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目の前のマティアスの姿に、現実に戻ってきたのだと実感出来た。
気絶か何かをしてしまって、運ばれたのだろう。
ティアナはソファに横たえられ、頭の下にクッションが置かれてあった。
ゆっくりと身を起こせばアルフレートが枕にされてあった物と、新しいクッションを二つ重ねて背凭れに置いて寄りかからせてくれた。
アルフレートは正面の一人掛けのソファに、マティアスはティアナの隣に座り、不安そうに顔色を窺う。
「何が遭った?」
気遣いに満ちた穏やかな声音は、無理して話す必要は無いと言外に告げていた。
けれど、マティアス達の思うような、身体の不調は無い。
不思議なことだけれど、これも彼らの配慮なのだろう。
その優しさに胸を痛めながら、ティアナは先程身に起こったことを思い出し語った。
「……マティアスが出て行った後、目の前が暗くなったの。明るくなったかと思ったら氷に覆われた空間で、氷全てが鏡みたいになっていて────でも一つだけ、違う光景が映し出されていたの」
私達がここに帰された後の、アリマ達の様子が。
二人がほぼ同時に腰を浮かせた。けれどすぐに落とす。静かに、先を促した。
「会話も聞こえたわ。人柱の話になったの。サチェグさんがディルク殿下から竜を貰って、生きたまま人柱になるって。そうすることで、外国との調和を図って、ヒノモトを安定させることが出来るみたいなの。いつになるかは分からないけど……」
「サチェグが、人柱に……」
「でも、本当に永遠に人柱になる訳じゃないみたいだったわ。アリマ達がヒノモト中の妖を倒し尽くす為に遅めに調整するつもりで、アリマ達の役目が終わったら人柱から目覚めることが出来るんですって。それに、人柱になったサチェグさんを、暁と夕暮れが防壁になって守ってくれるって。私が見た光景は、サチェグさんが暁達の後に続いて湖に身を投げたところまでよ。後は別の声がして────『待てないのなら諦めなさい。諦めないのなら待ちなさい』って」
多分あれは暁の声だったと思う。
最後にそう言って、ティアナはアルフレートをちらりと見やった。
アルフレートは沈黙し、俯いていた。思案に没頭しているようで、なかなか話しかけられない。
マティアスも口を閉じ彼の様子を見つめていた。
彼は、長い時間口を開かなかった。
ようやっと口を開いたかと思えば躊躇うように閉じてしまう。何度かそれを繰り返した。
「……アルフレート」
「……マティアス。一つ、頼み事があるんだが……良いだろうか」
「何だ」
「オレをヒノモトとの国境に近い駐屯所に置いて欲しい。オレの剣は、今は一振りだけだが、サチェグに妖に対抗し得る術をかけてもらっている。もし万が一妖がファザーンに出現した時に対処が出来る。それに、各地点の調査隊をまとめる人間も必要になるだろう」
本心は違うところにあるが、それらも危惧して当然の現象、来るべき新たな異変に対し必要なことである。
アルフレートはマティアスを見据え彼の回答を待つ。
ティアナも、心の中では自分もそうしたいと思った。けれども咽から出てくる前に押し止めた。
自分はいずれマティアスの王妃になる立場だ。どれだけかかるか分からないものを、マティアスの側を離れて待つことは出来ない。自分にはすべきことがきっとこれから沢山出てくる。この場で感情のままには動けないと、寸前で待ったをかけたのだ。
眦を下げ、マティアスの返答を怖々と待つ。
マティアスはアルフレートを見据え、やおら嘆息した。
「……ああ。その方が良いだろうな。だが、条件がある。もしヒノモトに入れるようになったその時には、一人で入らずに俺達に報告しろ。俺達も共に行く。アリマとイサ殿に恨み言の一つくらい言わなければ気が済まないからな。俺やクラウス達などお前達よりもろくな別れ方をしていないんだぞ。それに、ディルクも必ず帰すと約束したサチェグも、一発殴りたい」
「分かった。約束する。……すまない」
アルフレートは立ち上がり、足早に部屋を辞した。
ティアナはそれを見送り彼がそれ程取り乱していないことに安堵すると共に不思議に思った。
マティアスに断って、彼を追いかける。
廊下で、彼を呼び止めた。
「待って、アルフレート」
「……どうした?」
「大丈夫なのかと思って。部屋を飛び出した時、だいぶ、取り乱していたでしょう」
アルフレートの前に回り込んで顔を覗き込むと、彼は取り繕うような笑みを浮かべた。
「……いや、正直言えば今も取り乱している。内心ではサチェグ達を恨めしく思うし、どうにかして行けないかとまだ食い下がっている」
「そう……」
「だが、暁は諦められないなら待てと言ったのだろう? なら、オレ達にはもう待つ以外には無い。……いや、待つと言う選択肢をくれたことが有り難い……少なくとも、そう思えるくらいには落ち着いてはいるようだ」
アルフレートの言う通りだった。
ティアナに有間達の姿を見せて、『諦めないなら待ちなさい』────帰された自分達に選択肢をくれた。それは待てばいつか必ずそうなると、肯定してくれているようなものではないか。希望を示してくれたようなものではないか。とても有り難いことだ。
「そうね……うん。アリマなら、サチェグさんをいつまでもそのままにしておかないわよね。サチェグさんも、アリマの大事な友達だから」
それは、自分に言い聞かせる言葉だった。
そう言うアルフレートも、きっと心の中ではまだ納得もしていないし、抵抗も感じているだろう。それはティアナよりも強いかもしれない。
だけど、それでも待とうとしている。
待つ間に、整理をつけようとしている。
「待ちましょう、皆で。きっと、大丈夫よね」
「……ああ」
アルフレートはぎこちなく頷いた。
ティアナも、無理矢理に笑い返して見せた。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
そう、何度も何度も自分に言い聞かせた。
そうしなければ、また駄々をこねてしまいそうだったのだ。
待たなければ、それは諦めたも同じことだと思い込もうとした。
諦めたくないと反発心が起こるから。
『待てないのなら諦めなさい。諦めないのなら待ちなさい』
暁の声はとても優しかった。
消えて人柱の防壁となる中に声だけをティアナに届けた。
余裕の無い状況でティアナをあの空間に呼び寄せてに助言をくれたのは、これがティアナ達にとって確実で最良の選択肢だったからだ。きっと、そう。
そう信じた。
いや、信じようと思う。
胸の前で両手を握り締めると、頭に重み。
アルフレートの手だ。
彼は苦笑して、ティアナの頭を撫でた。
「大丈夫だ」
「……ええ、ありがとう。じゃあ、私、マティアスにこれまでのことを話してくるわ」
「ああ。頼む」
頭に載ったアルフレートの手を降ろし、ぎゅっと強く握り締める。
「それじゃあ、」
ティアナはアルフレートに笑いかけ、背を向けた。小走りに戻る。
扉に手をかけた瞬間遠くで何かを強く殴りつけたような音が聞こえたのには、聞こえないフリをした。
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