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嗚呼、どうしてこんなことをしたの。
マティアスがアルフレートを追いかけた後、ティアナはサチェグに対する恨み言をずっと心の中に連ねていた。
サチェグの考えていることは、分からない。
けれどこうしたの有間はや鯨の為であり、ティアナ達の為でもある。
結局はヒノモトで手助けしてくれたサチェグは、とても優しい。コルネリアの時もそうだ。彼は、友人思いの男性だった。
だから、彼なりの優しさに包まれた嘘と行動だったのだろうとは、ティアナも分かる。
けれどもだからと言ってこんな風な別れを強要されては納得出来る筈もない。
しかもサチェグは、一緒に帰ると念を押したティアナに嘘をついた。サチェグの異母妹、ヘルタータもだ。
酷い、と思った。
こんな仕打ちはあんまりだ。
有間も鯨もサチェグも、一緒に帰る────そう信じてヒノモトについてきたのに。
いて欲しい親友が、ここにはいない。
冬の部屋は寒い。けれどもっともっと寒く感じる。
まともに言葉も交わしていないじゃない。
ヒノモトがどうなるのかも分かっていない。
山茶花のことも、有間に教えなければならなかった。
本当に、酷い。
何度拭っても涙は尽きなかった。
酷い、どうして、こんなこと望んでいない────色んな言葉が浮かんでは消えずに絡まり、胸も頭も重くしていく。許容量を超えても、浮かんでいく一方だ。
そろそろパンクしてしまいそうだ。
でも、止められない。
仕方がない。
消化しきれない負の感情に果てが無いのだ。それを表すには沢山の言葉が要る。止められないのは当たり前だ。
「どうして……私達が、」
私達だけが、戻されたの。
一瞬で遙かな距離が開いてしまった友に問いかけた。
その直後だ。
不意に、視界が真っ暗に染まった。
‡‡‡
『本気だぜ。俺は』
────サチェグの声がした。
目を開けばそこは氷ばかりの世界だ。
マティアスの執務室にいた筈が、何故こんな所に?
周囲の氷には自分が何十と写り、自分が本物なのか分からなくなりそうだ。
なんて寒々しい、奇妙な世界……。
自身の身体を抱き締め、あれっと思う。
「……寒くない?」
これだけの氷に覆われていながら、一切の寒さを感じないのだ。
むしろ、暖かいとすら感じる。
どうなっているの?
ティアナの疑問に答える者は、この場にはいなかった。
ただ、聞き慣れた声が氷の世界に反響する。
『馬鹿を言うなよ。外国産であるのが良いんならうちがなれば良いじゃないか。うちは混血だ。お前よりも最適な身体なんじゃないのか』
「アリマ!?」
周囲を見渡してみる。
けれど、見たい姿は何処にも……。
否、あった。
氷壁の一部に映り込んでいたのは、ティアナではなかった。
有間達だ。
悠久の滝の側。そこに自分達の姿は無い。
これ……私達がファザーンに戻った後の皆を映しているんだわ。
そう。きっとそう。
ティアナはさして疑わずに飛びついた。
試しに呼びかけてみたが声は届かないようだ。会話はティアナを除いて進んでいく。
『確かに俺よりも最適っちゃあ最適なんだが……お前じゃ駄目なんだわ、これが』
『何でさ』
『人柱になるにはあなたは寿命が短いし、力不足なのよ』
「人柱……?」
人柱って、どういうこと?
誰かが犠牲になって、何かをするっていうこと?
思わず氷の鏡を叩いてしまう。そうやっても、彼らの気は引けないと分かっているのに、そうせずにはいられなかった。
人柱なんて……まるでサチェグさんかアリマのどちらかが人柱にならなきゃいけないような話になっているみたい。
止めて、と言ったところで届きはしない。
ティアナは悔しさから下唇を噛んだ。
『この人はね、私を殺す為に龍神を食べて不老不死を完成させたの。私を殺す為に多くの国で様々な技術を会得したの。この人の身体なら、そこの王子様から竜を貰っても問題は無いわ。でもあなたは普通の生き物よ。人柱になった後、竜に乗っ取られるか、あなた自身の寿命が尽きればそこで終わり。いつ終わるのか分からないのなら寿命の無い丈夫なお兄様の方が適任じゃなくて?』
『……だからって、こいつはそこまでするべき奴じゃないだろ』
『いんや、させてもらうね。……別に、永遠って訳でもねえんだし。……俺はお前らの為に時間を稼いでやるだけだ。ヒノモトが外と同調すれば、妖はファザーンやカトライアにも存在出来るようになる。その為に、俺が人柱になって細かく調整して、その速度を弛めてやるんだよ。こーんなハイスペック器用な俺には適任だろ?』
『サチェグ』
『その間、お前らはヒノモトに増え過ぎた妖を殺して回れ。人間にとって少しでも脅威になる奴は、一匹残らずだ。それも、長い苦労になる。俺よりもお前らがキツい役回りになる。むしろ、こっちが楽だと思うくらいにな』
『そこまでしなくて良い────って……ちょっと』
『ま、今はともかくこの辺の妖を一掃しておかねえと、出来るもんも出来ねえな。それまでに心決めとけ────って言って考え事に集中しすぎて妖にやられるなよ。我が心の友よ』
有間は、渋面を作っている。
当たり前だ。
そんなこと、有間が許す筈がない。
戻ってきて。
ファザーンに。
こっちにいたって、妖をどうにかすることも出来るでしょう?
ティアナは乞う。
ただただひたに、彼らと共に在りたいと心の底からこいねがった。
されど────彼らは妖との戦闘を始めてしまう。
呆けっ放しの夕暮れは、サチェグが庇った。
夕暮れの君も、きっとそのうち消えるのだろう。
全ての神々が消え失せるのには、時間があるようだ。
結局は彼女も、両親に尽くした時間が無駄になってしまった。対になる暁という存在に裏切られるような形で。
両親の為に必死に何かをしてあげたいという感情だけなら、ティアナにも理解出来た。
それを思うと、このまま消えるなんて、とても可哀想だ。
そう思っていると、不意に風が吹いた。
同時に。
サチェグが、ティアナを見上げた。
妖を斬り捨てつつ、口の前で人差し指を立てて見せた。
それは心臓が飛び出るくらい、衝撃的だった。
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