Epilogue
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12





 右腕を動かさずに出来ることとして六花が提案したのは、将棋と囲碁だ。これなら相手にも困らないし、長く興じられると、有間の手袋を示して提案した。
 長時間やるつもりは無いが、まあ良いかと手袋から適当な妖を呼び出した。

 その相手に、文句を言われながら将棋を進めている。


「ねえ、有間様。適当に呼ぶにしたってね、あたしは基本何もしたくねえんですよ。だからあんたの式になったんだ」

「ああはいはい。次山椒(さんしょう)の番ね」


 ぐちぐちとしつこい彼を慣れた様子でいなし、促す。
 山椒と呼ぶこの男は、真っ赤な女物の着物をまとい、緑の黒髪を腰まで流し、白粉(おしろい)や紅で女性めかしく化粧を施した麗人然としながら、尾骨の辺りからふさふさとした尻尾を生やしていた。金色から黒へと変わる毛並みの良いそれは、ぼやく度に右に左にゆらゆらと揺らめいた。

 彼は野狐(やこ)。長い時を生き過ぎて自堕落になった雄である。長生きなだけに力はあるので暴走することは無かったらしいが、いつ自我を失うかも分からない、そうなるのは面倒臭いと有間の式になりたいと出会い頭に言っていた筋金入りの無気力狐であった。
 とは言え有間が命令を下せばその知嚢(ちのう)で助けてくれるし、守りもしてくれる。性格を除けばそれなりに頼りになる妖だった。

 山椒はやれやれと大袈裟に首を左右に振り、恩着せがましく真摯に考える素振りを見せて駒を動かした。


「にしても、昨日は良くもまあはっきりと言いなすったもんですねえ」

「何が?」

「アルの旦那に好きだって。あんた、そういうのは苦手かと思ってやした」

「苦手だよ。昔のうちだったらね」

「ああ、なるほど。心が麻痺しちまうと、苦手も何も無くなる、と。そいつぁ、悪いことばっかりって訳でもねえ」


 「どっちでもないさ」有間は淡泊に返し駒を動かす。良いとも悪いとも思っていない。……いや、少しくらいは悪いと思っているか。ティアナ達に対する態度を思えば。

 山椒は片眉を上げ、生意気にも懐手にした左手を出した。緊迫に鶴の踊る扇子がきらきらと視界的に五月蠅い。
 扇子で口元を隠し、流し目で扉を見やる。金色の目をすっと細めた。


「この機に攻め込まねえアルの旦那も、大概お堅いもんでさぁ」

「攻め込むって……」

「だってそうでございやしょう。結局自分からまた待つと決めちまってるじゃねえですか。男なら今のうちにびしいっと埋め込んで孕ませちまって、」

「このまま将棋盤を投げつけてやっても良いけど」

「有間様はどうも乱暴でいけねえ。嫁ぎ遅れますぜ」

「嫁ぐ嫁がないの前に妖狩りに戻りたいよ」


 にべもない。
 山椒は仰々しく嘆息し、指を鳴らした
 すると、独りでに引き戸が開かれる。

 短い悲鳴は聞き慣れた女性のものだ。
 金髪が日差しを受けて輝くも、控えめで上品な印象を受ける。山椒の扇子とは大違いだ。

 山椒が笑いかけたのに、ティアナは大わらわで弁明した。


「あ、えと、違うんです! 立ち聞きしてたんじゃなくて、丁度今来たって言うか、」

「こいつぁどうも、いらっしゃい。ティアナ殿。あんたがついさっき到着したってのは、あたしも有間様もちゃぁんと分かってますよ。しかし、ご覧の通りあたしらは対局中でして、ちょいとお待ち願えやせんかねえ。ああ、どうぞ上がってくつろいで下せえ」


 くすくすと笑いながら扇子を揺らし、また独りでに座布団を少し離れた場所に置く。
 ティアナは山椒の気遣いに困惑しながらも謝辞をかけて上がり込んだ。

 だが、ここ数日寄りつかなかった彼女が一人で有間の家を訪れるとは珍しい。どんな心境の変化だと行儀良く座って膝の上に麻布をかけた笊(ざる)を載せるティアナを一瞥する。

 そんな主人を、今まで面倒そうだった山椒はやたら楽しげに促した。こいつは鼻が利く。笊の中身に察しがついて機嫌が良くなったのかもしれない。
 となると……中身は甘味の類か。
 こちらが胸焼けを催してしまいそうな程の甘党である山椒だ、打って変わって機嫌が良くなるのはそれ以外に考えられない。
 それに、ティアナならこちらの料理を学ぼうとするかもしれない。ここに来る理由がそこにあるのかは不明だが。
 取り敢えず今は将棋に集中しようと、有間は盤上に視線を戻した。ただの退屈しのぎとは言え、山椒は手強い相手だ。負けたくはない。

 ティアナは二人の対局を邪魔せず、無言で二人の手の動きを観察していた。ルールは分からないから、さぞや退屈だろうに、そんな様子はおくびにも出さなかった。

 やがて有間の勝利で終局を迎えると、山椒が立ち上がった。


「あたしはお茶を用意してきますよ。六花さんには、とてもとても敵いやせんけどね」

「……あ、お気遣い無く……」

「ティアナ、視線、視線」


 いつの間にか山椒ではなく山椒の尻尾に目を奪われていたティアナは有間の言葉にはっとして慌てて視線を逸らした。恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「あいつ、尻尾は絶対に誰にも触らせないから諦めた方が良いよ」

「……う、」

「そこで露骨に残念そうな顔をするなよ」


 将棋盤と駒を片付けながら、有間は変わっていないティアナの性分に口元を歪めた。浮かぶ筈だった苦笑は、歪なものでしかなかっただろう。すぐに唇を引き結んだ。

 ティアナは取り繕うようにやや大きく声を発した。


「あ、あのね、アリマ。宿屋の人にヒノモトお菓子の作り方を教えてもらったの。だから、良かったら食べない、かなって思って」

「やっぱり。それであいつ機嫌が良くなったのか」


 微かに聞こえる鼻歌は山椒のものである。匂いで味も分かるらしい彼は、その嗅覚で菓子が美味いということも察したようだ。


「良かったね。甘味には殴りたくなる程五月蠅い山椒が喜んでる。味は良いみたいだよ」

「そう、でね、」

「まあ、ゆっくりしていけば良いさ」


 そう言うと、ティアナは肩を少しだけ落とし、安堵したように、心底嬉しそうに笑った。かと思えばきょろきょろと家の中を見渡し始める。
 その様子から彼女の心内を悟った有間は、


「錫ならアルフレートと一緒に村昌の所に行ってるよ。対妖用の武器のことで色々と話がしたいんだと。ついでに錫の散歩兼ねてもらった」

「べ、別に錫に触りたかった訳じゃ……」

「自分から言ってんじゃねえか」


 分かりやすい。
 有間は鼻を鳴らし、足を組み替えた。
 ティアナの様子を探るように観察しながら、ぼそりと、


「そのまま帰るまで会おうとしないんだろうと思ってたんだけどね……」

「あ……ごめんなさい」

「いや、客観的に見ても主観的に見ても、うちに問題があるからね。そっちが謝ることじゃない」


 単調な声音でドライに言う有間に、ティアナは眦を下げる。


「リッカさんが、妖ばかり殺して回っていた所為で、心の方が凍り付いているって言っていたわ。……少しくらい、止められないの?」

「止めたらその分サチェグ達の目覚めが遅くなる。あいつらはうちの尻拭いで人柱になったようなものだ。なのにうちが我が身可愛さに立ち止まることなんてうち自身が許さない」

「でも、」

「気持ちは嬉しいけどね。自分の後始末にまで君達を巻き込むつもりはないよ」


 ヒノモトにまでついて来てくれたのは、正直有り難かった。有間が女神の夢の通りに動かなかったのは、ティアナやアルフレート達の存在によるところもあった。
 だから、それだけで良い。それだけで十分だ。
 そう淡泊に言うと、ティアナはまた泣きそうな顔をした。何かを言おうとして、止めた。笊を自分と有間の間に置き、麻布を取り去った。

 大福餅だ。
 それ以外にも草餅もある。
 山椒の態度で味は保証されているし、見た目も綺麗な丸い形だ。

 山椒、これなら尻尾くらい触らせてやるかもしれない。
 厨の方を見やり、有間は目を細めた。

 と、お茶を持って山椒が戻ってくる。


「有間様。水雲と日車がお帰りなすったよ。お菓子は足りるかい」

「あー……足りるだろ」


 有間は山椒に顎で引き戸を示し、開けさせた。

 ややあって、毛深い二匹が入ってくる。

 ティアナが悲鳴を上げるかもと危惧したが、果たしてそんなことは無かった。
 むしろ水雲を見て、瞳を輝かせたのだ。

 ……うちが手入れしてやってたのが、仇になったか。

 ティアナの視線を受けてびくりと身体を震わせる水雲を見やり、そう言えばこいつ極度の恥ずかしがり屋だったなと思い出した。



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