U
────







 マティアスが夕食の場にエリクとルシアを誘わなかったのは、母親との時間を優先させたかったからだ。
 色々と問題に遭いながらも今の今まで元気な姿を見せられなかったのだ、今日は母と子で積もる話をさせたかったのだろう。

 他愛ない世間話をする三人を眺めながら、有間はファザーンの料理に舌鼓を打っていた。
 カトライアとは違う味付けだが、これも存外嫌いではない。と言うか、ヒノモトの北方の味付けに少々似ていた。
 邪眼にも郷土料理はあったっけ。
 いつも山茶花の両親が作ってくれて、鯨と一緒に食べてたなあ。

 ……。

 ……。

 ……って、そっちに繋げるなよ、馬鹿。
 最近何を考えても自然と山茶花のことに繋がっていく。考えないようにしているんだが、どうもままならない。
 結論、ファザーンの飯は意外に美味い。それだけで良いんだ。


「アルフレート、明日も兵士に捕まっているのか」

「いや、明日はアリマに街を案内しようと思う。それに、雪は久し振りだろうからな」

「ん?」


 風味豊かなソースをかけられた上質な肉を食べながらアルフレートを見上げると、マティアスが呆れた風情で吐息をこぼした。


「街に行く前に兵士に紹介でもしたらどうだ。婚約者として」

「ぶふぅっ!」

「アリマ! 大丈夫!?」


 マティアスの言葉に食べていた物を噴き出した有間は駆け寄ってきたティアナに背を撫でられながらマティアスを睨めつけた。
 そんな関係ではないってのに、どうしてそういう風に話を持って行くのかなこの色魔は!

 マティアスは鼻で笑い、アルフレートに含みのある視線をやった。


「そう言えば、実質お前の屋敷では二人きり、ということになるな」

「ま、マティアス! そういうことは……!」


 慌てた風情でマティアスを咎めるアルフレートを横目に見ながら、有間は片手で顔を覆う。顔が熱いのは気の所為だ。きっと気の所為だ。
 ティアナから水を受け取って飲む。その間に噴き出した物をティアナが布巾で拭き取ってくれた。後で何かお詫びしとこう。


「俺は何も悪いことを言っていないぞ。そういった関係ではないと言い張るが、同棲しているも同然だろう」

「ぶっ!」

「マティアス!!」


 ティアナが有間の頭を撫でながらマティアスを叱咤する。
 マティアスは鼻を鳴らしながら食事に戻った。


「アリマ……大丈夫?」

「……もう食べるの止めるわ」


 はああと大仰に嘆息して、布巾でテーブルを噴く。連続で口から物噴き出すって……。自分に呆れた。これじゃあヒノモトではキツいお叱りを受けるだろう。……いや何処でもそうか。
 だがこれは譲らない。今のはマティアスが悪いのだ。


「女も触れないようにマティアスに呪いかけてやる……」

「おい、止めろ」

「五月蠅いアホンダラ。アルフレート、うち中庭にいるわー」


 闇二胡を持って部屋を出る。ひんやりとした空気が頬を冷ます。火照った身体も冷えて丁度良い。
 適当に歩いて中庭に向かうと、途中何人かの女官をすれ違った。有間が邪眼一族であることはもう周知の事実だ。
 誰からも興味と恐怖の入り交じった視線を不躾に向けられた。

 やはり、英雄の一人、なんて肩書きは似つかわしくない。
 邪眼一族は汚れた一族だ。それはもう、何をしたって揺るがない常識。

 そのうち、ここを出て行くべきかもしれないねえ……。
 邪眼一族が、彼らの妨げになる前に。



‡‡‡




 中庭には、花壇は無かった。積雪の為だろう。段差は少なく、石畳を円形に敷き詰めただけの簡素な場所だ。石造りの長椅子が四つ向かい合うように中央に置かれている。花壇が無い代わりなのか、その椅子の背もたれ部分の花を模した細工だけは、非常に細かい。
 椅子に触れると、氷のように冷たい。

 そこに座り、有間は闇二胡を左の腿の上に載せた。弾きもせずにただそこに置いておくだけだ。
 目を半分に据わらせてじっと前方の柱の下に残った雪を見つめる。

 一瞬だけ、赤く見えて瞼を閉じた。
 赤いのは血。
 血と、山茶花の髪。
 どちらも雪には良く映えて浮かび上がる。

 美しく、怪しく、艶めかしく。

 あいつの髪とは大違いだ。
 あいつ――――東雲朱鷺の、あの空色の髪とは。
 あの爽やかな色の髪は真っ白な雪に溶け込むかのようだった。それに血が混ざって、澱んでいく……。

 その中で、あいつは笑って死んだのだ。


「……っあ゛ー……山茶花の次は東雲朱鷺か」


 考えたくないのになー。
 独白して、頭をがりがりと掻く。

 弓を掴んで雑念を振り払うように弦をこすった。

 それでも奏でるのは山茶花の作った歌だ。仕方がない。知っている曲はほとんどそればかりなのだから。

 雑な演奏だと自分でも思う。昼はそんなことは決してなかったが、なだらかな曲も今は乱暴なそれと打って変わる。
 心の中で作曲者へと謝罪をしつつ、有間は無心になりたくて手を休めなかった。

――――されど、それから暫く後のこと。
 闇二胡の音色の中、複数の女性の声めいた音を聞いた。
 囁くような、喘ぐような、呻くような。様々な声が折り重なっているそれだ。

 霊か何かが闇二胡の音色に乗じて有間に何かを訴えかけてきているのだろうか。
 城の敷地内に停滞する、恨み辛みを持った霊が、その方面に敏感な有間に目を付けて。

 《呪い》に関係しているのかもしれない。
 闇二胡を止め、有間は腰を上げる。
 意識を研ぎ澄まし、ゆっくりと周囲を見渡しながら目を凝らす。

 そして――――見つけた。

 闇の中に佇む、ぼんやりとした輪郭の人影(たましい)を。
 恐らくは女性だ。漆黒のドレスを身にまとう、漆黒の髪の女性。

 有間は目を細めてその女性に近付いた。


「誰ですか、あんたは」


 漆黒の女性は揺らめく。
 何かを伝えようとしているのは分かるけれど、如何せん声が出てこない。

 やはり、闇二胡の音色を介して聞き取らなければならないのだろうか。
 また椅子に戻ろうときびすを返した。

 その刹那である。

 後ろ髪が風に揺れた。
 振り返った時にはもう遅く。


「え――――」


 間近にぼやけた女性が迫っていた。



































 暗転。



―U・了―


○●○

 次の章では、マティアスの魔女の呪いに焦点が向く、筈……。



.

- 23 -


[*前] | [次#]

ページ:23/134

しおり