Epilogue
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 死に後れの片割れは、夜明け前に唐突に封印から抜け出した。

 雪月花────最後に残された雪の選んだ世界を遙か高き空から見下ろして回り、国を閉ざす冷たき氷壁の上に立つ。

 変わりゆく大気。
 変わりゆく思想。
 変わりゆく────両親の生み出した国。

 死に後れの身にはひしひしと感じられた。
 異国と交わりながら新たに生まれるモノ達の奏でる旋律によって、全く別物に変貌していく愛しき国の様相。その変化を顕著に受け、暴走しては殺されていく邪悪なる残滓(ざんし)の断末魔。
 嗚呼、これが、あの雪の望んだ国なのだろうか。
 雪の望むように、この国は変わっているのだろうか。

 あの雪は────前の雪とは違う。

 彼女が選んだのは滅びではなかった。
 国に生きとし生ける者達の存続。
 彼らが生きるに邪魔な存在は雪自ら排除していく。何度死にかけても、己の定めた苦しくも果ての無い償いを止めない。立ち止まって休もうともしない。

 君の心配している通りに、彼女は動いているね。
 今なお氷の中に眠る男に向けて言い、死に後れは苦笑する。
 さすがに危なくなったら周りが無理矢理にでも休ませているようだけれど、あんな風に無茶ばかりをしていたらいつか足の一本でも失ってしまいそうだ。
 それでも、雪は立ち止まろうとしないのだろう。

 雪の為を思って、彼女に残した自分の魂の欠片を同化させた。それによって、雪は微々たるものであるけれど神の力も自在に操れるようになった。
 だけれど、何も無理をさせる意図でそのようにしたのではなかった。
 雪のこれから伸びていく道を、少しでもなだらかに出来たら、そんな思いからの行動だったのだ。

 休める余裕を作ってあげたかったのに、これでは逆効果。
 彼に怒られてしまうな。

 ……もっとも、自分はじきに消えてしまうから、彼が目覚める頃には、もうこの国には存在していないのだけれど。

 死に後れは国に背を向け氷壁から倒れるように身を投げた。
 落下しながら身体は本来の姿を取り戻し、歌うように咆哮(ほうこう)しながら地面へと猛進する。

 その数メートル離れた場所に見慣れたファザーン人がいるのも、分かった上でのことだった。

 隻眼で死に後れを捉えた彼は、武器を構えるでもなく、ただただ愕然としていた。突如空から異形が吼えながら落下してくれば、普通はそんな反応になる。

 だがそのファザーン人は白銀の雪に埋まった死に後れに駆け寄ってきた。
 穿たれた穴に手を伸ばし、長い身体を引きずり出す。

 死に後れは、彼に声をかけた。


 よくぞ、待っていたと。

 もう、大丈夫だと。


 雪が存続させ、変えていく国をしかと視認し、その将来にもう自分達が手を出すことは許されないと分かった死に後れは────最期に最後の手出しをする。
 この行為を、消滅した神々は憎らしく思うだろうか。

 いや、そんなことはどうでも良い。
 今はただ、したいことをするだけだ。


『北東の護村へ向かうと良い』


 なけなしの気力を振り絞って声を発すると、ファザーン人はまた驚いた。
 そんなに────《竜》が喋るのがおかしいか。

 君の弟だって、竜となって喋っていたじゃないか。

 少しだけおかしくて、口を震わせながら死に後れは透き通った黄色の瞳をゆっくりと閉じた。

 次第に、雪の温度も分からなくなる。

 消えていく。

 消えていく。

 自分も、氷の中にいる番(つがい)も、消えていく。

 自分達が最後の死に損ないだ。
 新しい国になるのなら、過去の遺物は要らぬ。

 だが、せめて。

 嘗(かつ)ての雪とは違う選択をした雪をほんの少しでも助けたいと、最期に思った。
 両親は助けられなかった。
 両親の願いは、叶えられなかった。
 番が愛を求めた両親は、もうこの世界には存在しない。

 ならば、死に後れた自分は。


 最期に本質を果たそうではないか。


 曙(あけぼの)の前の暁。
 物事の始まりの直前、ありとあらゆる可能性漂う空虚の自分が。

 雪の望む曙を、早く招き寄せてやろうではないか。

 死に後れは心の中で小さく笑う。
 そうまでして番のしたことを無駄にするまいと足掻く。


 小さく低い声で鳴いて。
 死に後れは────暁を司る竜神は光の粒子となって霧散した。
 粒子は地面を覆い隠す雪をすり抜け、地面に溶け込む。粒子に込められた神の力は瞬く間に国境を走り抜け、ヒノモトを囲い、全土に広がっていく。
 全ての自然に宿り、同化する。

 そうしながら、封印の中から番も連れ出し、同じように大地に同化させた。
 消えゆく死に後れの最後の二柱を、人柱の声が追いかける。
 身体があったなら、彼の言葉に、苦笑を禁じ得なかっただろう。

 本当に、優しくなったね、君は。
 そう言葉を返し────死に後れ達の自我は、失せた。

 それと同時に氷壁に亀裂が走った。
 無数の亀裂は氷を砕き、そこから熱を放つ。
 もうもうと蒸気が立ち上る氷壁からファザーン人は距離を取る。


 長きを待つ彼の目の前で、国を遮断する分厚い氷壁は根本まで溶けた。


 その向こうに広がるのは、純白の雪原と、遙か先に連なる尾根────そして、朝日である。


『北東の護村へ向かうと良い』


 死に後れの声が、彼に降り注ぐ。

 隻眼のファザーン人は、天を仰ぎ、何かに弾かれたように身を翻した。



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