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「よ。数日振り」


 マティアスは狩間を見るなり拳を振り上げた。

 それを後ろからティアナが止める。口角をひきつらせてこめかみに血管を浮き上がらせる恋人に抱きついて狩間から引き離そうと一人足を踏ん張る。
 とはいえ、娘の力でどうすることも出来ないが、それでも抑止力の役目は果たせたようだ。

 へらへらと単独行動を悪びれる様子の一切無い狩間をキツく睨めつけるのみで、怒りに震える拳を渋々と収めた。

 狩間の後ろで、アルフレートや鶯がほっと胸を撫で降ろす。クラウスはと言うと、完全に闇馬に酔って言葉すらも発せられない程にぐったりとソファに横たわっていた。あれでは一日働けぬであろう。


「勝手な行動を取るなとアリマにはキツく言っていた筈だったのだがな」

「お前にウチを止められるとでも? それは過信と言うものだ。ウチが否定すれば、お前はこの場で死ぬ」


 一人掛けのソファに座り、足を組む。
 その傍らに鯨が腕組みして立った。ずっと沈黙を保つ彼の漆黒の瞳は思案に沈み、何も捉えない。

 狩間は鯨を一瞥し、ふと笑みを消した。それだけで周囲の空気が冷え、張り詰める。

 ティアナがマティアスから離れて不安そうにマティアスと狩間を見比べた。が、エリクに腕を引かれて少しだけ距離を置く。

 砕けた調子は何処にも無い。おどけた様子も何処にも無い。
 王たる毅然とした意思を求める鋭い眼差しはマティアスのみを捉え、マティアス以外の茶々入れを許さなかった。


「マティアス。アルフレート。それとクラウス。これから話すことは、少なからずファザーン、カトライアにも影響する話だ。決して虚ろに聞くんじゃねえぞ」


 長いからと勝手に省略した名前ではない。
 マティアスはアルフレートに目配せした。彼が小さく頷くのに、視線を狩間へと戻す。

 彼の態度から了承の意を汲んだ狩間は瞬きを以て応えを返し、口を開いた。


「今、ヒノモトには太極変動が起きてる」

「太極変動とは?」

「陰と陽、闇と光が反転するのさ。夜と昼が逆転すると言えば分かるか? 太極変動は、一度だけ、どの歴史書にも記されない時代に起こってるんだ。その時は闇の女神が子供達――――夕暮れの君と邪眼一族を現世に産み落とすことで完全と成らずに済んだ。もしも太極変動が完全になってしまえば……ファザーンにもその影響が行くだろう。どれだけのものなのかまでは、予想は出来ねぇがな。酷ければカトライアやザルディーネにも行く可能性がある。元々、ヒノモトを創った闇の女神と光の男神は、こっちで信仰されてる神々の中にいたからな」


 マティアスは顎に手を添えた。


「神話の話は、こちらも噂で聞いたことはある。が、まさか本当だとはな」

「そっちにそういう噂があるだけでも凄いと思うぜ? このことはほとんど書物に記されていない。記載されてるのだって、ほぼ全てが花霞姉妹の管理下にある。大陸一信仰深いヒノモトの人間だって知らないことなんだしさ」


 有間だって、このことは長や鯨が教えなければ知ることは無かっただろう。狩間は知っているけれども。
 狩間はマティアスを見つめたまま、言葉を続ける。


「太極変動の原因は、光の男神だ。闇の女神が根の国、黄泉を統括する為に降りた時、世を荒らす鬼が黄泉より上がらぬように大きな岩で各地の出入り口を塞いだ。それは一つにつき千人の番人が押さえつけている為、簡単には開かない。光の男神は愛している妻に二度と会えなくなってしまったんだ」

「……まさかとは思うが、その光の男神が妻に会いたいが為にそんな傍迷惑な現象を引き起こすとでも言うつもりか?」

「ご明察。光の男神と闇の女神は双子でありながら懇ろな夫婦だ。女神が黄泉に堕ちるのを決断するのにだって断腸の思いがあっただろうし、一生会えなくなると知った光の男神も妻の裏切りのような決断にさぞ憤慨しただろう。それだけラッブラブ〜ってことさ。いや実に人間臭い神様だね! けれど、君も多少は男神の気持ちが分からないでもないと思うよ。責任ある立場で在りながら一人の一般女性を深く愛するお前ならな」


 マティアスは沈黙し、ティアナを振り返る。
 マティアスはファザーンの王となる。となればティアナは正妃だ。見合う身分の貴族の出でもない彼女は、恐らくはこれから先、いつかは一部の恨み辛みを買うことだろう。ティアナの性格から、必要があれば最悪闇の女神と似たようなこともしかねない。その時、彼は一生それを耐えられるのか。
 試すような口振りに、マティアスは吐息をこぼした。


「……そうだな。だが、俺なら別の方法を考える」

「だろうね。でもそれは人間の思考だ。神には一切通用しない。陰陽が逆転すれば黄泉の封印が緩くなってが退かしやすくなるし、黄泉の気に染まった闇の女神が出て来ることも出来る。結果的に黄泉の住人が現世に出てきて生者を喰らうようになる。が、男神には女神に会うことだけしか頭に無いのさ」

「対処法は?」

「山茶花だ。理から外れたあいつが、太極変動を誘発した可能性がある。あいつを排除し、なおかつ夕暮れの君に接触すれば……手がかりくらいは見つかるかもしれない。ってことだけ言っとく。こればかりは鯨ですらまだ分かってないんだ。山茶花と無為に接触すれば鯨も理から排除されかねない。そうなれば輪廻には戻れない。急を要することとは言え、事は慎重に運ばねえと。ってことで、有間はそっちへ連れてけ」


 ファザーンのオストヴァイス城の今の状態は良い虫除けになる。
 断じる狩間にマティアスは怪訝そうな顔をする。

 それに、狩間はそのうち分かるさ、と返した。


「カトライアを出てある程度経つまでは、逃げないようにウチでいてやる。茶々入れが入る前にさっさとしてくれよ」

「……そうだな。お前が勝手なことをしなければすぐにでも発てたのだが」

「しゃーないしゃーない。終わったことは気にしないでこー」


 話は終わりだと言わんばかりに、狩間は腰を上げる。そして散歩に行ってくるとにこやかにリビングを出ていった。

 最後まで、悪びれる様子は全く無い。



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