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夕方頃になって、ティアナの私室を訪ねる人物が在った。
ノックの音に読書を中断した有間は、そう言えば鍵をかけていたのだと思い出して本をテーブルに置き、扉へと歩み寄った。
解錠して扉を開くと見慣れた漆黒の男が。脇に赤い布の包みを抱えている。
一瞬だけうっとなって視線を逸らす。
鯨と二人きりというのは、とても気まずい。
「あー……どうも、鯨さん」
「ティアナ殿と陛下は?」
「街を歩いてくるってさ。うちはここで読書。用があるならまた後で来なよ」
「いや、用があるのはお前にだ」
首を傾げて見上げると、鯨は抱えていた物を有間へと差し出した。受け取れと上下に少しだけ振られたそれは、一見三味線の形のようにも見える。
怪訝に思いながらそれを受け取ると、鯨は有間の頭を撫でて颯爽と歩き去っていく。有間にこれを渡したかっただけだったらしい。
彼もまた、有間の気まずさを察しているから、あまり二人きりにはなろうとはしないのだった。
後味の悪さを感じながら有間は施錠してテーブルに布包みを置いた。
こちらの機織物なのだろう、手触りの良い布を開くと、ぬばたまの如き光沢を持った弦楽器が現れる。二本の弦の間に黒い弓毛の弓が挟まれていた。
「……闇二胡だ」
邪眼一族の民族楽器。
二胡の弓毛に闇馬の尾を用いたそれは流麗な音色の後に独特の余韻を持ち、魔的な音を奏でる。
ごく普通の二胡よりも棹(さお)のやや長い闇二胡を手に取り、懐旧の念に目を細めた。
いつの間に……あの二頭の闇馬から作ったのか。
有間に気を遣ったのだろうか。
二胡を左膝の上に載せ、弓をそっと持つ。
弦に当ててすっと弾けば、空気が震える。
懐かしい、艶美な音色だ。
邪眼一族なら誰もが弾ける闇二胡。歌がそれ程得意という訳でもない有間でも、闇二胡だけには自信があった。勿論、幼い頃の話であって、今から思い出せば子供らしく稚拙で恥ずかしかった。
やはり自分に音楽の才能は、山茶花程には無いようだ。
苦笑しつつ、山茶花の歌を思い出しながら無心で下手くそな闇二胡を奏で続ける。
それでも、弾き方を覚えているのには自分でも驚いた。
もう忘れていてもおかしくないのに、まるで身体に染み着いているかのように、音階を間違えずに指が動く。
暫く夢中になって弾いていた有間は、指が疲れ始めたのに闇二胡をテーブルに置いた。
革も希少な種の大蛇の物だ。材木も、選りすぐられた物であると音色から察せられる。
鯨一人で作ったのだとは思うが……こんな材料を一体何処で仕入れてきたのやら。
布に包み、有間は本を手に取った。
練習はしようと思えば何処ででも出来る。闇二胡は邪眼一族の術の媒介にもなるから、これから先役立つことがあるかもしれない。ただ楽しむだけに奏でられたら、それに越したことは無いのだけれども。
「山茶花を消す為に、山茶花の歌を奏でるのも、残酷だろうね」
けれども邪眼一族の民謡以外に奏でられる曲と言えば、それしか思い付かなかった。
‡‡‡
戻ってきた二人は、怪訝そうな顔でテーブルに載せられた布包みを見た。
「アリマ……それは何?」
「鯨さんから貰った邪眼伝統の弦楽器」
「弾けるのか」
「邪眼一族は物心つく前から学ぶしね。さっき試しに弾いてみたけど、まあまあ覚えてたよ」
途端、ティアナの目が輝いた。
が、即座に指が疲れたと挫いてやった。肩を落とす彼女を鼻で笑ってやる。
「どんな音色なんだ。バイオリンか? ビオラか?」
「……いや、ごめん分からん。ただ、艶美な感じで低めな音色が得意だね。独特の風味というか、筆舌に尽くし難いもの。暇があったら聴きに来れば?」
「そうか。分かった」
来るのかよ。
社交辞令を言っただけなのが、まさか頷かれるとは思わなかった。
有間は興味深そうに布包みを見つめるマティアスを見やり、見るだけならと包みを開いた。
「手に取っても?」
「どうぞ。あ、弓毛が弦に挟んであるから気を付けて。あと慣れない奴が弾くと耳障りな悲鳴になるからね」
マティアスは有間の言葉通りに慎重に闇二胡を扱った。大事そうに抱え、漆黒のそれを見つめる。隣から、ティアナも感じ入った風情で眺めた。
「弦は絹だな。が、弓毛は……まさか闇馬の尾か?」
「ご名答。音色が独特なのは偏(ひとえ)にその弓毛のおかげ。ちなみに闇二胡って言って、音は邪眼の術の媒介にもなる」
思う存分眺めたマティアスは有間に礼を言って布に包む。
有間は本を閉じて席を立ち、本を棚に戻した。そして、その隣の二冊を取る。
「ところで、うちは飯とかどうすんの」
「アルフレートは後程ここに来る。今日は使用人に作らせて四人で食事を摂るつもりだが、何か問題があるのか?」
「了解。んじゃそれまで本読んでる」
二冊を振って見せ、有間は椅子に座った。
「……あ、うちがいる側で規制かかる展開は止めてね」
「んなっ!!」
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