Epilogue
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???





────×××年後。



 親友の子孫はもう何百と代を重ねただろうか。
 元々数えてもいなかったから、もう分からない。
 サチェグは崖の際に立ち、眼下に広がる広大な街を見下ろした。

 あれから、ヒノモトはファザーンの文化も取り入れ、護村は時をかけて大都市へと変貌した。長の住まう屋敷は平城(ひらじろ)となり、その背後に邪眼一族、そして護村の祖がそれぞれ丁寧に廟(びょう)に弔われている。親友に仕えた妖達が今もなお墓守を勤め上げている。
 この護村を作った者達は、鬼神と共にヒノモトの人間達から崇拝され、神格化されている。

 それに違和感を覚えずにはいられないが、この時代、すでに彼らは伝説の一部だ。崇拝される偉人達のうち、数人の名前も素性も伝わらずとも、誰も、そこに何の疑問を抱かない。
 だが、それで良いとも思う。
 あいつも、数百年後まで邪眼贈眼云々と騒がれるのは厭(いと)うに決まっている。

 サチェグは風に弄(もてあそ)ばれる金色の髪を掻き上げ、口角を弛めた。

 新しきヒノモトを守護する鬼神。
 人々の思念から神々が生まれ始めたのは、かの鬼神の咆哮からおよそ二百年後。
 生まれた神々は様々なものに宿り、様々な場所に鎮座し、人々を見守っている。人の願いから生まれた存在だけに、彼らは以前のヒノモトを支えていた神々よりもより人に身近となった。
 向かって西に広がる田園で作業する人間達の中には、稲を司る神が混じっている。誰もその存在に気付いていない。
 街中を歩けば、もっと多くの人間臭い神に出会えるだろう。

 元のヒノモトとは、まるで違う国と変わっていた。

 妖という存在を除いて。


「先生ー、行くのが早いですよー」


 ふと、見入っていたサチェグの後ろで間延びした声が上がる。
 サチェグは微笑を一転、面倒そうな顔をして渋々肩越しに振り返った。


「お前に先生と呼ばれる筋合いなんか無えよ」


 よたよたと不安な足取りの少女は疲れきった顔で、不満そうに抗議した。


「ええー。でも先生はご先祖様の親友じゃないですかー。是非とも聞きたいんですよー。ご先祖様がどう言う生き方をしていたのか。だから先生についていってるんですよー」

「そんなん、妖に訊け」

「その妖さん達が曖昧にしか答えてくれないから先生なんですよー」


 へにゃりと笑う、親友の子孫。
 歴史家を志す彼女は、体力も無い上に病弱な身体だった。自身の先祖のことを書に記したいと夢見てサチェグについて行くと強引につきまとっている。兄妹達がどんなに心配しているのか分かっているのかいないのか、自分の身体を一向にいたわらず、非常にしつこかった。

 親友の子孫というのともう一つの理由とで、サチェグは彼女をぞんざいに扱えない。いつもいつも苦々しい思いを噛み締める日々だった。


「あのな、人間に害を為す妖共が出始めてるんだ。お前は安全な護村の中で歴史書を書いていれば良い」

「やーですよぅ。折角ご先祖様を知ってる当時の生き残りに出会えたんですからー」


 生まれつきまったりとした口調で、しかし強く拒絶する。
 サチェグは嘆息した。

 近年現れ始めた妖は着実に数を増やし、至る所で被害が確認されている。ファザーンにも、ヒノモト程ではないが害が生じているようだ。
 妖は人の心から生まれるモノ。昔も今も、そう。
 人間とは善悪どちらも持ち合わせているものだから、仕方のないことだ。

 妖が出るということは、穢(けが)れた思考を持つ人間がいるということ。
 親友が生きていた頃から浅ましい人間も存在していた。むしろ今になってようやくか、と感想を抱かざるを得ない。

 この少女と行動を共にするようになってかれこれ一年と半年。
 増加の一途を辿る妖から、好奇心と気分のままに動く彼女を守るのは一苦労だった。
 見捨てられるような、妖に対抗出来る人間だったなら、どんなに良かったか……いや、それでなくとも、俺にこいつは一生放っておけないんだろう。

 彼女を見、再び嘆息する。
 全く……嫌になる。

 彼女はへらへらする。
 サチェグが自分を放っておかないと分かっているからだ。
 何が何でもサチェグから先祖のことを聞き出す気でいる。
 その為なら妖の蔓延(はびこ)る禍(まが)つ場所であろうが何だろうが付いてくる。こんな頑固な部分は、先祖のどちらの血故なのか。


「……取り敢えず、六花ちゃんに会うか」

「えー。お兄ちゃんに見つかると色々と面倒臭いんだけどなあ」

「お前の家庭事情なんて知るかよ」


 サチェグは彼女を肩に担ぎ上げ、躊躇い無く崖から飛び降りた。



‡‡‡




 麗らかにそよぐ春風は心地良い。
 六花は嘗(かつ)て最愛の主が歌っていた、主の友人の作った大切な歌を口ずさみながら、廟の周りに植えられた山茶花の世話をしていた。
 廟の裏手には山椒。いつもいつも寝てばかりの彼は、しかし夜毎他の妖達と手分けして街の巡回に当たる。

 同じ主に仕えた妖達は、誰一人────或いは一匹────として主の墓を離れようとしなかった。
 死に際に、好きな所に行って、好きに生きると良いとかけてくれた優しい言葉に、誰も従おうとはしなかった。むしろ死してなお墓の側で守らせて欲しいと、総意だった。

 毎日毎日、廟を訪れる人間達を監視し、廟も周囲も綺麗に整える。
 そうしながら、主の子孫を見守る。

 何百年も、そんな日々を繰り返してきた。
 六花は、今の生活が幸せだった。死した彼女らのことを守れるのだ。他と比べるべくもない誉れだ。

 きっと同志達も同じ。でなければここに数百年も滞在する筈がない。

 冬に美しい花を咲かす山茶花の手入れには余念無く、どんな些細な異常も見逃さない。
 主達の為に。
 葉の様子を診ていた六花は、ふとその手を止めた。

 背後に向き直り、深々とこうべを垂れる。

 静かに歩み寄ったのは影そのもののように、全身を黒装束に包んだ男だ。
 数百年、変わらぬ姿を保ち、ヒノモトを旅して回っている、六花にとって主の次に尊い存在。


「お帰りなさいませ、鯨様」

「……変わり無いようだな」


 主の父、鯨は周囲を見渡し、目元を和ませた。


「先程、師を見つけた。じきにここにも現れる筈だ」

「お会いにはならぬのですか?」

「暇が無い。東の内乱を鎮めなければならぬ故」

「左様にございますか。お気を付け下さいませ」


 鯨は頷き、背を向けた。
 足早に歩き去る彼の背に再び一礼し、山茶花の手入れに戻る。

 それから暫くして、鯨の師は現れた。


「よお、六花ちゃん」

「お久し振りにございます。サチェグ様」


 金髪を揺らし、人懐こい笑みを浮かべた彼は片手を振り、六花の隣に立つ。その側に主の子孫の姿は無い。大方、兄に見つかって連行されたのだろう。今頃城では薬師を呼んだりして大がかりな健康診断が行われているに相違無い。


「如何ですか、あのお方との旅は」

「面倒臭いの一言に尽きるわ。ご先祖の話を聞かせろーってしつこいったら無え」


 心底辟易した様子で、サチェグは吐き出す。

 六花は小さく笑った。
 可愛い主の子孫の願いに答えてやりたいと、六花達妖は心の中で思う。
 されどもサチェグ同様、自分達も主のことを誰にも話せない訳があった。


「もういい加減話しちまったらどうです。もう何百年も経ってんだから時効でしょうよ」


 欠伸混じりの声は廟の裏から。山椒だ。


「と言いつつお前が一番あいつのこと話してねえだろうが」

「あたしはあの人達のことには不干渉だったんですよぉ。だから、話そうにも何も知りやせん」


 嘯(うそぶ)く。
 そう。誰よりも主の命令を守っているのは山椒だ。
 主は最期に、妖達と村人達に遺言を残した。

 決して、自分のことは名前も性格も、後世に遺すなと。
 ただ、何がヒノモトに起こったのか、漠然と伝えれば良い。
 歴史からの己の排除────それは、彼女自身が最期に下した、己への罰だったのだろう。

 そして主の夫も、晩年には妻と同様の罰を自ら被りファザーンにも自分達の足跡等を遺さないで欲しいと異母兄に頼み込んだ。

 遺言を受けた者達は、従順にこれに従った。ファザーン、ヒノモト両国には、一切の資料に、この夫婦の素性が残されていない。
 だから、あの子孫はサチェグにつきまとうのだ。先祖のことを、知らないから。

 六花は軽く呆れてサチェグに肩をすくめて見せた。

 サチェグも、苦笑を浮かべる。


「ああ、そうです。先程鯨様が参られましたよ。東で内乱が起こったとかで、すぐに発ってしまわれましたが」

「東……ああ、あそこか。あそこはずっと前から部族間の諍(いさか)いがあったからな。ま、鯨なら何とかなるだろ」


 鯨も、サチェグも。
 国を旅しては内乱を収めたり危険な妖を駆除している。
 鯨が自身に式として従う妖と命を繋いで不死の身体としたのもその為だ。

 全ては、主を思ってのこと。

 ただ、サチェグには永遠の旅路の中にもう一つ、別の目的があった。
 六花も彼の目的に関心があり、それに触れる。


「サチェグ様。ヘルタータ様は見つかりましたか?」


 サチェグの異母妹の行方である。
 ヘルタータは目覚めて以降、行方が知れない。サチェグが元ルナールや遠い異国を含め、何処を探しても足取りすら掴めなかった。
 錫も主の死後誰にも知られずに姿を消し、恐らくは彼女のもとに向かったのだと推測される。

 数百年も経った今、彼女の生死も分からない。
 だが、サチェグは異母妹が生きているように思えてならないのだと言う。
 殺したと思っていた相手が実は生きていて、ひょっこり現れ何の説明も無いまま兄と共に人柱となり、目覚めた途端に逃げるように行方知れずになったのだ。そう思えても仕方が無かろう。

 六花は視線を僅かに落とし、「そうですか」と吐息をこぼした。


「早く見つかると良いですね」

「そうだな。せめて、何で生きてて東雲家と繋がりがあったのかくらい、説明して欲しいところだよ」


 サチェグは不満を口にし、天を仰いだ。


「暫くは晴れが続きそうだな」

「サチェグ様も、すぐに発たれるのですか?」

「ああ。こっちは西に行こうかなと。……雨じゃないなら、体調は崩さないだろ」


 誰のことかは、言わずとも分かる。
 六花はくすりと笑い、サチェグを呼んだ。
 視線を逸らし、そちらへと促す。

 サチェグは途端にうえっとえずいた。

 大急ぎでこちらに走ってくる主の子孫がいたのだ。過保護な家族からの大袈裟な健康診断から死に物狂いで逃げてきたらしい。


「先生ー! 早くここを発とうよー! じゃないと私、布団でぐるぐる巻きにされちゃう!!」

「そのまま監禁されてろ馬鹿娘」

「やーですぅ!!」


 サチェグに飛びついてぐいぐいと腕を引っ張る彼女に、サチェグは心底嫌そうな顔をする。けども結局言う通りになってしまうのだ。
 引きずられていくサチェグと、急いで逃げようとする少女を見つめ、目を細める。

 山椒も欠伸混じりに隣に並び、少女に声をかけた。


「あんまり身体に鞭打っちゃあ駄目ですよ、《有間》さんー」


 山椒の声に、少女────有間は振り返って片手を挙げた。


「分かってるー!! りっちゃん、さんちゃん、ご先祖様達のお墓、よろしくねー!」

「畏まりました。どうかお気を付け下さいませ」


 有間は、六花達の主と全く同じ容姿で、主とは違う、とろけるような笑顔を浮かべて手を大きく振った。



─友情一番・完─


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