Epilogue
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 女は有間と名乗った。

 ただの妖を殺して回っている旅人だと称する彼女は、真っ黒で大きな馬に村昌を乗せ、自分達を妖のいない安全な場所に匿ってくれた。その時馬の背に乗っていた後ろ足が四つの獣は有間の肩の上へと移動した。

 最近清浄に戻ったばかりのかつての聖域にて、村昌の手当ての手伝いをする傍ら、蘭奈と示し合わせて有間を観察した。
 時折、彼女は自分の真っ黒な手袋を相手に独り言を言っていた。暫く見ていると、手袋に描かれている色んな妖の絵が、幾つか蠢いていた。独り言ではなく、それらと会話していたのだ。

 杏奈は膝立ちになって、村昌の為の薬を作る有間に近寄った。


「ねえ、それ何?」

「これ? ああ、まあうちの式みたいなもん。弱ってたのを助けたら、従いたいって勝手に付いてきただけだよ」

「それは違うの?」


 蘭奈が指差したのは有間の腰に尻をぴったりとくっつけて伏せをする六つ足の獣だ。
 有間は獣を下ろし、肩をすくめた。


「いや、同じ式だよ。ただ、こいつは鼻が利くし身体も小さい。色々な場面で使えるから、いちいち出し入れするよりもずっと出しておいた方が楽なんだ」

「何の妖怪なの?」

「雷獣。錫(すず)、これ持ってこい」


 錫、と呼ばれた雷獣は耳をピンと立て、腰を上げた。
 有間が取り出した巻物の文面のとある部分を指差したのを視認し、きゅうと鳴いて駆け出した。
 人の文字が読める妖────なんて、何処を探したっている。雪女みたいに人型もいるのだから当然だ。獣でも、人間との生活が長ければ自然と覚える。

 まるで主人に忠実な犬みたいな雷獣を見送り、有間は薬作りを続けた。

────と、ふと顔を上げる。
 首を巡らせて、上体を起こす村昌を見やる。


「まだ寝ていた方が良いよ。解毒は一応済んでいるけど、身体はまだ痺れてるだろう」

「……あんた、邪眼一族だろう」


 妖を殺して回ってる邪眼一族がいると噂で聞いた。
 村昌が険を滲ませて有間を睨めつける。

 有間は目を細めた。
 しかし、手は止めない。溜息を漏らして、何も言葉を返さなかった。

 村昌はその態度が気に入らなかったらしい。


「お前に助けられた人間達の所在は分からない。安否もだ。人間(おれたち)を助けて、どうするつもりだ」

「……別に何もするつもりないけど」

「嘘をつくな。邪眼は人間を恨んでいる。このまますんなり助けようとする筈がない。穢れた一族だ、何か裏があるに決まっている」


 有間は呆れたような眼差しを向け、黙殺した。

 村昌は舌を打って立ち上がろうとした。だがままならぬ。悔しげな呻きを漏らしただけだった。
 その様子を見ていた蘭奈が村昌に駆け寄る。
 再び寝かせようとするのを、村昌はやんわりと拒む。


「俺達はお前とは一緒に行動しない」

「ああそう。好きにすれば良い。うちにあんたらを止める義務は無い。ただ────」


 ちらり、と杏奈を一瞥する。

 何かを見つけられたような感覚に、どきりとした。
 ……ああ、ヤバいかもしれない。
 胸の前でぎゅっと両手を握ると、蘭奈が不安そうに杏奈と有間を交互に見た。


「────その子、心臓に妖が取り憑いてるだろう」

「お姉ちゃんが?」

「……っ」


 杏奈は村昌と妹の驚いたような顔を目し出来ずに目を伏せ俯いた。

 言わないで欲しいと小さな声で乞うが、有間はそれをすげなく無視した。


「元々、心臓を罹患(りかん)して死にかけていたところを妖につけ込まれたんだろう。今は妖のお陰で命を繋いでいるけれど、いつ妖に取り込まれるか分かったものじゃない」

「奈々はそんな子じゃない!」


 杏奈は鋭く叫んだ。
 今度は杏奈の言葉に有間が驚いた。


「『奈々』? ……君、まさか妖に名前を付けたの?」

「付けてって言われたから……」


 有間は表情を変える。杏奈を手招きし、素直に歩み寄ったのにその胸に手を当てる。
 途端、手袋の妖達が蠢きだした。

 有間は目を伏せ、沈黙する。
 妖達が落ち着くまで、まるで、杏奈には聞こえぬ彼らの言葉に耳を傾けるかのように、ずっとそうしていた。
 次に目を開いた時は、色違いの目は呆れ返っていた。


「……なるほど。自分から望んだこと、ね。要らぬ心配だったか」

「え?」

「妖が自分から名前を付けて欲しいと言ったのは、君に従うという意思表示。その妖は、君に悪意を持っていない。……けれど、このまま何もせずにいれば妖に近い身体に変わってしまうだろう。最悪精神にも影響を及ぼす」


 渋面を作り、杏奈の胸を見据える。言いながら、思案を巡らせているようだった。


「妖に、近い身体……」

「そう。だから何かしら対策を講じておかないといけない。……お守りか何か、妖気を浄化出来るようなものが……ああ、そうだ」


 そこで、有間は懐を探る。
 取り出したのは、大きくて丸い鷹目石(たかめいし)だった。
 深くて濃い青や緑が混ざり合ったような、綺麗な石だ。
 鷹目石を握り締め、有間は一言二言何かを呟く。
 それを杏奈の手に持たせた。

 途端、胸がふわっと軽くなったような気がした。


「あ……」

「……それを肌身離さず持っていれば、少しはましだろう。後は定期的に、水で洗うか、日光或いは月光を浴びせて浄化させること。良いね」

「う、うん」


 有間は、杏奈の返事を受け、再び薬作りに戻った。
 手を動かしながら、


「この辺は、最近やたらと妖が活性化してる。まともに動けない身体で聖域の外に出れば、どうぞあなた様の餌にして下さいと言ってるようなもんだ。子供達と一緒にな」

「……」

「生憎、うちもあんたらに付き合ってられる程暇じゃないんだ。自分の後始末で手一杯でね。薬が出来ればすぐにここを発つ。その後どうしようが、うちは知ったこっちゃない」


 手を止めると同時に、錫の鳴き声が聞こえた。
 とてとてと駆け寄ってくる錫の口には、白い花の咲いた草。
 それを受け取り、有間は片手で錫の頭を撫でつつ、花弁を薬に適当に入れた。

 沸騰したのを杏奈に示し、立ち上がる。


「冷えたら全部飲ませとけ。二日もすれば、そいつの他の体調不良も治るだろ」


 有間は器具をそのままに錫を肩の上に乗せ、大股に歩き出す。

 そのままさようなら────となることは、止められた。
 杏奈が駆け寄って有間の服を掴んだのだ。


「お姉ちゃん、待って」

「おい、杏奈!」

「お父さんが治るまで、一緒にいて欲しいの。私達じゃ分からないことが多いから」

「……」


 有間は至極嫌そうに、顔を歪めた。



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