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 それからのティアナは、ベルントがどうしても放っておけないようで、翌日も牢屋を訪れた。
 当然、有間も一緒だ。
 どうせ無駄な問答になるだろうに、どうして処刑間近の人間にそこまでして生きて欲しいのか……彼女は人間の汚い部分を見ずに育った優しい娘であることは有間も彼女の一番の長所として認めている。けれどもそれは場合によりけりだ。
 その行為が残酷であると、彼女は分かっているのだろうか。分かった上で、対話を求め、食事を勧めているのだろうか。

 有間は、今度は牢屋の外で彼女を待つ。ティアナにそのように言うと一瞬心細そうな顔をしたが、有間は決して中には入らなかった。
 中に入ったとて、有間はベルントの言葉を一部肯定するだろうし、ティアナの行動を責めもする。そういう役割でティアナに同行している訳ではないのだ。だったら、事前に回避しておいた方が良かろう。

 有間は冷たい壁に寄りかかり、腕組みして耳を澄ました。一応、鍵は開けたままにしてもらっている。何かあった時に有間が介入出来るように。


「ベルントさん。またスープを持ってきました。今日は、パンも焼いたんです。お願いですから、食べて下さい」

「……どうやら、私の忠告が耳に入らなかったようだな」

「忠告はありがたいですけど、あなたの言葉には従えません」


 ティアナは頑なに言う。

 ベルントは溜息をついた。


「……何も、話す気はない。その皿も下げてくれ」

「そんな……! もう何日も水しか飲んでいないって聞きました。どうして、そんなことをするんですか?」

「お前には関係のないことだ。それに、私が飢え死にしようが処刑されて死のうが、同じことではないのか?」

「っ……それは……」


 ティアナは多分、泣きそうな顔をしているだろう。

 けれども有間はその場を動かない。うちのこういうところ、ティアナには嫌われてるんだろうなあと思いつつ、腕を組み替えた。

 それから暫くして、ティアナは驚いたように声を震わせた。


「ベルントさん……もしかして、マティアスが、処分を下すのをためらっていると知っていて、こんなことを……?」


 あなたが自ら命を絶てば、マティアスは苦しい決断を迫られずにすむ。だから――――。
 ティアナのあくまでベルントを……いや、ベルントを信じるマティアスを信じるような言葉を、ベルントは嘲笑って遮った。


「お前の目に、私はどれ程のお人好しに映っているんだ。私がマティアスのために、自ら命を絶とうとしているだと? 傑作だな。お前もマティアスに負けず劣らずの間抜けらしい」

「っ……だったら、なぜこんなことを……!」

「言っただろう。何も話すつもりはないと」


 皿を下げてくれ。
 彼女を拒絶し、また黙りを決め込む。

 ほら、また同じ結果。
 有間は嘆息し、一足先に牢屋を出、外に待機していた兵士に声をかけた。



∞∞∞∞∞∞



 ティアナと共に、有間の私室に入る。
 悲しげに沈んだ彼女に声をかけずに、有間はソファに腰掛けた。


「アリマ……」

「慰めも励ましもしないよ」


 目を伏せ、上を向く。


「マティアスがベルントのことを大事に思うのは彼の勝手だ。だがたったそれだけのことで罪を毅然と裁けないのは王としてはいただけない」

「でも……何かある筈よ」


 有間は溜息を漏らし、腰を上げた。

 ティアナがつられて立ち上がるのに、片手を挙げた。


「ちょっとその辺彷徨いてる。落ち着いたら自分の部屋に戻りなよ。……と、」


 そうだ。ついでにマティアスに渡してもらおう。
 有間は机に近付き、引き出しを開けた。

――――直後、動きが止まる。
 真っ白な封筒の上、見慣れぬ新聞の切り抜き。その見出しを見た有間は目を剥いた。しかしすぐに平静を取り戻した。目的の物を取り出し、切れ端を懐に入れる。

 ティアナを振り返って封筒を差し出せば、彼女は不思議そうに首を傾けた。


「これ、マティアスに渡しといて。ティアナは……いや、マティアスが決めることか。マティアスに先に見せて、見て良いと言われるまでは見ないで」

「……? 分かったわ。マティアスに渡せば良いのね」

「そう。じゃあ、うちはちょっとふらふらしてくるから」


 私室を出て、有間は大股に廊下を歩いた。
 アルフレートは兵士達の鍛錬中。クラウスはまだこちらにいるが、鯨の手伝いをしていると聞いた。
 ……マティアスにさえ気を付けていれば、城の敷地内でも平気か。

 ハイドリッヒ家の館を出た有間は、人目の無い場所を探しながら歩いた。
 丁度良い場所を見つけ、懐から取り出した切り抜きを読む。

 見出しは『闇眼教 ファザーン王子拉致』
 内容は最初だけは見出しから有間が想像したものと同じだ。

 ただ、その後半はディルクが救出されたと言うもの。
 よくよく読んでみると、五大将軍の一人、田中東平が闇眼教に囚われたディルクを救出したものの、闇眼教に追われているうちに軍との連絡を絶ったらしい。

 日付は、今日だ。
 ディルクが今度は花霞姉妹の管理下に置かれるのか。
 闇眼教にいられるよりましなのか否か分からない。どちらも、きっと竜の力を利用しようとするだろう。

 ……だが、待てよ?
 ヒノモトで竜が暴れたら、太極変動はどうなる?
 質の違う強大な力に乱されて、波紋を広げて――――何が起こるか分からない。


「……ん? 太極変動?」


 何、太極変動って。
 いつそんな話が……本当に出たっけ? いや、出たか。でもいつだったか分からない。
 思い出そうとすると、不意に頭痛。鋭利な刃物で突き刺されたような激しい痛みに顔を歪め、有間は一旦思考を止めた。

 何か……変だ。
 ラウラの救出に動いた頃からだろうか、記憶が抜けている、或いは曖昧な部分が数カ所ある。
 一体、どうなってる?
 再び思案の海に沈もうとすると、それを頭痛が阻む。

 これ……うちが死んだのに生き返ってた時にも似た頭痛があった。
 思い出すなとばかりに突き刺してくる痛み。
 誰かが、記憶を封印している?


「鯨さん……かな」

「俺がどうかしたか」

「へ? ――――のわぁっ!?」


 唐突に答える声が闖入(ちんにゅう)し、間の抜けた声を上げた有間は振り返った瞬間その場から跳び退いた。

 そこには、雪景色にくっきりと浮かび上がる鯨。無表情に、有間を見据える。


「ここでこそこそと何をしている」

「いや……迷っ――――つ、机の中にこれがあってさ。念の為まだマティアス以外の誰にも見せない方が良いかなって思って」


 鯨に視線で脅されて切り抜きを差し出すと、その文面を見た彼は目を瞠った。


「誰が……」

「分からない。ただ、この間山茶花に接触されてさ、買い物に付き合わされた代価に闇眼教がディルク王子を誘拐したって暴露された。一応さっきマティアスに知らせはしたけど……、まだ本当なのかは――――」


 有間はそこで言葉を区切った。
 視線を感じ視線を上げる。


 と、城壁の上に誰かが立っているではないか。


 黒髪に、赤い目の、女。
 彼女は有間と目が合うと、彼女は艶やかに微笑んで、すうっと薄らぎ姿を消した。


「今の……」


 有間は、眉間に皺を寄せた。
 あいつ……確かザルディーネで!

 鯨を呼ぶと、彼は答えも返さず有間の腕を乱暴に掴んで歩き出した。


「ちょ、い、鯨さん?」

「あれに構う必要は無い。それよりもマティアス殿下のもとへ行く」


 この件は彼らに伝えておくべきだと、鯨は言った



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