Epilogue
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 数ヶ月振りに悠久の滝に戻ってくると、そこにはディルクがいた。
 あれから五年。青年となった彼は滝の付近で今もなお広がり続ける護村の村長として、有間達のサポート役を担っていた。
 竜を失った彼は暴走する心配も無く、今まで城で学んできたことを頼りに、鶯が呼び寄せた東雲家の人間からの助言も受けながら何とか上手く村をまとめられているようだ。護村を守ることは、村の奥に作った田中東平の墓を守ることにもなるから、彼なりに必死だった。

 村がこうしてまとまって平穏でいられるのも、彼のひたむきな手腕によるものだろう。

 身長はぐんと伸びたが、それよりももっと大きいように思える。それだけの威風が今の彼には備わっていた。
 こうして見ると、やはり《彼》と同腹の兄弟なのだと、改めて思う。


「この数ヶ月、何か変化は?」

「また村人が増えた。その為、また開拓をせねばならない。イサの話では麓をもう少し広めても問題は無いそうだ。今後は村の周囲を均(なら)していくようになるだろう」


 有間は小さく頷いた。
 鯨の言う通り、この周辺はもう安全だ。鯨に忠誠を誓った妖達が見回りをしているし、徒人(ただびと)が歩いても危険は無い。
 いや、闇紺山一帯だけではない。
 ヒノモトの至る所も安全となった。
 もう少しで、サチェグとヘルタータも目覚められる。

 有間は凍り付いた滝を仰ぎ、目を細めた。

 沈黙する有間を見つめるディルクは、口を開いてすぐに閉じた。
 何かを言わんとしているのは気配だけでも分かる。
 言いたいことがあるようだと、彼が言を発するを黙して待つと、


「……身体は、大丈夫なのか」


 そう、躊躇いがちに問いかけてきた。
 彼に顔を向ければじっと目を見つめてくる。
 それで、大体の意図は察せられた。

 同時に、ちょっとだけ呆れる。
 一体何年気にしているのか……もうとうに解決していることだのに。


「君ねぇ……もう安定してるんだからそんなに気にしなくて良いから。そりゃ、約一ヶ月の間寝込んだのは驚いただろうけど、本当に大丈夫だってば」


 本当に、一ヶ月寝込んだことがあった。
 それは有間自身の中の変化によるショックでの昏睡状態であり、命に別状は無かった。ただ、昏睡していた期間が剰(あま)りに長く、目覚めた時に全く身体が動かずに数日鶯からの介護を必要とすることとなってしまった。

 一ヶ月眠っている間、有間の中で狩間が消えた。

 正確には、狩間と言う人格として宿っていた暁の魂の欠片が、有間の魂に溶け込んだのだ。
 その為に力の制御は有間自身に一任されることとなり、一ヶ月間身体が自らを作り替える為に眠り込んだのだった。
 お陰で今まで有間が使いきれなかった力を自らの意思で扱えるようになった。

 無論、鯨の指導のもと、長きに渡る訓練を要したが、そのお陰で今ではもう制御に不安も無く、自在に扱える。
 欠片と言えども神の魂の欠片だ。
 実質神の力も分け与えられたようなもの。
 これでなかなか、やりやすくなった。

 だからまだ、長くは立ち止まりたくはない。
 急げるだけの力があるのだ。

 有間はディルクに背を向け、歩き出す。


「山茶花達の墓に参ったら、そのまま出るよ」

「今度は何処に? どのくらいかかる?」

「東。どうも、最近東の何処かに妖気の吹き溜まりみたいな所があるみたいでね。掃除した筈なのにまた強いのが生まれてるらしい。その調査と封印で……規模によるからどれだけの時間がかかるかは分からない」

「……そうか。ならばせめて、参る時くらいは少しはゆっくりしていけ」


 有間は肩をすくめるだけで、言葉を返さなかった。



‡‡‡




 山茶花の墓の周りには、沢山の墓がある。
 全てが全て、邪眼一族のものだ。
 最初は、ディルクが田中東平の墓を亡骸も無しに作ったのを見、山茶花だけでは寂しいかと隣に加代の墓を作っただけだった。
 それが、鶯が思いついて邪眼一族全員の墓を作ろうと言い出した。

 鯨までもが賛同してしまい、どんどん墓が増えていった。
 今ではもう岩の後ろにまで至っている。

 その全てに備えられた花束は、村人によるものである。

 有間と鯨は、基本的に護村にはノータッチだ。ディルクと鶯含む東雲家に一任しており、ほとんど口出しはしない。
 が、それが災いしてしまったようで、有間達の知らぬ所で東雲家が村人達に邪眼一族のことを吹聴し、更に有間達のことを脚色過多に話した。

 結果、有間や鯨は村人達に『贈眼様』と呼ばれ崇められるようになっている。

 そんな大層な存在ではないと否定しても無駄だ。もう完全に浸透してしまっており、どうやっても止められない。鯨も、これには苦い顔だった。
 こんなことになるのなら、ある程度は制限させておいた方が良かったかもしれない。人間達の相手は人間に────と考えたのが間違いだった。

 だからいつも、墓を参る時には護村を避けて大きく遠回りする。そうしなければ村人に見つかって村に連行されるばかりか労をねぎらって豪勢な食事まで作られてしまうのだ。彼らの食料も自分の時間も無駄にしたくない有間にしてみれば、もどかしいことこの上ない。
 有間達を敬うことで心の拠り所を作っているのは分かっているのだけれど、そういう対象にされるのは性に合わない。

 おまけに、随分と前に助けた双子の父親までもが自分に好意的になっているのがどうも、戸惑ってしまう。

 護村は、有間にとっては少々住みにくい風になってしまっていた。

 邪眼一族の墓に手を合わせ黙祷を捧げた有間は、周囲に人の気配が無いことを確認して足早に墓場を後にする。

 悠久の滝に至った時、足を止めた。


────ぱりん。


「……ん?」


 氷が割れたような、小さな小さな音が聞こえたのだ。
 有間は滝の方を見て目を細めた。

 ここの氷が割れたのか?
 湖面と滝を交互に観察し、首を傾げる。
 凍り付いているのだから何処かが温度の変化で割れたりするのは不思議なことではない。この滝だって毎度あることだ。有間だってそんな音は何度も聞いた。

 だが、どうにもここの氷ではないような気がしたのだ。
 根拠は無い。というか、分からない。
 けれども、どうしてか今まで聞いていた音とは微妙に違うように感じられたのだ。

 ……いや、でも氷はここ以外には無いし。
 きっと、気の所為だろう。

 怪訝に思いながらも、有間は再び歩き出す。
 多分、暫く聞いていなかったからそう言う風に思えたのだと、思い直して。



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