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 山茶花は無邪気な姿を見せた。
 カトライアの夜に見た姿とも違う。有間とよく遊んでいた幼少の彼女がそのまま成長して、あらゆる物に好奇心を抱き、有間に昔と変わらない屈託の無い笑顔を浮かべて見せた。

 その笑顔を見る度、有間は自身に言い聞かせる。
 山茶花はもう死んでいる。今生きる彼女は許されない存在なのだと。
 彼女の今の姿に絆されてはいけない。

 この山茶花は――――ファザーンにとってもヒノモトにとっても大いなる脅威になるのだ。

 彼女は昔の彼女ではない。
 そう諭し、自ら胸を締め付けた。


「ね! 有間ちゃん。これってコランダムのパパラチャよね! こんなに大きくて綺麗な天然石滅多に無いわ!」


 少女らしく光り物に夢中になる山茶花はアクセサリーを有間に見せつけた。
 仕方なく歩み寄って見てみると、確かに大粒の天然石にしては上質なピンクオレンジのパパラチャだ。人工なのかと念の為に問うたが、店主は表情を曇らせて頷いた。


「これ、曰く付きでね。上質な天然石でも安いのはその所為なんだ」

「曰く付き?」

「持ち主になった人間は年内に不審死になっちまうんだ。先月俺の手に渡っちまってね。早いとこ誰かに売っ払いたくて」

「でも曰くはちゃんと話すのね」

「そりゃあね。これでも一応信用のある商売人なんだよ」


 へえ、と興味無さそうな相槌を打ち、山茶花はパパラチャを日に翳(かざ)す。
 そして――――うん、と小さく頷いた。


「じゃあ、私が買う」

「えっ」

「だってこの子は何も悪くないもの」


 驚く店主の前に、山茶花は大金を置く。値段も聞かず、恐らくは大幅にオーバーした額だ。慌てて客を呼び止めようとするも聞かず、山茶花は上機嫌で有間の腕を引いて駆け出した。


「ちょっと、山茶花。あの額は――――」

「だってこの子に曰くにあるような力は無いもん。だったら本来の値段に近い額を出した方が良いじゃない? ……あ、もしかして有間ちゃんはもっと出した方が良かったって思った?」

「いや、その辺はうちには分かんないけど……」

「じゃあ、これで解決」


 にこり。彼女は笑った。
 そして何かを思い付いたように足を止めて、周囲を見渡した。


「そうだ。何か有間ちゃんに買ってあげる! 何か欲しい物は無い?」

「いや、別に無いから」

「そう? 残念」


 真っ赤な唇を尖らせる。

 ……駄目だ。

 駄目だ。

 駄目だ。

 彼女は死人だ。輪廻から外れ蘇った死人だ。

 懐かしいと、思ってはいけないのだ。



‡‡‡




 満足行くまで有間を振り回した山茶花の満ち足りた笑顔は、有間の心臓を容赦なく絞め上げた。


「楽しかったーっ。ありがとう、有間ちゃん」

「……教えてくれる約束だろ」


 ディルク殿下のこと。
 そう低く言えば、山茶花は緩く瞬きを繰り返し、笑って大きく頷いた。


「あの子はね、私が連れてっちゃった」

「――――」


 顎が落ちた。

 してやったりと彼女は笑う。無邪気に笑う。


「何の力も無いあの子じゃ竜は制御出来ないけれど、私なら出来る。竜を使ってヒノモトを粛正するの。私」

「……そこまでする必要が何処にある」

「終焉の為」


 山茶花はそう言って、有間の手を取った。振り払う前に掌に何かを載せる。

 鍵だ。

 古めかしいが、厳かな装飾の施された鍵。
 それを見つめていると、ぞわりと悪寒を伴った嫌悪感が胸に渦巻いた。これに長く触れていたくない、忌まわしい……憎悪の如きどす黒い感情が芽生え、胸を黒く染め上げようとする。
 あまり長く見たくなくて視線を逸らし、山茶花を見やる。


「これ……」

「今、有間ちゃんに憑いてる人に関わる場所の鍵だよ。湖の中にあったから引き上げてみたんだけど、丁度良かった。あ、あとこれもあげる。もう要らないから」


 じゃらりと音を立て鍵の上に載せられた革袋の中に入っているのは、金だ。重さから、かなりの額だと推測される。
 山茶花は一つ満足そうに頷き、くるりときびすを返した。
 踊るように歩き出し、雑踏に紛れていく。別れの言葉は無かった。

 有間は鍵を握り締め、もう見えなくなってしまった山茶花の後ろ姿を見つめた。
 胸が苦しいのは、山茶花のことではない。

 この、鍵のことだ。

 ああやはりうちの中にはあの黒髪の女性がいるのだ。
 推測が事実と変わり、ずんと全身が重たくなった。



‡‡‡




 山茶花から押しつけられた金は、加工されていない天然石を取り扱う店にて、数種の天然石とそれを加工する為の道具を買うことでで使い切った。

 これでアルフレートにバレないように隠しておけば良いだろう。
 ひとまず安堵しつつオストヴァイス城に戻ると、城門の側に馬車が停まっているのが見えた。
 客人でも来たのかと遠目に眺めていると、馬車から金髪の少女が顔を覗かせ大きく手を振った。ティアナだ。

 何だ何だと近付くと、彼女の側にはエリクとルシアが旅支度を整えていた。

 二人は有間に気が付くとそれぞれ声をかけた。


「二人共、ザルディーネに戻るんだ?」


 早いね、と付け加える。
 ルシアは面倒そうに肩をすくめた。


「まあな。親に無事な顔見せることだけが目的だったし。正直戻りたくねえけど、こればっかりはな」

「アリマやティアナとも話したかったし、闇二胡も聴いてみたかったんだけど……また今度だね」


 有間は首を傾けた。エリクとルシアには、闇二胡のことを話していない。
 ティアナが話したのだろうかと視線を向けると、


「私が話したの」

「あ、やっぱり……。けど今の段階じゃ人に聴かせて良いもんじゃないよ。もう少し慣れとかないと」

「そっか。じゃあ楽しみにしておくね。邪眼の伝統的な楽器の音色」

「あんまり期待して良い音色って訳でもないんだけどなぁ」


 後頭部を掻いて言う有間に、エリクはくすくすと笑う。

 と、御者が二人を呼んだ。どうやら時間が押しているらしかった。
 本当は朝の出立だったのだけれど、エリクの母親の体調が思わしくなかった為、ルシアが気を利かせて時間を遅らせたという。今は安定しているとのことだった。


「じゃあ、またね。二人共」

「あんま無茶すんなよ」


 二人はそう声をかけて、馬車に乗り込んだ。
 御者が馬を走らせ、城門を目指す。

 窓から顔を出したルシアに手を振り、ティアナと共に見送った。


「……良かった。アリマが戻ってきて」

「ぎりぎりだったっぽいね」

「二人共、アリマのことも気にかけてたから」


 本当に良かった。
 微笑むティアナは、有間の腕の中にある紙袋に気付いて興味を持った。覗き込む。


「ところで、これは何? アルフレートから、一人で街を回ってるって聞いたけど」

「ああうん。ちょっと細工物をしようと思ってさ。魔除けとかのお守り代わりに。これはその材料と道具。することも無いし、暇潰しくらいにはなるかなと思ってさ。ああ、ティアナにもやるよ。厄除けに」


 そう言うと、嬉しそうに彼女は表情を輝かせた。



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