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驚くよりも、安堵を抱いた。
だが、こんな姿をいつまでも見ていたくはない。正直、あまり良い記憶の無い頃の姿なのだ。心の奥底で嫌悪感が少しずつ積もっていく。
有間は小さな自分の姿を取る暁に片目を眇めた。
暁も有間の感情など分かったようだ。
肩をすくめて苦笑めいた微笑を浮かべた。その風貌には似合わない、大人びた笑みだ。自分の姿だからだろうか、不協和音すら聞こえる気がする。
「ごめんね、有間。ウチだってもっと別の姿が良かったさ。けど私の魂の欠片が宿っているのは君だけなんだよ。その上今のヒノモトは本来の姿を保てるような環境でもねえ。宿主のいない夕暮れの力────あなた達の邪眼と言った方が分かりやすいですね。それを身体の内に保存して、この姿で出てくるだけで限界だったんですよ。正直、早くしなければボクも消えちゃう。俺様の頼みで過去に戻ってもらった時の神(きょうだい)も、ついさっき消えてしまったし」
「頼んでたこと、出来たのか」
話に割り込んできたのはサチェグだ。ヘルタータに対する苛々は収まりきっておらず、金髪の隙間から浮き上がった血管が見えた。
それを見て、暁は小さく笑う。
「まさか彼女までもが生きて女神の夢に紛れ込んでいるとは思わなかったけれど、相変わらずのようだね」
「白々しいわね」
ヘルタータが冷たく言う。サチェグとの論争が終わった彼女は、つまらなそうに暁を見ていた。
「いやぁ、本当に知らなかったんですよぅ。人格が生まれないだけで、魔女との混血にもオレの欠片は紛れ込んでる。けども、わたくしはあなたがサチェグに殺された時点で我が欠片は戻り、あなたが死んだものと思うておりました。魔女の血が混じった定めの強さを、見誤っていましたね」
そこで、有間はサチェグの妹に関して抱いていた違和感の正体を知った。
魔女と邪眼の混血は、不慮では死ねないのだ。
寿命を迎える以外に死は許されない。それだけの目に遭っても生き延び、死んでもおかしくない苦痛を抱きながら生きていかなければならない。
ヘルタータは魔女との混血。
この性質は彼女にも当てはまる。
サチェグは女神の夢に無い存在。だがこれには全く関係が無い。
ならばサチェグがどんなことをしたって、ヘルタータは死なないではないか。
サチェグは小さく舌を打った。
「完全に断ち切ったと思ってたんだがな」
「そうね。あの時確かに断ち切れかけてはいたわよ。だから今の私には邪眼が二つ共存在しない」
「出来ればその時のことを詳しく訊きたいが……そんな場合じゃねえよな。暁。お前何でここに来てる? 夕暮れちゃんの最期まで付き合うだけなら別に構わねえけど……」
暁は微笑を浮かべた顔を傾けて見せた。
「いや、何。ここまで貴殿らに手を貸したのだから、最期まで手助けし尽くそうかと思ってな。船に乗りかかった中途半端ままっていうのも、昼と夜の合間の私達にはぴったりかなって思ったんだけど」
夕暮れに、暁が歩み寄った。
さらりと頭を撫でてやると、その身体がぐらりと傾ぐ。倒れ込んだ彼女を軽々と抱き上げ、湖の方へと。
「じゃあ、 僕らが人柱の防壁になれば良いんだろう?」
「そういうことだが……」
「良いんだよ。アタシに遠慮しなくたって。どうせ死にゆくのなら、何とでもすれば良いさ」
サチェグが申し訳なさそうに後頭部を掻く。
ヘルタータはそんな異母兄を見て軽く呆れていた。
「……お人好し」
「五月蠅ぇよ」
野良犬を追い払うように、片手を振る。
サチェグは有間を一瞥してディルクを呼んだ。
死屍を避けながら歩いて来た彼に、すぐに掌を右目に置く。
そして、何事が呟くとディルクの華奢な身体が大きく跳ね上がった。二度、大きく。
サチェグが離すと掌から手首にかけて血管が浮き上がる。袖の下まで伸び首筋、顔、額にまで至った。
痛そうな素振りも見せずに、サチェグはふらりと後ろによろめいたディルクを支え。有間に目配せした。
有間はディルクの背後に回り支えながらその場に座らせた。歪み、青白く血の気の失せた顔が、どれだけの衝撃だったかを物語る。
今ので竜を引き抜かれたのだ。
サチェグを見上げれば彼は心配無いとばかりに歯を剥いて笑って見せた。
「……んじゃあ、やるか。頼むぜ、暁」
「了解」
暁は有間とサチェグに笑いかけ、
湖に身を投げた。
‡‡‡
落ちた。
暁と夕暮れが、湖に落ちた。
ティアナの目の前に広がる光景の中、サチェグが泡を立てる湖面を見据え、両手を伸ばす。
暫くして湖面の中央に不可思議な魔法陣のような模様が浮かび上がった。
反時計回りに巡り始め、湖底からまた新たな魔法陣が浮上する。上下左右に重なり合い、歯車の如、回り出す。
次第にそれは滲み、水に垂らされた墨と同じように広がって消えていく。
一体何をする気なのか────そう思って顔を近付けると、サチェグは有間を振り返って何かを言った。有間は何の反応も無かった。
サチェグはにこやかに片手を挙げて、跳躍。
湖の底に飛び込んだ。
まるでちょっとの間別れるだけみたいに、ラフな様子だった。深刻な行為である筈なのに、そんな風に思えない。
手を添わせると、ふっと後ろ髪が揺れた。
風……?
ティアナは振り返った。
誰もいない。
けども、誰かがそこにいるような気がした。
「誰か……いるの?」
『誰もいやしないさ』
ティアナは身を竦(すく)ませた。
奇異なことだが、怖いとは思わなかった。
「あの……何処にいるの?」
『いないものはいない。声が在るだけで誰かが在るとは限らないよ。いや、そんな下らない話はこの際脇に置いておこうよ』
安定しない口調だ。
……安定しない口調?
ティアナはあっと声を上げた。
この声の主が、分かった。
「あなたは……」
『待てないのなら諦めなさい。諦めないのなら待ちなさい。じゃあ、さようなら』
声は一歩的に言って、以降聞こえなくなってしまった。
ティアナに、待ってと言う暇すらも与えない。
待てと言われたって、どのくらい待てば良いのか分からない。
待って────そう叫ぶように懇願するも、視界は一瞬で黒に染まる。
えっと思うも遅く、また一瞬で黒が晴れた。
「────ティアナ!!」
「!!」
明るい有彩色が戻ってくる。
眼前に迫る男性の顔に、全身から力が抜けた────……。
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