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滞閉は、ヒノモトきっての宿場町である。
西に一日も歩けばファザーンとの国境となるこの街は、南には修験宗の中でも有名な安平山(あんぺいざん)を臨み、更に東にはそこから生まれた安平川が流れる。
安平川は百の支流を持ちつつ真っ直ぐに中央の都へと続く。嘗(かつ)て光の男神が暮らしたと言われる安平山から延びたその川は古より山と同様に神聖視されている。
その為、国境を越える、或いは越えた旅人よりも多く、敬虔(けいけん)な山伏が集った。
邪眼一族にとっては、そう言った意味では危うい場所だ。
それを分かっていながら、狩間は途中行商人から買った衣装に着替え、旅篭(はたご)を出て堂々と中央を南北に走る大通りを闊歩(かっぽ)した。雪深い道、視界の端で足を滑らせる外国人を鼻で笑う。少なくともファザーンの人間ではないようだ。雪に慣れていない。
「さすが、山と川から得られる豊富で栄養価の高い食材を使った郷土料理が有名な街。安価な宿でも料理は一級品だね。……それは良いとして――――」
やっばいなあ、これ。
呆れた吐息をこぼして狩間は後頭部を掻いた。
先日のディルクの一件から、ヒノモトでもファザーンへの警戒が強まっているらしい。邪眼一族がカトライア、そしてファザーン王の身近にいることも相俟(あいま)っているだろう。ファザーンがこちらに侵攻してくると予想し、その為にこの国境の宿場町滞閉に軍は駐屯していた。おまけに、名だたる武将も配置されているらしい。
国境に最も近いということからこの場所で待つと言っておいたが……これはさすがに選択を間違ったかもしれない。もしマティアスが現れでもしたら大騒動だ。確実に外交問題に発展する。いや、ヒノモトの上層部が発展させる。
さすがに鯨はその点を心得ていると思うので連れてこようとはしないだろうけど、念には念を押して国境側の門で待つとするか……。
太極変動についても十分この街で調べられた。
狩間は懐から干し肉を取り出して噛み千切った。身体を反転させた。
途中、何度か髪の毛を触らせる羽目になったが、これも仕方がない。お国柄という奴だ。
‡‡‡
前方に人影が見える。
狩間は片目を眇めた。
真っ白な雪景色にぽつねんと浮き上がった人影は、狩間に大股に歩み寄ってくる。遠目からでも分かる巨躯の男だ。
それをじっと凝視して狩間は待つ。
彼は三メートル程手前で足を止めた。
山のような巨漢だ。
全身を岩で構成しているのではないのかと思うくらいに流々とした筋肉に、厳めしい鬼の如き面。そしてその額に――――桜の入れ墨。
その人物に、狩間は見覚えがあった。
「……田中、つったか。五大将軍の」
田中東平(とうべい)は答えない。まるで大木の幹のような腕を組んでじっと狩間を見下ろしてくる。
巨体の田中と狩間では、身長差が大きすぎた。どちらもお互いを見るだけでも首に負担がかかってしまう。
「その黄色の目……《夕暮れ》か」
「その呼び方は夕暮れの君が教えたのか」
「ああ」
「その呼び方止めて欲しいんだがな……マジで」
狩間は舌打ちして、門柱に寄りかかった。
「あんたは完全に闇に踏み込んだんだな。そうでいながら、五大将軍と讃えられている」
「夕暮れの君をお守りする為だ」
……闇に沈み込んだ者は闇を心酔する。
それは、光の男神の影響であった。最愛の妻――――闇の女神をこいねがう剰(あま)りに光の住人にすら影響を与えてしまったのだ。
闇に染まった者は、二度と光には戻れない。光の男神が、闇の女神の帰還を乞う限り。
「あんたは、そのままで良いってのか? 元々は光の住人だったんだろ?」
「愚問」
即座に田中は切り捨てる。
確かに、闇に溺れた者にこの質問は愚問。訊くまでもないこと。
だが敢えて狩間は問う。切り捨てられても再び繰り返す。
ややあって、
「闇の女神の悲痛を感じた以上、何もせぬ訳にはいくまいよ」
「……」
「儂らは、闇の女神の夢を守る。それだけだ」
予想通りで、正直つまらない。
狩間は興が失せて大仰に嘆息して見せた。
「あんたもうちょいおもろい言い方出来んのかい。怖ぇよ、怖すぎるよ」
「下らぬ」
「その辺どうにかしろ。意識改革意識改革。これ大事ヨー」
真顔でふざける彼女に、田中はしかし厳めしいかんばせに何も浮かばず。狩間の態度に苛立ちも呆れもせず、じっと見下ろすのみだ。
……本当に、おもんない奴。
狩間は鼻を鳴らした。
「まあええわ。んで、太極変動のことを教えに来たんだろ? 夕暮れの君に言われて」
「ああ。太極変動によって、至る所で霊力の強い巫女の精神に異常が現れている。自ら命を絶つ者まで現れた」
「陽と陰が入れ替わる――――それを受け入れられなかったんだろう。今はまだそれだけで済んでるが、このまま進行すれば霊力を持たない人間にも拒絶反応は起こるだろうし、生態系にも影響が出る。スムーズに交代出来れば良いんだが、高い確率で今まで均衡を保っていた筈の陰陽がせめぎ合ってヒノモトの大気は大きく崩れる。……女神の物語(ゆめ)が完結する前に、変動が終わらなければ良いんだが」
変動が終われば、そのまま永久に闇と光が逆転する。
隣接するファザーンにもその影響は出るかもしれない。……いや、出ない方がおかしいか。
このことはマティアスに話しておいた方が良いだろう。
「田中。お前、花霞姉妹のところに行け。次に危険なのは術士だ。ウチらは問題無いが、光の加護を受ける術士も巫女と同様に拒絶反応が起こるかもしれん。花霞姉妹が壊れるというのはもっと後になるが、様子を見ていろ」
「……心得た」
田中はそれだけ言うと身体を反転させた。
大股に滞閉の街へと入っていく。
それを見送りながら、狩間はふと己の両手を見下ろした。
「カトライアにいても有間が太極変動の影響を受けたんだ。ファザーンの魔女の呪いに、何かしらの反発が起こっているかもしれねえな」
暫くは、ウチが出た方が良いか。
「……肯定も出来るようになってんのは、気味悪いな。これもまた、変動の影響か」
吐き気がする。
唾棄するように言って、狩間は天を仰いだ。
今にも雪が降りそうな、曇天である。
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