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 ……ちょっと、待てよ。
 何でうちカトライアにいない訳!?
 がたがたと揺れる馬車の中、有間は頭を抱えて唸った。
 隣にはティアナ、正面にはアルフレート。その隣にはマティアスが腕組みして偉そうに座っていた。

 頭がずきずきと痛む。吐き気もする。
 いやそれよりも何よりも、何でうち身なり変わっちゃってんの。何で保温の術がかけられた北方独特の衣装着てんの!?

 ティアナに話しかけられながらも、有間は返答もせずに悶々と思案を巡らせる。

――――分からない。
 記憶が一切無い。
 何処からだ? 何処から無い?
 ティアナの部屋に閉じ込められたのは覚えている。戴冠式の日、シルビオと話していたのも覚えている。

 その先は――――無い。

 ……そう、だ。
 シルビオとの会話の途中から記憶が無いのだ。それから今の記憶に繋がっている。

 でもその間に何かがある筈で。
 その部分が、まるで存在しない。

 ……。

 ……いや、それよりも、何よりも。


「ティアナ……」

「どうしたの? 気分悪い?」

「……吐きそう」

「車酔いだったの!?」


 慌てて有間の背中を撫で始めるティアナに、有間はうう、と小さく唸るような声を返すだけだった。
 マティアスの呆れた声が、御者に休憩を命じた。



‡‡‡




「だ、大丈夫、アリマ?」

「うー……腹が異世界頭が螺旋」

「意味が分からん」

「五月蠅せぇ黙れ」


 雪の積もった地面に伏せた闇馬の上に乗り、胃の辺りを撫でる。ぐったりと首に寄りかかれば闇馬が案じるようにこちらを振り返ってきた。咽を叩いてやれば、目を細めて顔を振るった。


「雪に埋もれてきて良い?」

「止めておけ。風邪を引くぞ」

「極寒育ちの邪眼一族にそれは無用な心配だろー……」


 邪眼一族が好んで暮らしていた土地ないし山などは、特に寒い日などには一瞬で花が凍ることもある。その中で術を駆使しながら細々と生きてきたのだった。
 だからこの程度の寒さで体調は崩されない。むしろ埋まりたい。懐かしい雪の中にダイブしたい。


「っていうか何でうちはここにいるのさ。元の服も無いし」

「脱走しようと画策していたお前にイサ殿が術をかけ、昏睡状態のうちにお前を馬車に連れ込んで新しく服をイサ殿に調達してもらい早急にカトライアから連れ出した。それだけだ」

「『それだけだ』で片付く課程とちゃう。どんだけ強い術かけてんだよ……術かけられた記憶ねえぞおい」


 はああと長々と嘆息すると、ティアナに頭を撫でられる。


「馬車が駄目なら、闇馬に乗って行く?」

「そうするいや是非ともそうしたい」


 真顔で言うと、ティアナは苦笑した。

 と、アルフレートが「なら」と話に入ってきた。


「オレが相乗りしよう。万が一のこともある」

「そうした方が良いだろうな。また吐かれては敵わん」


 しねぇよ。馬に乗れば酔わねぇよ。
 不満たらたらでマティアスを睨め上げると、は、と鼻を鳴らした。……この野郎。

 舌打ちしつつ、未だ頭を撫でてくれるティアナの手の感触に身体から力を抜いて目を伏せた。深呼吸を繰り返せば、まともに働くようになった思考がとあることに気付く。
 今この場にいるのはティアナ、アルフレート、マティアスの三人。

 ……ルシア達は何処行った?


「あのさ、ルシア達は?」

「ああ、先に行かせてある。ウグイス殿は一旦ヒノモトに戻られた」


 マティアスの返答に、有間は苛立つのが分かった。


「……東雲鶯のことは訊いてないんだけどな」


 酔いで弱っている所為だと分かっていながら声を低くすると、マティアスが目を細めた。


「……アリマ。いい加減ウグイス殿に対して、」

「それ、無関係の君に言われる筋合い無いよね」


 説教垂れるの止めてくれない?
 眉間に皺を寄せて睨む。

 その場に流れる剣呑な空気にティアナが慌てた。


「と、とにかく! もう暫く休んでいましょう! ね?」

「アリマにはオレがついていよう。お前達も出立まで休んでいてくれ」

「ええ。ありがとう。じゃあマティアス、私達は馬車に。アルフレート、アリマのことをよろしくね!」

「分かった」


 ティアナに促され、マティアスの背中を押す。
 それに逆らわず、有間を一瞥して馬車へと歩き出すマティアスに、有間はほうと吐息をこぼした。

 二人が馬車に戻るのを見て、鬣(たてがみ)に顔を埋める。鯨が手入れをしたのだろう、艶やかなそれからは微かに柑橘の匂いがした。
 闇馬は滅多に汗を掻かない。基本的に極寒の地に暮らす動物だから、むしろ熱を逃す発汗は命取りなのだ。
 邪眼一族にのみ懐く闇馬は野生の友人として常に生活を共にした。故に強固な互助関係にあり、何気に綺麗好きの身体を洗ってやるのも一種のコミュニケーション方法であった。
 闇馬の爽やかな匂いを嗅ぎ、暫く無言でいた有間は、鬣に埋めたままアルフレートを呼んだ。


「何だ?」

「……、……マティアスに後でごめんって言っておいて」

「……分かった」


 ぽふ、と頭に手が乗せられる。按撫された。

 東雲との確執をマティアスにとやかく言われる筋合いは無い。
 だが、それはマティアスとて同じことだ。ヒノモトについて協力してくれている鶯に関して、有間が私情を持ち込められる筈も無い。

 有間と東雲朱鷺の一件は、彼らにもファザーンと言う国にも何ら関係は無いのだ。有間だけで片付けるべき禍根。ティアナ達に無責任に押しつけて良いものではない。

 分かっているのに、さっきのあれだ。
 そろそろ切り替えろよ、うち。

 有間は小さく謝罪してその手を払いのけた。少し眠るからと、沈黙する。

 アルフレートは気分を害した風も無い。「分かった」と静かに言って、闇馬にもたれ掛かった。

 微かに触れた感触に、心の何処かで安堵する。



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