Epilogue
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10
困ったことにやることが無い。
有間は火の消された囲炉裏を前に、憮然と唇を尖らせていた。
今の今まで妖を殺すことにばかり専念していた為、いざ長期休暇をどう過ごそうかと思案したとて何一つ予定が決まらない。六花から妖狩りに関する一切のことを禁止されていると、したいこともするべきことも、全く以(もっ)て見つからない。
はて、自分はこんなにも無機質な人間だったろうか。
いつの間にか、休日の過ごし方すら分からなくなっている。
思った以上に色んなモノが欠落してしまっていたらしい。これじゃあ全てが終わった時、元の生活に戻れる気がしない。いや、そもそも元の生活が何なのか分からない。
有間はこめかみを押さえ長々と嘆息した。
六花もアルフレートも、今家にはいない。六花は食材の調達、アルフレートはマティアス達のもとへ行っている。
家にいるのは、有間以外には錫と、有間の手袋にいる妖達だけだ。
有間は髪を掻き上げ立ち上がった。
寝ようにももう四度寝はしている。さすがに睡魔にそっぽを向かれている。
かといって家を出るのも面倒だ。村人に構われるとこっちが気を遣うのだ。
家の中で退屈を紛らわすには、何をすれば良いのか……。
有間は手袋を見下ろし、足下の錫を見下ろした。
「……お前の毛、切るか」
錫は嬉しそうに尾を振った。
‡‡‡
「おーいアリマー、いるかー?」
暢気な声が聞こえた。
丁度毛を切り終えた錫を湯殿で洗っていたところだった有間は古布で錫を包み玄関に出た。
そこには、昨日は見なかった懐かしい顔と、エリク。
「よお、ルシア。相変わらず肥えてんのな」
「肥えてねえよ!」
ああ、やはりこの過剰な反応はルシアだ。
有間は悪びれ無く口角を歪め、二人の手にそれぞれ楽器があるのを認め、囲炉裏の方を指差した。ただ驚いたことに、エリクはヒノモトの二胡だ。興味を持ったのは良いが、誰に弾き方を教わったのだろう。この村に、二胡を嗜(たしな)む人間などいただろうか。
囲炉裏に座っても有間が二胡を見つめていると、エリクは笑って言った。
「元々ヒノモトの楽器には興味があったからね。これを機に学んでみようかなって。丁度、二胡の先生をしていたって言う人がこの村にいたからね。二胡自体はこっちでも流通しているし」
エリクの身分を考えれば、それなりに信用のある商人から買い取ったと推測出来る。
有間はエリクに断って二胡を手に取り、じっくりと調べた。床に下ろされた錫は布にくるまれたままエリクに拾われ、主人の代わりに身体を拭かれた。
錫を拭きながらエリクが話した内容によると、鯨から術を施され、音に退魔の力が宿るとのことだった。確かに、何重にも術がかけられていると感じる。
有間はエリクに返し、ルシアにも無言で手を差し出した。
ルシアもやや不満そうにしながらも己のバイオリンを手渡した。
‡‡‡
有り難いことに、一通り二人の指導を終えたのは夕方であった。
橙の日が縁側から差し込み、厨の方から胃を刺激するとても良い匂いがする。今日は、煮物のようだ。じきに腹の虫が騒ぎ出すだろう。
「それじゃあ、アリマ。また明日来るからね」
「ああ。……しかしルシア。二胡初心者のエリクに負けてたね」
「五月蠅えな……分かってるよ、んなことは!」
「ま、使い慣れた楽器なだけあって、力はエリク以上に感じられたけどね。ルシアの方は、もう少し感覚掴めば問題無いと思うよ。そういう風に《父さん》が術を調整しているみたいだし」
有間が単調に言ったのに、ルシアは鼻白んでたじろいだ。けれども何処か気遣うような顔になり、エリクに視線で制された。
そのまま別れの挨拶を交わし、二人を見送る。
と、擦れ違うようにアルフレートが戻ってきた。
「ん……ああ、お帰り」
そう言葉をかけると、アルフレートは隻眼を見開いた。けれども嬉しそうに微笑み、「ただいま」と言葉を返した。
有間は首を傾げながら、家の中へ。
囲炉裏の側には六花が蓋をした鍋を下げていた。二人に気付くと、にこやかに頭を下げた。
「あら、お帰りなさいませ。アルフレート様。我が主も、もうじきお食事のご用意が出来ます故、今暫くお待ち下さいな」
「ああ。すまない」
「いいえ。わたくしめの料理を、斯様(かよう)に落ち着いた場所で我が主に召し上がっていただく機会などそうそうありませぬ故」
嬉しそうに語る六花に有間は肩をすくめ、足下の錫を抱き上げてひとまず部屋にいるからと六花に声をかけた。
だが、
「アリマ。すまないが、お前に渡したオレの剣を返してくれないか」
「剣……ああ、あれか。分かった。じゃあ六花、少し出てくるよ」
アルフレートは首を傾げた。
「外? ここには無いのか」
「念の為、ディルクに渡してあるんだ。うちはほとんどこの村には戻らないから、まともに管理が出来ない。ディルクに頼んでおけば確実だ」
有間は錫を抱いたまま家を出た。
やや遅れてアルフレートがついてくる。
六花は囲炉裏の側から離れる訳にもいかず、三つ指ついて二人を送り出した。
ディルクの住まう家は、村の奥。元闇眼教本拠があった場所に在る。
有間の家からさほど遠くなく、しかし帰宅する村人達に捕まっては愛想良く切り抜け続け、本来よりも永く時間がかかってしまった。
勝手口に回り込み、丁度飯炊きをしてくれる近所の女房が帰るのとかち合い、彼女に取り次ぎを頼んで屋敷の中に入る。
ディルクは私室にいた。食事には手を着けず手にした和紙に目を通していた。彼の前には膳がきちんと置いてある。載せられた料理からは湯気が立ち上っている。
ディルクは有間達に気が付くと書類を床に置いて立ち上がった。
アルフレートには他人行儀に粛々(しゅくしゅく)と頭を下げ、女房に礼を言って帰らせた。
「どうかしたのか。お前が来るとは珍しい」
「アルフレートの剣預けてただろ? それを返して欲しいってさ」
「兄さ────殿下の?」
アルフレートが、一瞬だけ眉を動かした。
有間は怪訝に顔をしかめる。
いちいち言い直さなくても良かろうに……さっきの態度とてそう。何の気兼ねがあるというのか、まるで赤の他人のように振る舞おうとする。
まさかうちが寝ている時もこんな感じだったとか?
有間は舌打ちし、アルフレートの背中を押した。
「アリマ?」
「うちは滝の所にいるから、兄弟水入らずで腹割って話しなよ。二人の間が面倒臭くなくなったら剣を持って滝に来て」
それまで来るなと念押しすると、アルフレートはつかの間困惑していたものの、ディルクを見やって目を伏せた。
有間を見下ろして、頷いた。
「……分かった。すまない」
「良いよ。あんたらがギクシャクしてたら今後ファザーンと付き合うのに邪魔になる。ディルクもそこんとこ考えろよ。村を取り仕切ってるのは君なんだから」
ディルクは目を逸らし、唇を真一文字に引き締める。
これは推測にしすぎないが。
ディルクの中では、もうファザーンを捨てたのだと思っているようだ。
だがアルフレートもマティアス達もそうは思っていない筈。
無論彼の罪を赦(ゆる)すことは立場上出来ないが、彼なりの償いを止めさせるつもりもないだろう。
アルフレートと昔のように接していても、そんなマティアス達は咎めまい。
だのに、どうにも遠慮と気まずさで焦れったくて仕方がない。
有間は錫を地面に降ろし、二人を交互に指差した。
「錫。お前は二人の立会人。またギクシャクしたり話が進まなくなったら容赦なく電撃食らわせて良いから」
「な……っ、殺す気か!?」
「そうでもしなけりゃ腹なんぞ割らんじゃろが、ディルク」
錫の元気の良い返事に片手を挙げて応じ、有間はアルフレートにも小声で言葉をかけた。
「君も、言いたいことがあるなら今のうちに全部出しときなよ」
「ああ。そうさせてもらおう」
アルフレートはほっとしたように笑って頷いて見せた。
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