Epilogue
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7
ゴンッと凄まじい音と衝撃に有間は呻いた。
左手で頭を押さえて座り込み悔しげに奥歯を噛み締める。その音の凄さに六花が困り顔で寄り添った。
「我が主、大丈夫ですか」
「これが大丈夫だと思うのか……! 畜生クッソ痛ぇ……っ!!」
ぎろりと睨めつけるが金髪の青年は鼻を鳴らすのみだ。
偉そうな仕種に思わず拳を作り、強烈な痛みにすぐに解いた。
六花が諫めるように有間を呼び、そっと支えながら竹細工の、足の低い椅子を持ってきて座らせた。
「今、お茶をお淹れ致しますね」
六花は青年達に拱手し、厨(くりや)の方へ退がった。
有間は舌打ちする。
足を組んで三人を見渡した。錫が当然のように乗り上がってきた。
「いきなり殴られたのには納得がいかない……が、それよりも何で君達がいるのさ」
マティアス、ティアナ、何処か見覚えのある金髪の青年を見、目を細めた。外人が囲炉裏を囲って座っている光景は少々異様だが、今はそんなことどうでも良い。
ヒノモトにはまだ誰も入れない筈だ。国境は分厚い氷の壁に隔てられ、何人たりとも侵入不可能であった。鯨から聞いたし、自分の目で確かめもした。
決してあの堅固な氷が溶けるとも破壊出来るとも考えられない。
だのに、ファザーンにいるマティアス達がここにいる。
矛盾だ。
それに、さっきから嬉しそうにこちらを見つめてくる青年は誰だ。見覚えはあるが、誰なのかは明確に分からない。記憶を掠ってはいるのだけれど、これというものを掴めないもどかしさで胸がもやもやした。
ちらりと青年に目をやると、徐(おもむろ)に口を開いた。
「久し振りだね、有間。僕のこと分かる?」
「……。……あー、声で何となく分かった」
エリクか。
名を言い当てた有間にエリクは更に笑みを甘く華やかにした。頬が上気すると、昔は無かった色気を放つ。大人びて、マティアスとよく似た艶やかさを備えていた。
まあ、五年も経てば当たり前か。
自分も随分と見てくれが変わっている────とディルクや鶯に言われた。
……いや、それはさておき。
マティアスを見て話を促した。
マティアスは目を伏せ鼻を鳴らした。
「ヒノモトの竜が死ぬと共に氷の壁を破壊したそうだ。アルフレートがその様を目撃している」
「竜……あいつか」
暁。
消滅したのか。
魂の欠片だという狩間と同化した有間には何の異変も無かった。暁本体とは全くの別物、繋がりももう失われているのだった。
自身の左手を握ったり開いたりして感触を確かめる。やはり何も異常は無い。
暁は消失したとなれば夕暮れももうあの封印の中にはいないだろう。
それは、当然の流れだった。新しい国になるのに、過去のヒノモトの神は存在してはならない。
これで、神は全て消えたことになる。
またより一層の働きが求められるだろう。
ファザーンへの影響にも思案を巡らせなければならない。何かしらの術を国境に施しておこうか。鯨にも協力してもらおう。
「アリマ。ヒノモトの状態を聞く前に、お前のその目を説明しろ」
「ん……ああこれ。狩間と同化したからだよ。神の力も少しだけ使えるようになった。滅多に使わないけどね」
「身体に異常は?」
「無い。暁が消滅しても、うち自身には何にも起こらないらしい。今のところ身体に異常は全く生じていないよ」
そこで、ティアナがほっと胸を撫で下ろす。良かったと、声も無く呟いた。
戻ってきた六花が有間に湯気立つ湯飲みを渡して背後に立つ。いつ用を申しつけられても良いように、使用人のように静かに佇んだ。
「今のヒノモトはまだ妖が彷徨(うろつ)いてる。この村の周囲までは安全だけれど、遠く離れればまだ人間の血肉に飢えた妖共が跋扈(ばっこ)してる。……まあ、五年前よりは随分と数を減らしたけれど」
「お前とイサ殿が、か?」
有間は首肯する。ティアナが有間の右腕を見て痛ましげに眦を下げたのを無視して五年間のヒノモトの状態、氷の壁が壊れたことによるファザーンへの想定し得る危害についても、寝起きながら分かりやすく縷説(るせつ)する。
マティアスは途中で質問を挟むことはあったが、さほど多くはない。黙って耳を傾けて頭を働かせていた。
話し終えると、腕を組んで顎に手を添えた。
「となると、やはりムラマサ殿の鍛えた得物を扱える者をファザーンでも育て上げるべきか」
「村昌? ……ああ、あの刀匠、破魔の武器が作れるようになったんだっけ」
村のことにはノータッチであるが故にその経緯は詳しく知らぬが、村昌の鍛えた刀には破魔の力が宿り、それを使用した自警団によって現在鯨の僕(しもべ)達と巡回が為されている────といつだったか小耳に挟んだ、ような気がする。さほど重要ではないからと聞き流していたのだろう。記憶が曖昧だ。
だが破魔の武器をファザーンに提供する必要はある。鶯から村昌に要請させておこう。
思案していると、マティアスは大仰に溜息を漏らした。
視線を向けると、彼は呆れ果て、
「あんな別れ方で、五年振りに会ったんだぞ。随分と冷たい反応じゃないか?」
「……そう言われてもね。まだヒノモトの状態が芳(かんば)しくないから、歓迎は出来ないんだよ」
これが全てを終えた後であったなら、こちらも安堵したかもしれない。
けれども再会はあまりに早すぎた。まだやらなければならないこと、考えなければならないことが増えただけだ。彼らを安全にファザーンへ返す方法も考えなければならない。
未だ気は張り詰めていて、久方振りの再会が喜べないでいるのだ。正直、今すぐにでもまた妖を狩りに行きたいと逸(はや)っている。
それを悟った六花が、窘めるように優しく声をかけた。
「我が主。傷が癒えるまではどうかこの村でお休みいただきますよう。鯨様のお話では、傷が半端な状態でございますれば、妖気に過敏に反応し内臓などに影響が出る可能性があるということです。それまでの妖討伐は、鯨様が一手にお引き受けなさると」
後々の為に、お休み下さいまし。
六花は諭すように囁きかける。
有間は唇をへの時に曲げ、はああと溜息をついた。
「……分かった。傷が癒えるまで休むよ」
「お願い致します。我らもお仕えする方がお亡くなりになれば、死ぬ以外に道がございませぬ故」
六花は有間の背後に立ち再び沈黙を保つ。
マティアスはティアナに目配せして、ゆっくりと腰を上げた。
「帰るの? だったらうちの式に送らせるけど」
「いや、お前の傷が癒えるまでここに滞在し、引き続き妖への対処法を学ばせてもらおう。ひとまずはイサ殿の式が、ヒノモトから出ようとする妖を抑え込んでくれている。俺達は出来るだけ知識と対応し得る武器を得て国に戻りたい。お前も目覚めたことだ、これ以降はディルクが用意した宿屋にいる。何か用があれば、そちらの女性を寄越せ」
「はいはい」
「……ああ、そうだ。ルシアとエリクが対妖用の楽器の練習をしているが、たまに聞いて効力がどれ程か測ってやってくれ」
「分かった。焼き肉にして食べても文句言わないでね」
片手をぞんざいに振り、有間はマティアス達を送り出す。
マティアスは不満そうな、ティアナは心配そうな、エリクは困ったような表情して家を出ていった。
六花が主に代わって送り出し、戻ってくる。
彼女に、何とはなしに問いかけた。
「うち、淡泊に過ぎた?」
六花は淡く微笑み、眉尻を下げた。
「きっと、これまでの苦行故に御心が少々麻痺されていらっしゃるのでしょう。平穏な生活に身を置けば、じきに戻ります」
「……そうだと良いけどね」
ティアナは何も話そうとしなかった。
気を遣われているか、戸惑われているか、そのどちらかだ。
再会にしては感動も何も無く、無機質なものとなった。
失礼な態度だと、酷い友人だと自分でも思う。
けれども、今の自分はそれどころではないのだった。
「……あいつは、来てないみたいだね」
「え?」
「いや、何でもない」
ティアナもそうだが、《彼》も今の有間を見るべきではない。
いや、見られたくないのかもしれない。ティアナのような反応をされると思うと、ほんの少しだけ胸がひきつった。
そんな感覚がある辺り、そして先程までの自分の反応を鑑みる限り、六花の言う通り『心が少々麻痺』しているのだろう。
有間は錫を下ろして立ち上がった。
「暫く眠る。誰か来たらまた明日訪ねるように言って」
「畏(かしこ)まりました」
恭(うやうや)しくこうべを垂れる六花を残し、寝室へと入る。
すると錫が寝床に入ってきた。
退く気配を見せないので、しょうがないかと一緒に横になった。
こんなに休むのは初めてだ。
居心地悪い慣れない感触に、有間はまた溜息をついた。
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