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 ……やはり、思った通りだ。
 朱鷺が連れてきた難民達は、彼が有間と鯨を邪眼一族であり、ヒノモトを消滅から救ってくれたなんて説明した瞬間、目の色を変えて後退した。
 有間は嘆息し、彼らに背を向けた。


「ここに住むのは勝手だけど、この奥に作る墓は絶対に荒らさないでよね」


 彼らに冷たく言って、大破した腐臭漂う闇眼教本拠の建物の脇を通過する。
 鯨と共に裏手の森に入って、手頃な場所で立ち止まった。
 巨大な岩が雪に覆われた地面から突き出しているそのすぐ下に、決めた。

 鯨を振り返る。

 山茶花を横たえ、彼は有間の横に立った。何事か呟いて片手で素早く印を切り人差し指と中指を揃えて足下を指した。

 瞬間、雪が、土が左右に盛り上がり、人一人横たわれるくらいの穴が生じた。

 そこに山茶花の遺体を収め、二人の手で土と雪を被せる。
 やや盛り上がった土を叩くように撫でて有間は立ち上がる。
 墓標は無い。これから後で見つけて来よう。

 有間は身体を反転させた。
 闇眼教本拠の方角を見澄まし、また違う方向へ向き直る。

 ディルクは彼女に待ったをかけた。


「おい、行くのか」

「うちらがいたら、面倒な軋轢が生じるだろ? ディルク殿下は、お好きな場所にあいつの墓を作れば良い。東雲将軍がいれば、上手く言ってくれるだろうさ」

「あのヘルタータとかケイゲツとか言う女に、一日休めと言われていただろう」

「休める場所だったら、そうしていたよ。東雲将軍には、よろしく言っておいて」


 ディルクは溜息を漏らし、鯨と有間を交互に見た。


「……なら、トウベイの墓標になりそうな物を探してくれ。それと分かる目印になるなら何でも良い」


 上から命令かと思いきや、頼み事。
 有間は瞬きを数度繰り返し、片手を挙げた。


「……まあ、余裕があったらそうするよ。じゃあ、達者で」


 ラフに言うのに、ディルクは左目を細めた。
 何かを言い掛けて、止めた。

 そして、


「……、……お前達もな」


 背を向けた。

 有間は彼が歩き出すのを見、自らも足を踏み出した。

 鯨は休みを挟まない出発に何も言っては来なかった。
 聖域を抜けてすぐに、その意味が分かった。


「待て」


 有間を止め、指笛を吹く。
 ややって返ってきたのは馬の嘶(いなな)きだ。


「闇馬?」

「ああ。……疲れ果てた難民の側に忌み嫌われる邪眼がいては休めはすまい。近くに結界を張った。そこで一晩を明かそう」


 ああ、なんだ。
 同じことを考えてたのか。
 納得した。

 僅か数秒で姿を見せた二頭の漆黒馬に、有間は肩から力を抜いた。
 けれども、一呼吸置いて腹に力を込めた。


「妖、今ヒノモトにどのくらいいるか分かる?」

「……さあ、神が墜ちたモノも含めれば、数千万────最悪、億か」

「じゃあ、このまま中央まで行って、そこから南北に別れて駆除していかない?」


 鯨は暫し思案した。


「中央……そうだな。二人でかかった方が良いだろう。その神殿の水鏡がまだ使える状態ならば、ヒノモトの現状も調べられる。それまでに、俺の持つ知識も全て与える。太極変動の完全な終わりを含め、これからのヒノモトの変化も、ある程度予測したものを教えておく。休む暇など無かろう」


 空を見上げ、目を細める。
 太極変動が中途半端に停止した上に光と闇の二柱が消えた所為か、空は灰色だ。雲など無く、星も月も太陽も無く、ただの灰色。
 空が本来の色を取り戻すのは、一体いつのなるのやら────。


「────師はまず、妖の行動を制限する為に空を元に戻すだろう。元々外国と共有していた日の光に光の加護が加わっていただけのこと。今は太極変動の影響と二柱の消失のショックで色も光も澱んでいるだけのこと。空を取り戻すのは簡単だ」


 鯨が有間の疑問を察したらしく、空を仰ぎながら言う。

 有間は視線を落とし、深呼吸を一つした。


「……とにかく、やるべきことをやるしかないか」

「枠はあれが整える。俺達は中身を整える。ただそれだけだ」

「……うん」


 有間は錫を闇馬の背に乗せ、自らも跨がった。
 走りたそうにしている闇馬の首を叩いて宥め、同じく乗馬した鯨に目配せした。


「暫くは山茶花に会えないだろうな」

「良いさ。山茶花の墓が荒らされるような事態にならないように、忙殺するよ」


 それに、うちは何よりもまず責任をとらなければならない。
 鯨に結界の場所を訊き、有間は腹を蹴った。

 闇馬は歓喜に嘶(いなな)き、雪を蹴り上げた。



‡‡‡




 有間達が去った後、東雲朱鷺は暗鬱とした嘆息を漏らした。
 予想はしていたが腹立たしいものだ。
 彼女が結末を変えたからこそ、今生きている人間達は生きているのだ。

 きっとこれから、有間や鯨は色んな人間を助け、この場所に導くだろう。
 その人間達も目の前の難民達と同じく卑しい邪眼などと下らない蔑むのかと思うと、胸中がひりひりと焦げ付いた。

 真に卑しいのは、邪眼ではない。
 人間だ。
 だが卑しくも、凛々しく、優しく、強い面を持ち合わせる。
 それを思えば邪眼と人間は全く同じ存在だ。ただ、第三の目を賜っただけだ。

 それだけの違いで邪眼一族は────純血はサチェグ一人となった。

 嘗(かつ)ては夕暮れの神と共に生まれ落ちた一族を、卑しいと決めつけた。
 互いに手を取り合って共存出来てさえいればこんな事態にもならなかっただろうに。

 そうすれば光の男神の厳しい愛情にも、気付けた筈ではないのか。
 男神と女神、二柱から恩恵を受けていたのだと分かっていれば、女神が夢を見ることも無かったのではないか。
 今更どうすることも無いが、そんな考えが浮かんで悔しさに歯噛みした。

 過去はどうあっても変えられない。
 ならば────《現在》こそは。

 朱鷺はこちらを頼ってついてきた難民に歩み寄り、声を張り上げた。


「皆、疲れた身体だが聞いて欲しい。今から私が話すのは、嘗て光の神の愛情を信じきれなかった光の人間達から始まった、ヒノモトを消滅せしめかけた女神の悲しい夢だ」


 自分は、あまり長くはここにはいられない。長く妹の身体を借りれば、妹に害が及んでしまう。
 そのうちに自分が出来ることを全て為そうと決意して、根の国を出た。
 愛しい女と愛を語らうことも無く、人柱となった彼女に一人心の内で再びの愛を告げ────守れなかった有間の為に、朱鷺は人間達にヒノモトで起こった一連の出来事、そしてその元凶を語り始めた。

 彼らにもヒノモトを歪めた業を理解させなければならない。
 この聖域を、有間達の安らげる場所にするのだ。

 それが、自分の最後の役目だと心に刻む。



‡‡‡




 去りゆく漆黒の馬を、一人の男が見送る。
 その足は雪に溶け込んだように失せており、姿もゆらりゆらりとゆらめいた。

 彼は祈るように目を伏せた。


「願わくは、役目終わりしその後も、鯨と有間が無事で────末長く、幸多からんことを……」


 さようなら、愛しい娘。
 さようなら、我が心の友。
 さようなら、我が妻。
 もう、二度と────会えはすまい。
 黄色い目をしたその男は、呟いて、空気に溶けた。

 それは、完全な消失であった。



 娘に知られぬまま娘の為に現世に飛び出した父は、来世も失い、それでも笑みを浮かべて消え去り、願う通りに聖域の一部となる。


 もう一人も、同じく聖域に溶け込むまでそう時間はかかるまい。



─[・了─




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