V
────

11





 有間――――否、狩間が目を覚ましたのは、昼を過ぎてからだった。
 気怠げに彼女はベッドから起き上がり、立ったと同時にその場に崩れ落ちた。アルフレートが抱え上げてソファに座らせると、ぐったりと背凭れに寄りかかって深呼吸を繰り返した。まだ体調は悪い。

 クラウスが水を与えるのに掠れた声で謝辞を言い、ゆっくりと、口内を潤すように時間をかけて飲み下した。


「……で、何か資料は見つかったか、マチ」


 マティアスは徐(おもむろ)に首肯し、手にした書類に視線を落とす。


「カリャン=イジュ=ヴランシューバン=ノウェーラ……遙か西の、今は亡き国の貴族令嬢だった。高い身分でありながら国の為に魔女となった娘。ファザーンはその国を滅ぼして彼女を拘束。その時すでにカリャンは子を身ごもっており、囚われた後に産まれた男児には左肩口に羊か山羊の目を二つ持っていたと記録にある。……この男児が、イサ殿なんだな」

「ご明察。カリャンは親の目に隠れて邪眼の男と逢瀬を重ねていた。鯨はその男との子供なんだ。一応は、夫婦の契りは交わしていたようだが、やはり内密にだった」


 邪眼の男は、病で死んでいる。カリャンが看取っていたから、彼女がたった一人で遺体を埋めて弔った。貴族の女一人で人目を盗んで男を弔うのは、さぞ苦心しただろう。
 ファザーンが国に侵攻したのはその直後のこと。

 狩間はマティアスの持つ書類を見つめながら、カリャン=イジュ=ヴランシューバン=ノウェーラの人生を語る。

 愛すべき罪無き民、一族郎党、更に忠誠を誓った王すらも惨殺されたカリャンはファザーンを憎んだ。
 憎み、憎み、憎み――――暗い地下牢で息子だけに縋って大事に大事に守ってきた。


「鯨がこうして無事でいられるのは、バルタザールがあいつを逃がしたからだ。術を扱えるようになる歳になれば、必ずファザーンに利用される。それを阻む為に、憎い憎いファザーンの王族、バルタザールの言葉を受け入れてカリャンは鯨を託した。けれど今、マチと鯨が共にいることを知ったカリャンの残留思念は、マチをバルタザールと見間違い、バルタザールが裏切ったと勘違いをした。そして息子を守りファザーンを呪う為に有間に取り憑いたって訳。正直、これは予想してなかったわ」


 唸るような声を上げてソファに横たわった狩間は、伏せ目がちに深呼吸をした。
 とても辛そうだ。


「アリマ……もう休んだ方が良いわ」

「ん……そうする……。昨日無理にカリャンの情報を読んだから、怠くてしゃあないんだわ。後は鯨が戻ってきてから」

「カリャンの情報を読んだ?」

「その説明もまた後でにさせて」


 ソファの上で身体を丸くする狩間を、アルフレートが気遣わしげに顔を覗き込んでそっと抱き上げた。


「大丈夫か。何か腹に入れたいのなら、ティアナに作ってもらうが……」

「あー……じゃあ消化に良い物。起きたら食べる……かもしれない」

「分かった」


 ベッドに戻った狩間はキルトにくるまって、目を細める。
 しかしマティアスを呼んで、


「マチ。お前に見る覚悟はあるか。ファザーンの業を背負う覚悟はあるか」


 ファザーンの王位を継ぐと言うことは、そう言うことだ。
 返答を待たずに、彼女は目を伏せて眠り込んだ。
 アルフレートが頬にかかる髪を退かし、もう一枚、毛布を被せる。


「マティアス。オレは暫く彼女の看病を」

「ああ。ティアナも、ここに残るだろう」


 マティアスが視線を向ければ、彼女は大きく頷いた。


「ならば俺とクラウスでもう少し、この城に捕らえられていた魔女について調べてみる。アリマのこと、頼んだぞ」

「ああ。……二人共、気を付けろ」

「お前達もな」


 クラウスに目配せして足早に部屋を出る。

 クラウスはアルフレートとティアナに有間のことを頼み、彼の後を追った。
 二人で調べたところで何か分かるとは思えない。実際、辛うじてカリャンや数人の魔女の記録が見つかった程度だ。

 鯨が戻るまで、大した成果は出せない可能性の方が高い。
 けれども、二人はよしや一縷(いちる)の可能性であろうと、少しでも手がかりを得たかった。

 特にマティアスは、ファザーンの王位を継いだ者として、クラウス以上に強く思うところがあった。

 ファザーンの業、それを背負う覚悟。
 狩間の言葉が頭に反響する。

 今更覚悟なんてする必要は無い。
 王位を継ぐと言うことは、そう言うことなのだから。
 そんなことはとうの昔に分かっている。



‡‡‡




 バルテルス家の館を訪れた時、懐かしい気配を感じた。
 鯨はマティアスの姿を捜しながら、その気配を追いかける。

 しかし近付こうとすればする程にそれは急激に遠退く。
 まるで、鯨と会うのを拒んでいるかのようだ。
 鯨は足を止め、眉間に皺を寄せた。


「何故……あなたの気配が」


 彼女はもう死んだ。
 看取ることも弔うことも出来ず――――その死を悼(いた)むこともせず。

 母の死にも心の動かなかった非情な息子を呪いにでも来たのか。

 鯨は肩に手をやって、爪を立てた。


 その直後である。


「イサ殿! 戻っていたのか!」


 背後から、マティアスに大音声をかけられた。

 緊迫した声に不穏を感じた。
 振り返って彼に頭を下げると、彼は青ざめた顔で今すぐに有間の元へ向かえと。

 ざわり、と鳥肌が立った。


「有間に……何か?」

「ああ。お前の母親が関わっている」


 鯨は瞠目した。
 すぐさま身を翻し、駆け出す。
 何ということだ。
 彼女は鯨ではなく、有間に復讐でもしたというのか!

 有間は、狭間とイベリスの忘れ形見。決して失ってはならない大切な娘だ。
 歯噛みし、鯨は窓から外へ飛び出した。



.

- 34 -


[*前] | [次#]

ページ:34/134

しおり