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 ……これ、何処の鍵なんだろうか。
 有間はベッドに寝転がって、山茶花に渡された古びた鍵を天井に翳して思案に没頭していた。

 エリク達を見送った後ティアナとも別れ、夕餉はもう済ませてある。
 アルフレートは未だ館には戻らない。ディルクのことで立て込んでいるのだろう。アルフレートでこれなのだから、マティアスも戻れていない筈だ。

 ディルク殿下のこと、マティアスに言った方が良いんだろう。山茶花が本気で竜を使うつもりなら、ディルクの身が危険だ。
 そう思いはする。が、あの山茶花の言葉が真実なのか有間にも分からなかった。有間を利用してファザーンを乱そうとついた嘘かもしれない。この情報をそのまま話して良いものか……迷った末に、結局はティアナにも話せずじまいだ。隠し事をしているようで、何か後ろめたい。


「……細工物でもするか」


 集中すれば考えずに済む。考えなければならないが、今は考えたくなかった。山茶花に抱いた複雑な感情が辛かったからかもしれない。
 大仰に嘆息し、鍵をポケットに入れた。ベッドから降りて道具や材料をしまった机に近付くと不意に扉がノックされた。

「どうぞー」間延びした応えを返せば、扉は開かれ、ティアナが顔を出す。その後ろにはクラウスの姿もあった。何故ここに、と思ったのも一瞬、すぐにカトライアからの使者なのだと思い至った。彼がディルクのことを報せに来たのだろう。


「クラウスさんじゃないですか。お久し振り」

「ああ。思ったよりも元気そうだな」

「思ったよりて……元々寒い土地の生まれだし、至っていつも通りなんですけど」


 そう返すと、クラウスは口角をつり上げて頭を撫でてきた。

 唇を歪めながらも有間はそのままにすると、ティアナが微笑ましそうに笑う。


「数日ここに滞在するんですか」

「いや、残念ながら急使でな。明日には帰らなければならん」

「カトライアで何かあったんですか」


 分かってはいるが、敢えてそう問う。

 クラウスは眼鏡を押し上げ、ゆっくりと告げた。


「ディルク殿下が、封印の間から消えた」

「……封印されてたのに?」

「ああ。イサ殿に調べてもらいたかったのだが……ヒノモトにいるのではな」

「それはまた剣呑な……犯人の目星はついてないんですか? あそこ、厳重だった筈でしょ」

「それが全く、な。警備に当たらせていた兵士達も薬で眠らされ、前後の記憶も欠落していた。兵士の側にガーネットの原石が丁寧に布に包まれて置かれていた以外に手がかりは何一つ無い」


 平和を取り戻したというのに、頭が痛い事態だ。
 眉間に深い皺が刻まれる。

 有間は苦笑し、クラウスに労いの言葉をかけた。
 だが――――彼女はクラウスの言葉に全身が冷えるような思いだった。

 ガーネット……柘榴石。
 赤い宝石だ。
 赤となれば、思い付く存在は一人だ。

 山茶花、と心の中で呟く。


「……アリマ? どうかしたか?」

「ん、あー……いや、最近赤い物聞くとどうしてもあいつが頭に出てきちゃいましてね」

「……そうか。すまない」

「いや、良いんですけどね。こっちの問題なんですし」


 肩をすくめ、ほうと吐息を漏らす。


「しっかし、タイミングが悪かったですね。鯨さんがヒノモトに行っている間にカトライアでそんなことがあったなんて」

「そうだな。これからを考えると頭が痛い。お前達も気を付けていろ」

「了解。ティアナの護衛はしっかりやるんで大丈夫ッスよ」


 へらりと返せば、クラウスはつかの間沈黙した後ティアナを振り返った。


「……ティアナ、こいつのことはお前とアルフレート殿下に任せておくからな」

「ええ、分かってるわ。任せて」

「おいお宅らー」


 抗議すればクラウスに額を指で弾かれた。



‡‡‡




 暗くて、誇りっぽくて、血生臭くて――――苦しい。
 気持ち悪い部屋の中には沢山の《被害者》が身を寄せ合って生きていた。時に仲間の惨たらしい悲運の死をまざまざと見せつけられ、死ぬよりも辛い拷問を毎日のように受けて、望まぬ研究を強いられた。

 死にたい。死にたくない。
 ここから逃げたい。
 日の光を浴びたい。

 誰か、誰か、誰か。

 私達を助けて。
 何度そう願っただろう。
 けれども一度たりとも叶えられた試しは無かった。

 永遠に、この地獄からは出られない。
 嗚呼、憎い。憎い憎い憎い!!
 この国が憎い。

 呪ってやる。
 絶対に赦すものか。

 どろどろとした重苦しい憎悪の蔓延するその部屋は、息苦しい。

 そんな空間に、その少年は剰(あま)りにも不釣り合いだった。


『この子を助けてくれるの』

『その子だけしか助けられない。……申し訳ないけれど。今なら利用される前に、邪眼一族に託せる』


 どうする? 彼は問いかける。
 彼女の腕の中にいる六歳の息子よりも一つ二つ年上の少年は、実年齢よりもずっと大人びて見える。煌びやかな装束に流れる禁の髪は手入れが良く行き届き、洗練された佇まいと共に気品を匂わせる。

 それが、彼女にとっては厭わしい。
 この少年が自分達を苦しめる血筋なのだと知っているから、目の前に立っているだけでも殺してやりたい程に憎らしかった。

 けども――――魔女達は彼女に少年の言葉に乗るように口々に勧める。

 この息子は邪眼一族との混血だった。彼女がここに囚われる前に夫婦となった邪眼一族との間に生まれた大事な大事な我が子。
 可愛い息子を、目の前の憎い少年は助けてくれると言うのだ。

 彼の兄弟とは違い、彼は魔女に対して態度は柔らかかった。手を出しはしないが、案じるような言葉をかけることもある。
 特に彼女に関しては、息子のことを良く気にした。年が近いからか、稀に話しかけることもある。息子は絶対に口を利かないが。

 この少年を信用して良いのか。大事な子供を絶対に助けてくれるのか。


『……もし、』

『何だ』

『もし、あなたがこの子を殺したら……私はあなたを殺さないけれど、いっそ死にたいと思う程に苦してあげる。死のうとしても死ねない、生きながらに地獄の苦しみを味わうの。この子を殺したら……絶対に、絶対に赦さない』

『分かった。この命に誓おう。お前の息子だけは、ファザーン王家に利用させはしない』


 少年はゆったりと頷き、手を差し出した。

 彼女は少年を睨めつけながら――――愛する息子の背を押した。



‡‡‡




「――――え?」


 有間は目を剥く。

 どうしてか、周囲は暗い。
 それに、ティアナもクラウスもいない。

 いるのは――――アルフレートだ。


 自分の下に倒れ、自分に首を絞め上げられている、苦悶の表情の、アルフレート。


「な、に……」


 何だ……これ。
 何で、うち、こんなこと――――。
 鈍器で殴られたような衝撃に、有間は茫然自失と固まった。



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