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 鯨を出迎えたのはアルフレートであった。
 彼に一言断って部屋へ入り、ティアナが座るベッドへと歩み寄る。

 ベッドには青白い顔の有間が昏々と眠っていた。不安が生じて鼻の下に指を当てると暖かい息が当たる。その湿った感触に、鯨はほっと息を吐いた。
 ティアナとアルフレートに勧められてソファに腰を下ろす。

 それからややあって、マティアスも部屋に入ってきた。


「……有間に、何が」

「その前に、カリャンと言う女性に心当たりはあるだろうか」


 鯨はつかの間沈黙した。


「……俺の母です。この城に捕らえられ、ファザーン王家に殺された……」

「その思念がアリマに取り憑き、アルフレートを殺しかけた」


 マティアスは腰を浮かせた鯨を手で制し、話を続ける。
 彼曰く、その後にカリャンは死んだ筈の女官に取り憑いて自分の思う通りに動かなかった有間を殺そうとしたそうだ。

 女官の処遇について問うと、酷い叫びを上げたかと思うと力無く倒れた後に砂塵となって消えてしまったと言う。以後カリャンのことは分からない。

 簡単な説明を受け、鯨は長々と嘆息した。
 ゆっくりと腰を上げてベッドに歩み寄る。有間の頬を撫で、目を細める。


「俺を恨んでのことでしょう」

「イサ殿?」

「邪眼と魔女の混血は知識欲だけが高まり、人間らしい情に乏しくなる。俺も、母の死の報せには何も感じなかった」


 静かに、告げる。
 俺は、腹を痛めて産み、憎いバルタザールに頼ってまで俺を生かそうとした母親が死んだと知っても、ただの事実として淡泊に受け止めた。

 母のしたことを思えば鯨の無情さは彼女の怒りに触れても仕方がない。何よりも大切に守ってきたものに、冷たい仇で返されたのだから。
 母にはさぞ憎まれているだろうと、そう昔から思っていた。

 そう語る鯨に、ティアナは歩み寄って背中に触れた。


「違うと思います、イサさん。カリャンさんはあなたを憎んでなんかいません」

「……」


 鯨はティアナの言葉をただの慰めだと思った。彼女は平和な国で育ち、純粋な器量の良い娘に育った。それ故の思いやりなのだと。
 けれど――――。


「カリャンさんは言っていました。『私の息子を利用するつもりなのね』って……。あの人が憎んでいるのは……」

「先王バルタザールだ」


 鯨は弾かれたように面(おもて)を上げマティアスを振り返る。
 彼は申し訳なさそうに目を伏せていた。


「そもそもの元凶は魔女に耐え難い苦痛を与え続けたファザーンだ。イサ殿もカリャンも、ファザーンの身勝手で生を狂わされた被害者でしかない。……魔女について把握し切れていない俺が、心から謝罪しても虚ろなものだろう」


 最後の言葉は、酷く苦しげだ。
 鯨は沈黙し、有間に視線を落とした。頬にかかった髪を指で払い背を伸ばす。


「……母には、俺から話をしましょう。最悪、消せば良い」

「イサ殿。それは、」

「有間は狭間達の忘れ形見であって俺の子ではない。が、忘れ形見であればこそ、有間に危害が加えられるのなら敵は排除せねばなりません」


 あの牢獄へ、行かなければ。
 独白して身を翻すと、


「全員で行けば良いじゃないか」


 眠そうに間延びした声が、ベッドから上がった。



‡‡‡




「さっきから空寝で話を聞いていれば、しんみりしくさって……折角回復したのにこっちまで陰鬱になっちまうじゃねえか」


 のっそりと上体を起こしたのは有間――――否、狩間だ。
 欠伸をしてベッドから降りるのをすかさずアルフレートが支える。眠る前よりもしっかりとした歩きにティアナは内心安堵した。まだ本調子ではないにしろ、本当にある程度は回復しているようだ。


「大丈夫か、アリマ」

「ああ。眠る前よりは体調は良い。悪ぃな、迷惑をかけちまって」

「気にしなくて良い」


 アルフレートに支えられソファに腰を下ろした彼女は、胡座を掻いてまた欠伸を一つ。そしてアルフレートに自分の服を取るように頼んだ。
 着替えるのかと思えば、そうではないらしい。ポケットを探って何かを取り出し、マティアスに投げつけた。

 片手で受け止めた彼は手を開いてぎょっとする。狩間を凝視し、「何故、これを」と。


「山茶花が外で拾ってやがったんだ。魔女が捕らえられていた拷問部屋の鍵だ。開かずの扉、その存在くらいマチ達も知ってただろう? カリャンは今、そこにいる。今から行くぞ」


 着替えるから外で待っていろと、山茶花についての追求を許さず立ち上がった狩間を、皆総出で止める。だが狩間は飄々とした笑みを浮かべてこれを無視した。男衆を追い出し、ティアナに手伝ってもらいながら着替えを済ませた。
 外に出るが納得していない三人に、もう一人増えている。

 クラウスだ。後から来てマティアス達に話を聞いたのだろう。釈然としない顔で狩間を睨めつけている。

 それにラフな態度で片手を上げて口角をつり上げた狩間は、次の瞬間には真摯な表情を作って大股に歩き出した。


「……時間が無い。奴が現れる前にさっさとカリャンをどうにかするぞ」

「奴?」

「今は考えなくて良い」


 問いかけたティアナをぴしゃりと黙らせる。
 狩間は思案に没頭する鯨を一瞥し、ティアナを呼んだ。


「ティナ、精神を強く持っておけよ。次はお前に取り憑く可能性が高い」

「え……?」

「良いから、言う通りにしてろ」

「きゃっ」


 背中を強めに叩かれ、ティアナは短い悲鳴を上げた。
 抗議しようと見やるも彼女は真顔のままで。

 それに、何故かぞわりと悪寒が走った。



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