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 兵士達に呼ばれたマティアスとティアナは、事の次第は聞いていただろうが、有間の傷を見て色を失った。


「アルフレート。アリマを襲った女官は……」

『放せぇぇ!!』


 手当てを施された有間に寄り添っていたティアナが、外で上がった怒声に身体を震わせた。
 兵士達の叱りつける声が聞こえるが、怨嗟の籠もった女官の声は女のそれとも思えない。地の底から這いずって現れた悪魔のようで、なんともおぞましい。
 この部屋の近くでアルフレートに伸され、兵士達に捕らえられてからだいぶ時が経っているが、余程暴れているらしい。ようやっとこの部屋の前まで至ったようだ。

 恨み言は、まだ続いている。


『バルタザールを……バルタザールなど、殺してしまえ!! あの男の所為で私の坊やがぁぁぁ……っ!!』

「バルタザール……?」


 マティアスが柳眉を顰める。
 バルタザールはすでにベルントによって死去している。女官がそれを知らぬ筈がない。
 発言に齟齬(そご)を感じながら、マティアスはティアナをアルフレートに任せ扉を開けた。

 丁度目の前に床の上倒れ兵士達に双肩を押さえ込まれながらも両手足を大きく振って抵抗する女官が。
 女官はマティアスを見上げると、紺の瞳に烈火の如き憎悪を燃え上がらせた。


「バルタザール……!!」


 その顔を見たマティアスは、形相に戦(おのの)くよりも早く、既視感に目を剥いた。言葉を失う。


「馬鹿な……!」

「陛下、危険ですからお部屋の中に……」

「何故彼女が《生きている》!」


 マティアスの大音声に、兵士達が顎を落とす。
 後ろから声を聞きつけたティアナと、彼女を背に庇うアルフレートがマティアスの後ろから女官を覗き込んだ。

 兵士達の持つランプに照らされたかんばせに、アルフレートも愕然とした。


「どうしたの? マティアス、アルフレートも……」


 ティアナが問いかけると、マティアスは混乱しているのか首を左右に振って視線をあちこちにさまよわせた。やや青ざめた顔で、吐息の混じった声でに答えた。


「彼女は……バルテルスの女官だ」


 ……数年前に老衰で亡くなった筈の。
 ティアナは絶句した。

 亡くなった、人?
 老衰?
 視線を落とせば、マティアスを悪魔のような恐ろしい形相で睨め上げる女官。どう見ても、ゲルダくらいの若い女だ。皺一つ無いし、こんなに歪んでなければ美しかったろう。
 マティアスの混乱が伝染したように、ティアナはマティアスの腕を掴んでは放しを数度繰り返し、最後には口元を手で覆った。


「ちょっと待って……でも娘さん、じゃ」

「違う。彼女は早くに親族を流行病で亡くして身寄りも無く、生涯独身だった。俺達に良くしてくれた女官だったから記憶している。エリクやルシアも覚えている筈だ。彼女の死に際には……俺も立ち会った。確かにあの日、彼女は亡くなった筈なんだ」

「そ、そんな……」


 死者が蘇った、しかも若返って。
 そういう、こと……?


「だが、彼女だとするならますますおかしい。先王の死を知らない筈がない。まして俺を見間違えるなど……」

「――――カリャン」


 その声は、部屋の奥から聞こえた。
 アルフレートがぎょっと振り向き部屋に駆け込む。「動くな!」と、叱りつける声がした。

 しかし、ややあってアルフレートに背負われて有間が出てくる。

 その目は透き通った黄色だ。
 狩間――――声も無くティアナは呟く。

 彼女の顔は、とても弱っていた。血を大量に失った所為だろう。


「アリマ、動いて大丈夫なの?」


 狩間とは呼ばずに問いかけると、彼女は片手を挙げてすぐに力無く降ろす。

 ……あの傷で大丈夫な筈がない。ティアナは軽率な問いに己を恥じた。
 狩間は苦笑を浮かべ、すぐに無表情になって女官を見下ろした。
 女官は目を剥いて固まっていた。何故その言葉を彼女が言ったのか、理解出来ていないといった体である。

 そんな彼女に、狩間は声を少しキツくして告げた。


「カリャン。鯨がここにいるのは、鯨自身の意志だ。それにもうバルタザールは死んでる。お前の前にいるのは、その息子達だよ。お前のすることは、息子の為にもならない無駄な足掻きだ」

「い、さ……」


 女官は――――否、カリャンは目を剥いた。それこそ、眼窩(がんか)から眼球がこぼれ落ちてしまいそうだった。
 カリャンは狩間の言葉を反芻(はんすう)した。
 理解すると同時に、マティアスを見上げる。探るように見つめ、「違う」


「こいつは間違い無くバルタザールだわ! だってそれはバルタザールの顔じゃない! ふざけないで、私を騙そうとしたって無駄よ。あなたも、邪眼と人間の混血だというのに私の息子を利用するつもりなのね。そんなの許さないわ……!」


 カリャンは頑なに信じようとしない。
 狩間は緩くかぶりを振り、深々と嘆息した。


「今の状況じゃ、この身体はウチでも辛いってのに……」


 腕を伸ばし、カリャンへと手袋に覆われた掌を向ける。


「《あの忌まわしい牢獄》に帰っとけ。……苦しいだろうがな」

「あ……っ!?」


――――直後。
 カリャンは悲痛な叫びを上げた。狩間の言葉を拒絶するように、遮二無二暴れ出す。しかし兵士達に押さえられてあと少しのところで逃れられない。
 歯軋りし、歯の隙間から呻きが聞こえる。全てを呪う真っ黒な眼差しにティアナは一歩後退した。マティアスが視界を塞ぐように前に立つ。

 死した女官の身体を借りたカリャンは「許さない」を繰り返し、


「――――っあ゛あ゛あアァあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 雄叫びを上げ、力無く倒れた。



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