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 ここは暗くて、冷たくて、臭くて、息苦しい。
 とても人の住む環境ではない窮屈な石造りの部屋に押し込まれて苦役を強いられ、命果てて逝く。

 何の為に生まれたのか、何の為に生きているのか、分からなくなる地獄の空間だ。
 その中に無理矢理連れ込まれ、愛するお国の為、愛する夫の為、愛する我が子の未来の為に得た技術の粋を浅ましく醜い王家の欲望の為に振るわされる毎日。

 私にとっての心の拠り所は、我が子。
 佐波様が私に遺してくれた忘れ形見――――たった一人の私達の息子。

 この子だけは誰にも汚させない。誰にも渡さない。
 この子は、この子だけは、無事に外の世界に逃がしてあげたい。

 だから私は……憎い王家の子バルタザールに我が子を託したの。

 ……それなのに。


 それなのに!


 深夜かも早朝かも分からぬ部屋の外、螺旋階段を降りてくる複数の足音がする。
 その騒々しさに不穏を感じた私は誰よりも早くに目を覚まし、私に寄り添うように眠る少女を起こし、他の女性達も起こした。

 少女は――――ラウラは、私の緊張を察して私にしがみついて震える。目の見えない幼いこの子にとって、迫り来る足音は私達以上に脅威に感じられる。
 ここでは私が、彼女の母親代わりだった。絶対に守り通さなければならない。この子も鯨と同じ、私の大事な子供だから。

 ラウラはその見に厄介なモノを抱える爆弾のような子供だった。それを、王家の人間共は分かっている。ラウラを戦争に巻き込むことは必定だった。
 ガチャガチャと金属を擦れ合わせる音の後、扉が乱暴に開かれる。
 私は怯える魔女達に隠れるようにしてラウラをキツく抱き締めた。彼女が恐怖の中でも少しでも安心して入れるように、私が守るのだ。鯨を満足に守ってやれず、バルタザールに頼ってしまった無力な私だけれど……この子は、絶対に守り抜いてみせる。


 けれど。


「ここから逃げて、早く!」


 聞こえた声は予想に反して私と同じ程の年の女。
 見上げればそこには平民と思われる身形の一組の夫婦。焦りに顔を歪めて魔女達に急ぎ外に出るよう促した。

 魔女の一人がふらりと立ち上がった。テンダ……私と同い年の、生まれた時からここに囚われていた子だ。


「逃げられる、の……?」

「私達は、その為に来ました。だから、早く」


 力強く頷く夫婦に、魔女達は一人、また一人と立ち上がって彼女らに歩み寄る。
 けれども私は……嫌な予感がした。

 私は夫婦を見つめ――――その後ろに気付いてしまった。


「駄目!!」


 咄嗟に叫んだが遅く。
 女は夫に抱き締められ庇われた。
 直後に夫の背中から血が噴き出す。愕然とする妻を突き飛ばしてどうと倒れ込んだ彼は、私達に逃げろ、早く、と喘いだ。

 夫を斬ったのは、王家の人間の二人だ。
 恐らくは王族の部下。
 彼らは無表情に、しかし私達を見下すように眺め回し、互いに頷き合って大股に部屋に入ってきた。二人共、すでに剣は抜いている。


 悲鳴。


 女は夫の姿に絶望した顔を見せるのも一瞬、身構えて魔女達を庇うように部下達に突進を見舞った。


「逃げて!! 早――――」


 無駄。
 最後まで言わせること無く、彼らは女を容易く切り捨てた。
 逃げ惑う魔女達は、元々運動もろくにしていなかったから身体はそれ程強くはない。いともあっさりと二人に捕らえられ、部屋へと戻され、一人一人斬り殺された。

 魔術を使って抵抗する者は真っ先に首を刎はねられた。

 子供を抱き締め泣き叫び神に祈る者は眉の間を貫かれた。

 逃げ回って恨み言を吐く者は切り刻まれ最後に心臓を貫かれた。

 無惨な光景が、私の目で繰り広げられる。
 私も、殺されるのだろう。
 ラウラだけは殺されない。彼らにとってラウラに秘められた魔は捨てがたい大いなる力だ。彼女だけ生かして利用するに違いない。

 守らなくては。
 私が、ラウラを守らなければ。
 私はラウラを呼び、立ち上がった。
 部屋の隅に退がり、側にあった儀式用の薬瓶を割って構える。ラウラは背後に隠した。

 私達以外の魔女を全て殺めた憎らしい彼らは、忌々しそうに私を見てゆっくりと歩み寄ってきた。


「おかあ、さん……」

「大丈夫。あなたは私が守るわ」


 血の繋がりの無い私を母のように慕ってくれるラウラが愛おしい。
 大丈夫。あなたは私が守るから。
 即席の武器にした薬瓶を握り締め、二人に襲いかかる。

 けども、やはり分かり切ったこと。手首を素手で叩かれ薬瓶を取り落とし、髪を掴んで左へと投げ飛ばした。たまたま椅子に座り込んだのを起き上がる直前に縫いつけられる。


 剣で心臓を、まるで虫の標本のように。


 私の口からこぼれた大量の血液が服を汚す。


「ラウ、ラ……ラウラ……!!」

「貴様らはもう用済みだ。この娘のみ生きていれば良い」


 冷たく吐き捨てられた言葉と共に、また新たな人間達が部屋に侵入してくる。彼らは嫌がり泣きわめくラウラを気絶させてぞんざいに連れて行く。
 手を伸ばすけれど、無情に振り払われる。
 私は見送るしか出来ない。

 嗚呼……嗚呼。
 こいつらはなんと汚らわしいのだろう。
 死んでしまえば良いのだ。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 死ね。


「……ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね」

「おい。こいつ心臓を貫かれながらまだ話しているぞ」

「……馬鹿な。おい、ちゃんと心臓を狙ったのか」

「当たり前だ! 確かに心臓を――――」


 片方が近付いてくる。

 赦(ゆる)さない。

 赦さない。

 赦さない。

 赦さない。

 赦さない。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……死ねえぇぇぁっ!!」

「な――――ぎゃああぁぁぁ!!」

「ひ、ひぃ……っ!? 何だ、これは……!?」


 私の身体から影が吹き出す。
 それは鞭のようにしなり、或いは槍のように突き出し、二人の男を襲う。

 剣を振るったとて無駄だ。それに実体は無い。
 私の憎悪が彼らを襲う。
 でも、足りない。

 こいつらを殺したって、ラウラを守らなければ意味は無い。

 行かないと。

 あの子のもとに。
 私が、あの子を助けなければならないのに。
 鯨も、ラウラも。

 私が、守ってあげない、と――――……。


「これ、は……一体どういうことだ……!?」



‡‡‡




 寂寞(せきばく)とした地下牢に、彼女は独りだった。

 独り椅子に、否、壁に縫いつけられ時を過ごす。



 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめん、なさい。



 その謝罪は誰へ向けられたものなのか。
 絶えず彼女はその場に留まり謝り続ける。



 ごめんなさい。

 私、守れなかった。

 あなた達を、守ってあげられなかった。

 ごめんなさい。


 鯨……今あなたは何処にいるの?

 ちゃんと、ご飯を食べているの?

 新しい土地でお友達は出来たかしら。

 もう、誰にも利用されていない?

 ちゃんと、ちゃんと、あなたの生きたいように生きている?

 憎い仇にあなたを託すことでしかあなたを助けられなかった愚かな母親だと、思っているかしら。

 ごめんなさい。

 今のあなたはどうなっているのかしら。

 無関心なままなのかしら。

 それとも、今は明るくなっているのかしら。

 嗚呼、会いたい。

 会ってあなたを抱き締めたい。

 ごめんなさい。

 私の可愛い坊や。

 ごめんなさい。



 嗚呼、ラウラ。

 可愛いラウラ。

 ごめんなさい。

 母親代わりだって自分で言ったのに私はあなたを守れなかった。

 私に母親になる資格は無いのかしら。

 ごめんなさい。

 あなたは今、何処にいるの?

 辛い思いしていない?

 寂しくて泣いていない?

 また、閉じこめられていない?

 ごめんなさい。

 抱き締めてあげたい。

 頭を撫でてあげたい。

 今度こそちゃんと守ってあげたい。



 それは届かぬ願いであった。
 彼女はこの場から動けない。この場……否、この城でのみ存在出来た。
 誰もいなくなり、堅く閉ざされた地下室で独り、彼女は泣き続けた。

 涙も無く、声も無く。
 謝り続けて泣き続けた。
 そして同時に部屋に残る魔女達の恨みの思念と共に、王家を呪い続けた。

 ファザーンが無ければ自分達はこんな目に遭わなかった。

 ファザーンがいるから私達は辛い目に遭わされた。

 憎い。

 殺したい。

 ファザーンなぞ、滅んでしまえば良いのだ。

 彼女は、彼女らは、ひたに呪い続けた。
 一生呪い続けるつもりだった。
 この誰も入らぬファザーンの大罪が集約された部屋にて、永久に晴れることの無い恨みを王家に注ぎ、彼らを苦しめ続けるつもりだった。

 憎悪にまみれ独りファザーンを呪い続ける彼女は、ふと感じた気配から、息子がまたファザーンに囚われていると分かった。今度こそ自分が助けようと動いた。


――――だのに。



「……い、さ」



 随分と背の高く、逞しくなった息子が、今彼女の目の前にいる。



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