Epilogue
────
8
夜も更けた頃になり、有間は自宅に六花を残して山を下りた。
闇紺山から西に数分歩いた先に広がる深い森に錫を伴って入り、最奥の泉の畔(ほとり)にて旅には出ぬからと六花に着せられた着物を脱ぎ捨て一糸纏わぬ姿となった。
二十歳を超えた身体はすでに成熟し、妙齢に相応しく、括れ、腹から太腿に至るまで柔らかで細い曲線を描いている。白き肌はさながらつきたての餅だ。至る所で真新しい傷跡が複数重なっていなければ、盛る男共は身体だけでこぞって涎を垂らしただろう。
瑞々(みずみず)しい若さ故の柔らかな弾力の肌身を月下に晒し、有間は泉にほっそりとした足を入れた。
身も凍る冷たき水の中に浸かり、剥き出しになった両手を合わせ指を複雑に組み早口に何事かを呟く。それは長く続いた。
禊(みそ)ぎの儀である。
多少とは言え神の力を与えられた有間は、ほんの少しの暇さえあれば身を清めるよう心がけた。
特に今は、妖気などに過敏に反応してしまう。禊ぎをすることで過剰反応の抑制を図る為でもあった。
内臓から寒気に痙攣を始める。声も震え、まともに言葉を紡げぬ状態になったのはすぐのことだ。
今宵は特に気温が低いようだ。あまり長くかけて身体を痛める訳にもいかぬと、有間は早々に禊ぎを切り上げた。
冷水の中立ち上がり、右肩の傷を撫でる。
手袋を脱ぐまで、痛みの中僅か故にもどかしい痒みが生じていたそこは、今は大人しいもの。冷水による感覚鈍化で痛みもあまり感じなかった。
ざばざばと水を掻き分け大股に畔へ上がれば、有間は六花でない気配を捉えすぐさま脱ぎ捨てた衣服に駆け寄った。襦袢(じゅばん)を取り前を隠しながら更に馬上筒を取り上げ容赦なく発砲した。
気配を感じた方角の大木が特殊な弾丸に木肌を抉られた。
「そこにいるのは誰だ」
厳しい声音で問いかける。逃げを許さぬ断固とした声で応(いら)えを強いた。
ややあって────抉られたその横の木の後ろから慌てたように背の高い影が。
灰色の前髪の影が揺れるそのかんばせに眼帯を見、有間は顎を落とした。
「あ……アルフレート」
来ていたのか。
有間は銃口を下に向けかけて、しかし再び彼に向けて発砲した。
自分の今の無防備に過ぎる姿を、思い出したのである。
‡‡‡
「……で、こんな所で何やってんのこの覗き魔」
彼をむっつりから覗き魔へと認識を改めた有間は、岩に腰掛け馬上筒を左手で弄んだ。
アルフレートは真っ赤な顔を有間から逸らし、力無い否定を繰り返し囁いた。
五年の経て様子の変わったアルフレートは、前よりも重厚感が増したように思う。剣客が年老いてそれまでの経験を威風と変えて背負うように、鉛のような侵しがたい堅固なオーラを細身の身体にまとう。
敵として対峙したならば、精神的負荷は計り知れない。
将来これがどのような変化を遂げるか、恐ろしいものである。
……そんなことばかりを考え、ティアナ達と同様、再会に何の感慨も無く冷静でいる有間は苦笑を噛み殺す。勿論、先程の一件がのこともあるけれども。
「君ね、再会が覗きってどうなん?」
「だから違うんだ……! 巡回中、人影を見かけて不審に思ったからで、アリマだったとは考えもしていなかった。結果的に覗きと取られてしまう形になってしまったのはオレに非があるが、」
「取り敢えず、風穴を一つ開けようか。ここはヒノモトですよ、ファザーン王子殿」
額に銃口を押し当てると、アルフレートは重ねて謝罪する。心底悪いと思っているようだが、再会があんな形とは、今の自分でさえ駄目だろうと断言出来る。
有間は嘆息を漏らし腰を上げた。
「まあ良いや。取り敢えず村に戻ろう。あんたも宿屋に泊まってるんだろ?」
「いや、オレはお前の自宅に泊まらせてもらっている」
有間は自然な動作で再び銃口を額にごりっと押し寄せた。
アルフレートは慌てて弁解を始めた。
曰く、すでに妖と戦えるアルフレートはティアナ達との連絡役として、有間の家に滞在すると彼らの話の中で決まったらしい。その間マティアス達は妖への対抗手段を学び、ファザーンで応用出来ないかを試行錯誤するそうだ。
「……建前としてはそれらしい理由だね」
「建前じゃないんだ! 信じてくれ!」
「誰だっけティアナのドレス姿をうちで想像して悶(もだ)えてた奴」
持ち出せばアルフレートは呻く。それに関しては弁解の余地無いのかお前は。
有間は馬上筒を懐に入れ、側で二人を見上げていた錫を呼んで歩き出した。
「ほら、巡回の奴らに見つかったら贈眼様だの何だの囃(はや)されて面倒だ。さっさと戻ろう」
「……」
「言っとくけどもう君うちの中で確定してるからねこのド助平が」
冷たく言って、有間は心中でまた溜息をついた。
って言うか、本当に再会がこれでどうなんだ。
いやまあ……気まずいってことも無いから楽だけれども。
これもこれで、調子が狂う気がする。
見るからに悄然(しょうぜん)としているアルフレートを肩越しに振り返り、有間は後頭部を掻いた。
錫は、今のやりとりを分かっているのか、慰めるように優しく鳴いてはアルフレートの足下を歩みの邪魔にならない程度に彷徨いた。
.
- 123 -
[*前] | [次#]
ページ:123/134
しおり
←