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 牢屋はさぞ寒いことだろう、そんな予想は入った途端に裏切られた。
 凍死しないよう、しっかり暖は取ってあるらしい。廊下よりも少し室温は高かった。
 兵士に続き手作りのスープが乗ったウッドトレイを持ったティアナの後ろにつき、有間はむずむずする邪眼を手袋の上から押さえた。まだ、ベルントに邪眼を突き刺された痛みは鮮明に記憶されている。その後自分でもう片方も殺した精神を今更疑ってしまうくらいだ。もう二度と、殺しはすまい。


「ティアナさま、アリマさま、どうぞ。お気をつけて……」

「ありがとうございます。すぐ戻りますから」

「何かあったら、呼びますし」


 揃って頭を下げると、兵士はベルントの牢の鍵を開け二人を入れた後すぐに施錠された。蝶番(ちょうつがい)が錆びているのだろう、耳障りな音が聞こえる。

 ティアナは再び兵士に頭を下げ、牢屋の奥に座り込むベルントに声をかけた。


「厨房を借りて、スープを作ってきました。よかったら食べて下さい」


 うなだれたままこちらを見ようともしないベルントは、一目で分かる程に衰弱していた。人間飲まず食わずでも一週間は生きていけるが――――精神状態は保証しないが――――環境のこともある、これでは餓死する以前に何かしら病を罹患(りかん)してしまいそうだ。

 素足は足首を鉄枷に拘束され投げ出されている。肌は乾燥しひび割れが出来ているし、爪は紫色だ。

 ティアナがトレイを持って更に近付くのを、有間は彼女を呼んで止めた。


「それ以上近付くなよ、ティアナ」

「え?」

「……そこからほんの僅かでも近づいてみろ」

「!」


 初めて、ベルントが口を利いた。
 有間の警告を肯定するように、物騒な言葉を吐く。


「この鎖を限界まで伸ばせば、お前の首をへし折ることができる」

「そうなったらうちがお前を殺すけどね」


 有間はティアナの手からトレイを取り上げると、彼女の足下に置いた。手を引き、無理矢理に距離を取る。

 それを気配と物音で察したのだろう。


「何をしに来た。マティアスの差し金か?」

「……いいえ。ここに来たのは、私の意志です。それより、温かいうちに召し上がって下さい」


 有間は腕を組み、吐息を漏らす。
 結局、彼女はベルントに料理を作った。
 何度も止めたが、スープだけならと頼み込んで来るだけで全く折れなかったのだ。

 しかし、案の定。


「食事は必要ないと言ったはずだ」

「なぜですか? こんなことをしていたら、あなたの身体が……!」

「……これから処刑される男の身を案ずるのか? その娘にも言われたのではないか?」

「言ったよ。でも、どうしても食べてもらいたいんだって。すいませんね、平和な温床育ちで」


 ティアナは有間を振り返り、物言いたげな顔をする。
 けれども有間が睨むと、眦を下げてベルントに向き直った。


「私は……あなたのことが、許せません。マティアスを裏切り、傷つけ……お優しかった法王陛下まで狙った。だけどマティアスはあなたを憎みきれず、苦しんでいます。幼い頃、あなたに与えられた愛情が、自分を育ててくれたって……」


 ベルントは、黙りだ。


「聞かせて下さい。どうして、マティアスを裏切ったんですか? マティアスは、この城にあなたの奥さんが幽閉されていたのが事実かどうか、確認したと言っていました。だけど、どんなに探しても、その痕跡は見つからないって……」

「何も答える気はない。どんな言葉を弄しても時間の無駄だ」

「っ……ベルントさん……」

「それと……ひとつ忠告してやろう」


 今すぐ、この城から立ち去れ。
 ベルントは冷たく言い放つ。

 ティアナは肩を小さく跳ねさせ言葉を詰まらせる。


「……っ、それは……私がマティアスの正妃としてふさわしくないということですか?」

「そうだ。お前はファザーンの正妃にふさわしくない。そこの娘も、そう思っていることだろう」


 不意に話を振られ、有間は肩をすくめた。あっさりと首肯する。


「そうだね。一国を率いる王の正妃に、政のことなど何も知らない、ただお人好しなだけのひ弱な正妃。一時の英雄伝になんて縋れない。すぐに王の周囲から目を付けられ、騙され利用され、翻弄されるだろう」

「そしてお前も、もう暫くすればこの国にいられなくなるだろう。《闇眼教》のことは、もうファザーンにも出回り始めている。お前が消えればその女は孤立無援だ。マティアスとて、完全には守れまい」

「……ティアナの覚悟が不十分なままなら、ね」


 ちらりとティアナを見やると、彼女は拳を握り締め俯いていた顔を上げた。


「私がファザーンの正妃として、不相応なのはわかっています。アリマにも、自分の覚悟は生半可なものではないのか見直せと言われました。でも、私は私なりに覚悟を決めています。見直しても、本当に正しいのか考えても、やっぱり私の意志は変わりません。この国の一員となり、マティアスを側で支えると……この覚悟を、私は生半可なものではないと言い切れます」

「……」


 ベルントは立ち上がる。眉間に皺を寄せ、ティアナを強く見据えた。

 ティアナは怖じ気付かない。全身に力を込めて、それを正面から受け止める。


「似ていないと思ったが……その意志の強さはそっくりだな」

「え……?」

「言い方を変えよう。この世界中で、お前ほどファザーンの正妃にふさわしくない女はいない。それは、お前が庶民であることも、カトライアの人間であることも、関係ない。例えお前をファザーンの正妃に据えたところで、我が国が犯した罪は決して許されないだろう」

「罪……?」

「地下の拷問部屋で殺された魔女達のこと?」


 ベルントは有間を見やり、口角を歪めた。


「……見たのか、あの部屋を」

「カリャンさんは消えたよ」

「……そうか」


 彼はその場にどっかと座り、それ以降何も語らなかった。
 だが、カリャンのことに触れたその直後、一瞬だけ目が穏やかになったような、そんな気がした。



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