本当なら……」
「ベルントの妻自身が、前王とベルントの対立を回避する為人質を志願したってこ――――」
――――ダン!
マティアスが、机に拳を落とした。
有間とティアナは同時に彼を見やった。
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