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13
長く薄暗く、重い雰囲気が身体に負担をかけてくる螺旋階段を、狩間と明かりを持ったアルフレートが降りていく。
二人の後ろに続くティアナは、隣のマティアスの服を摘み続けていた。
螺旋階段に踏み入った時から、誰かに見られているかのような気がして落ち着かなかった。
ここにいるのは狩間、アルフレート、ティアナ、マティアス、クラウス、鯨の六人。
その筈だのに、他にも何人かいるような薄ら寒い気配を感じて仕方がなかった。
ここだけ異世界であると思えてしまう。それだけ空気が違いすぎた。
「アリマ……あの、」
この雰囲気について訊ねたくて狩間を呼べば、狩間は肩越しに振り返ってそら見たことかと片目を眇めた。
「感じるんだろ。ティナ。だから精神を強く持てと言ったんだ。自分を保てないようなら今のうちに戻っておいた方が良い」
「……だ、大丈夫……」
ここまで来て戻るなんて出来ない。
ティアナは一旦足を止めて大きく深呼吸した。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。
狩間もまた、足を止めて待ってくれていた。マティアスやアルフレートは心配そうに見つめる中、真剣な面持ちでティアナの様子を窺っている。
「……マティアスの正妃になるって決めたから。だから私も、ちゃんと見て、見たものを受け止めるわ」
「ティアナ……」
「んじゃあ、行くか」
狩間は再び歩み始めた。
クラウスが近寄り小声で問いかけてくる。
「本当に大丈夫なのか、ティアナ。何かを感じているようだが」
「うん。階段を降り始めてから他にも誰かがいるような気がするの。それで落ち着かなくて……あ、でも大丈夫よ。本当に」
「……無理なようなら、必ず言え」
「ありがとう」
ティアナは笑みを浮かべて見せた。
それから暫く降りて言って……階段が終わる。
目の前には物々しい鉄製の重い扉だ。来る者を全て拒絶するようなその堅牢なる姿にティアナも気圧される。中から悲鳴が聞こえてきそうで、一段と濃くなった複数の気配に怯えてマティアスに身を寄せた。
扉には三つの鍵穴が付いていた。
狩間はマティアスを振り返った。
「マチ」
呼べば彼は扉に歩み寄り、手を這わせた。
「……以前城内を徹底的に調べさせたが、どうやっても開かないのはこの扉だけだった。だが、この先に何があるのか、俺は把握していない」
アルフレートに目配せして端に寄る。
彼女は顎をしゃくって促した。
マティアスは頷き、手にした鍵と、懐から二つの鍵を取り出してそれぞれ鍵穴に差し込む。一つずつ、慎重に回した。
みたび聞こえた解錠音は、何かの悲鳴にも思えた。
マティアスが扉に片手を当て、ゆっくりと開く――――。
もわりとティアナの身を覆った異臭に、全身の毛が逆立った。
中は真っ暗だった。
中へ入ろうとしたマティアスを鯨が制し、先に入る。
「……暗くてよく見えないな。かなり広い部屋のようだが」
鯨の後ろに従い、マティアスは何うっすらとしか見えない部屋を見渡す。
狩間達も、警戒しつつ中に入った。
部屋の中は一際空気が重い。埃っぽくて不快な異臭に咳き込んでしまった。
その時である。
突如として首筋を冷たいモノで撫でられたかのような感覚に襲われティアナは肩を縮め小さく悲鳴を上げた。
なんだろう、この、すごく嫌な感じ……。
この感覚には覚えがある。初めてオストヴァイス城を見た時の感覚だ。それよりも、もっと、もっと強い。
拒絶されている?
でも、重い空気が臭いと共に身体に絡みついて動きを制限させる。
「ひとまず、危険はないようだな。明かりをつけるぞ。アルフレート」
「ああ。アリマ、ティアナの側にいてやってくれ」
「そうだね」
狩間はティアナに歩み寄り、頭を撫でる。
「大丈夫か?」
「今のとこは……でも、何だかここ……」
そこで、言葉が止まる。
アルフレートと手分けして燭台に明かりをつけていくにつれ部屋の中は明るく照らされ、全容が露わになる。
全てを見渡せる程になって、狩間、鯨以外の者は絶句した。
ティアナは口を両手で覆いひきつった悲鳴を上げた。
「あぁ……!」
「なっ……!!」
夥(おびただ)しい血痕は壁中に広がり、壁際にずらりと並んだおぞましい拷問器具すらも赤黒く汚す。
その奥には、木造の椅子に座る人形が在った。がっくりと力無くうなだれたこうべから長い黒髪がカーテンのように垂れ下がり、胴体を隠している。髪から覗く真っ赤なドレスは非常に古びているが、その下から伸びる二つの足は真っ白だ。
……え、人形?
あれは、人形……?
「……違う」
ティアナは呟く。
それが何なのか、分かってしまった。
狩間が、ティアナの身体を抱き寄せ、顔を肩口に押しつけた。
違う。
あれは違う。
人形じゃない。
人形なんかじゃ、ない――――。
女の人の、死体だ。
理解した途端、今まで感じていた気配が一気に身近に感じられた。
聞こえる。
聞こえた。
助けて。
痛い。
苦しい。
寂しい。
辛い。
ここから出して。
憎い。
殺したい。
出して。
出して。
出して。
「あ……ぁあぁ……っ」
「ティアナ? ティアナ!!」
折り重なる声は全て女性のものだ。全てが苦しみに喘ぎ、悲痛に叫ぶ。
助けられない。助けたい。けれどそう思う間にもくぐもった悲鳴が増えていく。
死んでいく。
現実なのだろうか、夢なのだろうか。
感覚が混じり合って分からない。
私は私なのだろうか。
それとも違う人なのだろうか。
今私の身体を抱き締めているのは誰だろうか。
今私に呼びかけているのは誰だろうか。
混ざっていく。
混ざっていく。
私とあたしとわたしと僕が混ざっていく。
出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して!!
鯨、鯨は何処にいるの?
あの子は生きているの?
痛い、苦しい。
私の可愛い坊や。
生きて、どうか、生きて。
痛い、痛い、痛い。
鯨。
私の可愛い鯨。
嗚呼……佐波(さば)様。
どうか、どうかあの子をお守り下さい。
『うあぁっ!!』
『嫌ああぁぁぁっ!!』
『坊や、坊やぁ……!!』
『ひいぃぃ!!』
『がふ……ぁあ……っ』
『……う、ぐ……』
真っ赤に染まる視界。
一面が、
血、
血、
血――――。
ぐさり、と。
「嫌あぁぁ―――っ!!」
鋭利な刃物に心臓を貫かれた。
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