Epilogue
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 幸いにして村人やマティアスらに見つかることも無く、有間とアルフレートは帰宅した。

 帰りを予知していたのか、六花はすでに囲炉裏にて粥を拵(こしら)えており、椀によそって盆に載せ差し出した。
 数種の薬草を共に煮てあるそれは、六花の絶妙な味加減で青臭さも苦みも失せ、食べやすくなっている。
 清めの直後で冷え切った身体を暖めなければ、体調を崩しかねない。
 囲炉裏の側に腰掛けた有間はそれを素直に受け取り、胡座の上に盆ごと載せて、木匙で掬(すく)って黙々と食べた。片腕しか使えないのは、なかなか不便だ。アルフレートや六花が食べさせようかと気を利かせてくれたが、やんわりと遠慮した。人に頼ることは、今後の為にもしたくなかった。

 六花は錫は勿論、アルフレートにも粥を差し出した。有間の客人であるからと態度は慇懃(いんぎん)だ。
 アルフレートが受け取ると三つ指ついてこうべを垂れた後、立ち上がってそそと厨へ退がった。

 彼女の後ろ姿を見送りながら、アルフレートは有間に問いかける。


「彼女は、人なのか? 妙な気配を感じるのだが」

「いや、妖。雪女。ファザーンとかでも有名だろ」

「お伽噺なら、小さい頃に。だが、火に当たって溶けて消えるという結末だったぞ」

「普通の雪女ならね。でも六花はうちの式になることでそういう制約が塗り替えられたんだ。主人の気にもよるのだけどね、妖の中には、式を結ぶ際に化学反応みたいな現象が起こって特性が変わる奴もいるんだよ。雪女も、その類」


 手を止めて説明すると、アルフレートは感心した。
 次に視線をやったのは、邪眼を封印する黒の手袋。今ではもう一つ、式達の住処の役割を果たしていた。


「その手袋にリッカ殿も?」

「ああ。六花は使用人みたいな役目もあるから頻繁に出すけど、普段は手袋の絵の一つ」


 アルフレートに答える自分の、なんとすげないことか。
 自分でももう少し愛想を振りまけよと思うが、そんな気がまるで浮かばない。
 まだ彼を特別だと想っているけれど、麻痺した心はちっとも震えない。ティアナの時がそうだったから、予想はしていた。
 薄情だと思われても仕方のないことだろう。

 それを思えば微かに胸が痛む気もする。だが、気がするだけ。
 有間は食べ終えた粥を囲炉裏の側に置き錫を呼んで腰を上げた。


「うちらはもう休むよ。六花にもそう言っておいて。君の寝床は六花が用意する筈だから」

「ああ。……アリマ。その前に一つだけ良いか」


 お前に再会出来て本当に良かった。
 アルフレートは笑いかけ、最後にお休みと付け加えた。

 有間はアルフレートを肩越しに振り返り、一瞬だけ口角を震わせた。けども不満そうな顔をして、すぐに寝室に入る。
 失敗した。
 心中で苦々しく漏らして己の頬を撫で、寝床に潜り込んだ。



‡‡‡




 雪の化身である六花には、主人の心が、妖を確実に殺めていく都度冷たき氷に浸食されていくのが分かった。
 毎日が妖を殺すばかり。断末魔と汚れた血ばかりで明るい出来事など一切無い。

 このままではかつての自分と同じ、何も感じぬ、何も思わぬ空虚な存在になってしまう。
 あの虚しさを、最愛の恩人に味わわせてはならぬ。六花は己に何か出来ないか、有間の代わりに自分達を束ねてくれる雷獣、錫に相談を受けてもらいながらあれこれと思案を巡らせた。

 けども、式である以上自分には主の深い部分には干渉を許されていない。
 結局、凍り付き麻痺していく主の心を、他の式達ともどかしく見守っていることしか出来なかった。妖狩りと関係のない、他愛ない話をしても、無表情に言葉を返されるだけの、悲しい手応えだけだった。

 そんな折に、主は妖気に冒された。
 このままでは死ぬ────そう思われた時、まるで消失した筈の神が導いたかのように、異邦人達は現れたのだ。

 嘗(かつ)ては清らかに過ぎた神など酷く厭悪(えんお)していた自分達も、この時ばかりは心から感謝した。この世に生まれ出でて初めての青天の霹靂(へきれき)である。

 異邦人は錫や闇馬と共にいた。意識の無い有間を保護した後、錫が案内を買って出て安全な場所へと移動した。ティアナと言う娘が大急ぎで応急処置を施し、また錫の案内で護村へと急いだ。

 途中、鯨が合流したのは必然だった。異邦人の侵入を至る所に放った式から報告を受け、己の仕事を迅速に片付けた上でこれを追跡していたのだ。
 鯨によって有間の生命を冒す妖気の半分が祓われ、予断は許さぬもののひとまずの峠は越えた。

 護村についてからはまた大変な騒ぎだった。
 崇める贈眼様が命の危険に曝されているのだと、色んな精力剤を用意しようと村人達が騒々しくなったのだ。鶯やディルクが何とか治めたが、有間によく懐いている双子は毎日のように有間の様子を見に来た。

 今まで永きに渡って邪眼一族と蔑んでいたくせに、本当に人間は勝手だと六花は彼らを嫌悪する。
 自分も、妖であるからと何も害を与えておらぬ人間達に危害を加えられた過去がある。そして、自分の力を悪事に利用しようとする汚らわしい悪意に満ちた人間も、散々殺めてきた。
 未だ護村の人間を厭う六花は、双子が家に寄り付くのすら気に食わなかった。有間に従っている手前、殺しはしないが、殺意が芽生えたことなど数え切れない。
 正直有間の手伝いをする鶯も気に入らない。補佐は自分達でやるのに、必死に働いているのが、苛立たしい。

 有間が己の罪の贖(あがな)いの為、滝に眠る友人の為に妖狩りをしているのだと分かっているから、表に出さないだけだ。贖罪が終わればこぞってヒノモトを去ろうと進言するつもりだ。有間は受け入れてくれないだろうと、分かっているけれども。

 汚いヒノモトの人間よりも、異邦人の方がよっぽどましだった。彼らは有間を大事に扱う。種族に関係無く有間個人を心から心配して、看病をしてくれる。
 ディルクも、不器用ながら有間や鯨を気にかけ、毎日のように邪眼一族の墓地の様子を見に行って、拙(つたな)くも綺麗に掃除してくれているのを、妖達はちゃんと知っていた。
 少なくとも六花の知る異邦人達に、偏った見方で有間と鯨に接する者はいなかった。

 特に、アルフレートと言う男は、六花でも分かる。有間に恋をしている。五年も会っていない有間に、火に強くなった六花ですら近寄れない程の強い想いを抱いている。
 やっぱり、主はヒノモトを出るのが良い。それが主の幸せとなろう。
 六花は確信する。自分を救ってくれた恩人であればこそ、大いなる幸福を願う。


「アルフレート様。寝床の用意が出来ました。ご案内致します」

「……ああ、すまない」


 一人囲炉裏の側に座るアルフレートは、六花に短く頭を下げた。礼儀を払う必要など無いのに。
 有間と錫の姿が無いのはもう休んでいるからだ。すでに気配で把握している。故に、こうしてアルフレートの部屋を整えてきたのだった。

 アルフレートは六花が促せば腰を上げ、後ろについた。


「すまないが、暫く世話になる」

「いいえ。我が主をお助けいただいたご恩をお返しする機会と思いますれば、ここに滞在していただけることは喜ばしいことにございます」


 にこやかに返し、六花は家の奥へ進む。

 この人達が、最愛の主の氷を溶かしてくれることを、氷の化身は心から願う。

 そして、願わくは────このヒノモトから連れ出してくれることも。



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