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有間は朝からずっと不機嫌だった。
今日はマティアスの戴冠式。三日前にヒノモトからの文から早急にファザーンを立て直すべく唐突に押し進められたのだった。
その為、有間は手錠をはめられて家の中に拘束されている。一応食事やトイレなどは融通してくれるが、基本的に両手と手錠で拘束し、またそれをもう一つの手錠でティアナのベッドの足と繋がれていた。
更には、急すぎることにマティアスとティアナの婚約披露パレードも行われるそうで。この翌日にはファザーンに発つことも決められている。
それが有間と鯨の立場を考慮しての強行であることは見るも明らかだった。
今こうしている間にも、また山茶花達が来るとも限らない。鯨や、彼に強引に手伝わされているシルビオがこの家で警戒してくれているが、それでも油断ならなかった。
「……何なんだろう、虜囚(りょしゅう)の気持ちってこんなんなのかな……」
「鯨から聞いたぜ。お前、死んだ友人から狙われてるんだろ?」
「……」
「そう睨むなって」
有間は扉の横の壁に寄りかかってこちらに話しかけるシルビオをきっと睨めつければ、彼は肩をすくめた。
「お前がどうなろうと知ったこっちゃないけど、ティアナだけは巻き込むなよな」
「分かってるよ。……だからヒノモトに行こうとしてんのに……」
不満をぼやく有間に、シルビオは片目を眇めた。
「ん? 何だお前、ヒノモト行く気だったのかよ?」
「そうだよ。だのに、イサさんもマティアスも邪魔するんだ。勝手にファザーンに連れて行くとも言い出してさ……こんな目に遭わされるし」
安易なことは言うものじゃない。
マティアスにも、多分ティアナは守りきれないだろう。
山茶花は昔の山茶花ではない。そのことに計り知れない恐怖を感じる。
だからこそ、誰も巻き込みたくはないのだ。
「あのさ、シルビオ。これ外せる?」
「外せると思うけど……おいおい、オレを死なす気かよ。お前を逃がしたなんて、イサが黙っておかねえぞ」
「こういう時に役立てや猫」
「生憎オレはお前より命の方が大切なんだよ」
シルビオは肩をすくめて両手を挙げた。
有間はそれにいらっとして、舌打ちする。
「そうか。――――じゃあ自力でやるしかないか」
――――そう呟いたのは、《自分自身》ではなかった。
あれ……。
一瞬浮かんだ疑問は、すぐに塗り潰されてしまう。
有間はごく自然な動作で目を伏せた。そうすることが、《譲る》ことが、どうしてか正しいと
どうして、視界が黄色く染まるのだろう。
うちは我を忘れる程にも怒ってなんかいないのに。
‡‡‡
開かれた目が黄色であることに、シルビオは戦慄した。
有間の黄色い目――――悪い記憶しか無い。いやむしろ、本能に恐怖が深く刻み込まれている。
有間であって、有間でない。
《狩間》
彼女の認識出来ない領域に在る否定を司る、扱いにくい人格。
それに対して本能的な恐怖を持つシルビオは周章狼狽して青ざめた。
「ちょ、待てよ! 何でお前が出てきてるんだ!? アリマキレてなかったろ!?」
「キレてなかったなぁ。でもウチは出れた。不思議なこっちゃ、不思議なこっちゃ」
けらけらと笑いながら、狩間は手錠に拘束された手をぐんと上に引き上げた。
無駄な足掻きだと、彼女を知らぬ者は思うだろう。
だが、手錠は何をしたでもないのに狩間の手を引き留めず、実に呆気なく砕け散った。鉄粉と化したそれはフローリングに零れた。
狩間は袖に降りかかったそれを叩いて払い落とすとそのまま窓を開けて桟に足をかけた。
「んじゃ。鯨に《太極変動》が起こったって言っといて。ウチは、まあ……今から大体十日後まではファザーン国境近くの滞閉(たいへい)にいっから。有間を連れ戻すならお早めに」
「……っ、おい! まさか、本当にヒノモトに行くつもりか!?」
「だって有間がそう願うんじゃあそうするしかあるめーよ。ウチもちょっと気になることがあるし。ああ、深く入り込む気は無えから安心しろ。山茶花にも近付かねえ。それは約束する」
山茶花にウチが寄ったら、何が起こるか分かったもんじゃないからさ。
狩間は片目を瞑って、飛び降りた。
シルビオは窓から身を乗り出してその姿を捜した。
――――が、彼女は忽然と姿を消していた。
何処に行ったのか、分かる筈もない。
シルビオは歯軋りして前髪を掻き上げて身を翻した。
彼の大音声が、鯨を呼ぶ。
‡‡‡
パレードは花や歓声に彩られ、盛況を極めた。
興奮した風情の人々は大振りな動作と共に惜しみ無い讃辞と祝辞を投げかける。
それを眺めながら、アルフレートは吐息を漏らした。
戴冠式からずっと、彼は気が気でなかった。
有間のことである。
三日前から拘束され軟禁状態にされた彼女が逃げ出していないか、そればかりを案じている。
鯨やシルビオが見張っているから杞憂なのだとは思うけれど、どうにもずっと嫌な予感がして胸がうずうずと落ち着かなかった。
目の前を走る馬車に乗るマティアスとティアナを心から祝いたいのだが、その嫌な予感がずっと邪魔をする。ルシアやエリクにも何度も指摘されていた。
嫌な予感というものは、えてしてよく当たるものだ。
それを今までの人生でよく分かっている為に、アルフレートはとても笑顔を浮かべられなかった。
今からでも有間の所在を確かめたくて仕方がない。
また、溜息をついた。
「……ねえ、アルフレート。そろそろいい加減にしてもらえないかな。苛々してくるんだけど」
低い声は不機嫌を隠さずアルフレートへぶつけてくる。
アルフレートは倦(うん)じ顔で睨めつけてくるエリクに、思案から戻りかけた中途半端な状態で謝罪した。
「……あ、ああ。すまない」
「まだアリマのこと気にしてんのか? 気の所為に決まってんだろ。イサやシルビオが見張ってる上に手錠で拘束されてんだから、幾らあいつでも逃げられねえって」
「そう……なんだろうが。どうしても嫌な予感が晴れなくてな。嫌に胸騒ぎがする」
胸を撫でてそう言うと、エリクは細く吐息を漏らした。
「アリマのことは、僕も心配だよ。でも、今はティアナのめでたい舞台なんだ。ティアナを祝ってあげなよ」
「分かっているんだ。オレも、心から祝ってやりたい。だが――――」
――――その時である。
ルシアが素っ頓狂な声を上げた。
かと思えば痛いくらいに乱暴にアルフレートの肩を掴んで揺さぶり、右手の建物を見ろと促してきた。
怪訝に思いながらもそれに従ったアルフレートは。
次の瞬間言葉を失う。
二階建ての住宅の屋根に、真っ白な髪をした少女が立っていたのである。
遠目でも、はっきりと分かった。
「……カルマ……!?」
彼女の目は、黄色だった。
―T・了―
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この連載でも、夢主が色々追い詰められる……と思います。
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