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首の骨が折れそうな程に首を絞める小さな手の力は強すぎ、全身に鳥肌が立つ程に恐ろしく冷たかった。
口からは真っ黒な恨み言。アルフレートではないただ一人の男に、どす黒い憎悪を向ける。
締め上げられている時、彼には分かった。
この有間は、有間ではない。
誰かが彼女にこのような真似をさせているのだ。
でなければ、有間の大きな紫色の瞳が、真っ黒に染まっている筈がないではないか。
有間を動かしているのは、誰だ。
「……アリマ」
手を伸ばして少女の名を呼べば、彼女は叫ぶ。
邪魔をするな、私がバルタザールを殺してやる、と。
一瞬だけ弛んだ両手を剥がしてベッドに縫いつけると、彼女は忌々しそうに、醜悪に顔を歪めた。愛する少女のかんばせで、そんな顔をされたくはなかった。こんな醜い表情など、似合わない。
アルフレートですらともすれば容易く拘束を解かれてしまいそうな程に抵抗は激しかった。腕にも噛みつかれそうになったのをやむを得ず手首を掴んだまま頭を押さえつける。頭蓋が割れない程度に加減しつつ抵抗を拘束するのは非常に難しい。
「アリマをどうした。何故お前はその男を殺そうとする」
「五月蠅い……!! 死ね! バルタザールなど、死ぬべきなのよ!! そうよ、最初からそうすれば良かった、あんな男、信じてはいけなかったんだわ……!」
別人だ。
有間の顔をしているのに、有間ではない。
出て行け、彼は一言強く命令した。どうしてそのように言ったのかは、自分でも分からない。ただ、言ってから有間の中に誰かがいるのかもしれないと感じ、だから別人になっているのだと納得した。
「出て行け。この身体はお前のものではない。有間の身体だ」
「五月蠅いと言っているでしょう……!! 私は、バルタザールを殺しにいく。そしてファザーンの人間も全て殺してやる!!」
彼女は歯を剥いて拒絶した。
けれど一瞬だけ漆黒の双眸に黄色の光がよぎった直後に、びくんと大きく身体が跳ね上がり、絶入(ぜつじゅ)する。
ややあって瞼を開いて確認すれば、もう黒は消え、いつもの紫が覗いていた。
アルフレートは一度深呼吸した。
「……今のは、一体……」
見慣れた色の瞳に彼は心から安堵し、茫漠(ぼうばく)とした不安を抱いた。
有間が確かに有間であることを確認したくなって、彼女の名を呟きながら抱き締めた。じんわりと伝わる体温は温かく、氷のようだった両手も次第に温もりを取り戻していく。有間に戻っていくような気がして、アルフレートは長々と嘆息を漏らした。
それ以降も自身が眠るまで何度か呼んだけれど、彼女は朝が来るまで目覚めなかった。
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『ああ……悪い。もう限界。話は明日するから今は休ませてくれ』
狩間はそう言って、アルフレートの背中で気を失った。
元々酷い状態の彼女から話を聞くつもりは無かったマティアスは、隣の部屋を借りて一晩を明かした。アルフレートは彼女に付きっきりだ。ティアナも側にいようとしたが、彼がやんわりと断った。単純な遠慮や気遣いではないとは、真摯な表情を見れば分かった。
朝早くにベッドを抜け、有間の様子を見に行った。
必要も無いだろうからとノックもせずに部屋に入れば、ソファに腰掛けたアルフレートは思案に沈んだ顔を上げた。
「マティアス――――ああ、もう夜が明けたのか……」
「ああ。あれからアリマの容態は?」
「安定している」
ベッドに横たえられた有間の顔を覗き込めば、青白いものの健やかな寝息を立てている。
マティアスは吐息を漏らし、アルフレートを振り返った。
「何が遭った?」
アルフレートはすぐには答えなかった。変わりにタートルネックの襟を下げ、己の咽を晒す。
露わになった素肌には、環状に大きな痣が出来ていた。まるで、誰かに強い力で絞められたかのような、くっきりとした痣だ。
マティアスは息を呑んだ。
まさか、カリャンが?
問おうとしたマティアスを遮って、アルフレートは有間を見ながら答えた。
「アリマだ。昨夜、そして一昨日の夜と、眠っている際に絞められた」
「アリマが、だと? ……何故だ」
「分からない」アルフレートはかぶりを振った。
「ただ……オレの首を絞めている時にも、憎らしげに先王への恨み言を吐いていた。瞳も、黒く染まっていたと記憶している」
「何故言わなかった」
「言うべきか迷った」
アルフレートはそこで吐息を漏らす。
「だが……今になって思えば、オレ達にこの事態を回避出来たか分からない。アリマの中に誰かがいるような気がする――――そんな事態に、オレ達が対処出来るか?」
問いかけに、マティアスは沈黙する。
こういったものに対処出来るのは、有間自身か鯨くらいなものだ。
「……アリマがこうなった心当たりは無いのか」
そこで、アルフレートは暫し視線をさまよわせる。
「……恐らくは、一昨日四人で夕食を取った時だ。お前には中庭で少々体調を崩して帰ったと言ったが、」
彼女は、見えない誰かと会話をして、その直後に倒れたんだ。
話し終えたかと思えば、背を向けた途端に振り返って身体をびくつかせ、倒れた。
見えない相手という言葉に、しかしマティアスは驚きも笑いもしなかった。有間は邪眼一族であり、動物の姿になったマティアス達の魂の形が気持ち悪いと漏らしていた。そういった類のものだって見てもおかしくはない。それに、ヒノモトのお伽噺では死んだ人間の霊など山程出てくる。稀に悪霊を手厚き祀って神とする場合もあるくらいだ。霊の存在は、ヒノモトでは身近なのだろう。
となれば、お伽噺にもよく出てくる霊に取り憑かれるという現象が有間、そしてあの女官に起こったと考えるのが妥当、か。有間が中庭で話していたのがカリャンだったとすればの話だが。
「暫くこの城にイサ殿を残しておくべきだったか」
狩間がカリャンに向けた話では、彼女は鯨の母親だ。
鯨は魔女と邪眼一族の子供。そしてファザーンとも繋がりが深い。
彼女がファザーンに囚われていた魔女ならば、あの言動も行動も辻褄(つじつま)は合う……が。
「……ファザーンの囲っていた魔女について調べてみるか」
「ならば、オレも手伝おう」
腰を上げたアルフレートは有間を見やり、小さく頷く。マティアスが訪れるまで、何も出来ないと己を責めていたのかもしれない。出来ることなら何でもしたいと、言外に伝わってくる。
けれど、マティアスは首を横に振った。
「いや、それはティアナとクラウスに手伝わせる。お前はアリマの側にいろ。その方がアリマの為だ。それに、その間にカルマも出てくるかもしれん」
「……だが、」
「それに、またカリャンが取り憑くとも限らない。その時押さえ込める人間がいなければ、誰を殺すか分からない。誰かを殺して傷つくのはアリマだ」
「……分かった」
アルフレートは神妙に頷いた。
有間を一瞥し、マティアスは身を翻した。
「定期的にティアナに様子を見に来させるつもりだ。何か遭った時には、彼女に伝えてくれ」
「……ああ」
頼む、とアルフレートの言葉に、彼は大きく頷いて見せた。
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