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放り出された先の光景に、これ程無いまでに驚いた。
目の前には羽ペンを持ったまま固まるファザーン王にして最愛の男性。開いた片手が机に立てかけた自身の大剣の柄に乗っているのは、突如開いた穴を警戒してのことだろう。
ティアナはその場に座り込み、暫く呆けた。
どうして、マティアスの部屋に────ファザーンにいるの?
だってサチェグさんは聖域ではなくなって鬼の封印が解かれてしまうかもしれない滝の側から一旦移動するって、言っていた。
ヒノモトの何処かに転移するものだとばかり思っていたのに。
どうしてここに戻っているの!?
緩く瞬きを繰り返していると、我に返ったマティアスが羽ペンを放り投げてティアナに駆け寄った。抱き上げてソファに座らせる。
その間に、アルフレートも穴から飛び出し着地した。ティアナと同じように、光景に茫然とした。
ティアナとアルフレートを交互に見比べ、いよいよ怪訝に眉根を寄せた。
「……何が遭った?」
「……っ、アルフレート!!」
マティアスの言葉など耳に入っていないティアナは叫ぶように呼んだ。
アルフレートはそれよりもやや早くに、ティアナと同じような思考に至っていた。
穴の方へ駆け寄るも、手を伸ばした瞬間に急速に収縮し消え失せてしまう。
「消えた……」
ティアナは青ざめた。
その時にようやっと理解した。
嘘を、つかれた……!
サチェグは最初から二人だけを戻すつもりだったのだ。
有間がそれを知っていたかは分からない。けれど、後から聞いて安堵していることだろう。
穴が消えたとなれば、ディルクも残ったことになる。
アルフレートとティアナだけが、安全な場所に飛ばされてしまったのだ。
そしてそれは、強引に別れを告げられたも同義。
アルフレートが伸ばしたままの腕をゆっくりと下ろした。
かと思えば、弾かれるように部屋を飛び出す。側を通りかかった兵士の驚いた声が響いた。
けれど、無駄だ。
ティアナにはそれが分かった。
サチェグが直接ファザーンへ繋げさせたのは、きっと、《そういうこと》なのだ。
でも、だからってこんなこと。
受け入れられよう筈もない。
「そんなこと……アリマ……!」
ティアナが両手で顔を覆って俯くと、不穏を察知したマティアスがアルフレートを追う。
‡‡‡
アルフレートは激情のままヒノモトに行くつもりだろう。
今、彼は怒っているのか、悲しんでいるのか、絶望しているのか、分からない。
だが、マティアスには想像出来ない程の感情が胸の内でのたうち回っていることは確かだ。
ティアナだって、そう。一人にするべきではないと分かってはいるが、あのまま残れば彼女はアルフレートを追えと願うだろうことも用意に想像出来た。自分がいぬ間に一人、有間達へ詛(のろ)い言を吐き出すことも。
早くアルフレートを連れ戻して、事の次第を問い質(ただ)さなければならない。
何故有間や鯨、サチェグは勿論、ディルクまでも戻っていないのか。
ヒノモトで、一体何が起こったのか。山茶花はどうなったのか。
ざわり。胸がざわめく。
『可能性は低いかもしれませんが、アリマ、ヒノモトと心中するかもしれません』
『アリマやイサのことは、期待しない方が良い。死なずとも、ヒノモトから出られなくなるかもしれない』
脳裏に反響するは、ファザーンを発つ際にサチェグがマティアスに残した言葉。
うなじから腰まで冷たいモノが這い降りた。
まさか、そんな筈はない。
だがディルクもまた必ず帰すとサチェグは言っていた。
それが、戻ってきたのはティアナとアルフレートだけ。
何か遭ったと、忌避すべきことが忌避出来なかった可能性を感じざるを得ない。
否定したくとも否定を許さぬ冷徹な自分が、今は恨めしい。
少しでも良い方向の可能性を見出したかった。それは自分の為でも、無論ティアナ達の為でもある。
ティアナの側に有間がいるのは当たり前。有間がティアナをからかう様は、彼らにとっては日常の一風景だった。
それが、ぱとりと失せる。
仮に最悪の状況だったとして、クラウスにどう言えば良い?
娘のように気にかけていたと聞くティアナの両親に、どう謝罪すれば良い?
やはり行かせるべきではなかった。
後悔先に立たず。今更、悔やむ。
悪い方向ばかり考えてしまうのは情報が少ないからだ。マティアスの目の前に突如現れた穴から飛び出してきた二人は、さしたる情報を示さぬまま、各々行動を始めてしまった。
冷静に、話を聞いていけば、何か策が浮かぶかもしれない。
三人で駄目ならクラウスを呼び寄せて、それでも無理ならエリク達を一時帰らせる。
あの四人がこのまま一生戻らないなどとは、絶対に考えたくはない─────。
「────それは本当なのか!?」
アルフレートの大音声が聞こえたのは、エントランスに差し掛かってのことだった。
雪を被り疲弊しきった兵士を前に、アルフレートは掴みかからんばかりの勢いで詰め寄っていた。
兵士はどうやら伝令のようだ。羊皮紙を大事そうに持ってアルフレートに何かを話している。
それがヒノモトとの国境から程近い駐屯地からの報告だと分かった。
マティアスは急いで二人の間に割って入る。
「どうした。何か異変でもあったか」
「あ……っ、マティアス陛下! 実は、ヒノモトとの国境にて巨大な氷が地面から出現し、ヒノモトへの進入が不可能になり、そのことについてご報告に」
マティアスの姿に背筋をぴんと伸ばした兵士は、疲労の濃く滲んだ顔を引き締め報告する。
その内容に、マティアスも声を荒げかけ慌てて口を噤んだ。疲れ果てている兵士に、これ以上の負担を与えてはならぬと、努めて平静を保ち、続きを促す。
「加えて、この付近数カ所で、この季節では有り得ぬ陽炎が発生し、そこから人間達が飛び出してくる現象も多発しております。ファザーンやカトライアの他、ヒノモト以外の国籍が占めております。ヒノモト人は一人も確認されておりません。現在、他の駐屯地にも伝令を飛ばし、国境の氷壁の調査しておりますが、自分が出立した時点での調査結果では氷壁は非常に分厚く、山や谷にも存在していることから、進入はいずこからも極めて困難であると思われます」
「予兆か何か無かったのか」
「それは……」
兵士は一旦口を閉ざす。
されど、首を左右に振って口を再び開いた。
「我が駐屯地の付近の村の子供達が、一夜で同じ夢を見ているのです」
「夢?」
「俄(にわか)には信じ難いのですが……魔女に似た存在の多いヒノモトでの異変に関わるかもしれませんから、ここでご報告致します。それぞれに話を聞いてみると、どうもとある人物から忠告を受け、それを大人達にも言うように頼まれたのだそうです。その人物に名前を訊ねた子供の話によると、名前を明かせない代わりに自らを夜明けに頼まれた者である……そう教えられたと」
「夜明け……?」
「夜明け────暁」
アルフレートが隻眼を剥き、呟く。
「アルフレート? おい────」
ふらり、と。
アルフレートはよろめいてその場に座り込む。
マティアスと兵士はぎょっとした。
「アルフレート! どうした!」
「アルフレート殿下、如何(いかが)なさいました!?」
「……そう、だったのか。だからサチェグは悠久の滝からオレ達を直接ここに……」
吐息混じりに呟いたそのすぐ後に、アルフレートは冷えた床に拳を叩きつけた。無言で、もう一発。
マティアスはその様を見、一旦兵士を退がらせる。本人は医者を呼ぼうかと申し出てくれたが、医者でも治せないことは明らかだ。そのまま自分の身体を十分休めてから駐屯地に戻るように命じ、アルフレートの側に片膝をついた。
肩に手を置き、
「まずは話を聞かせてくれ」
「……、……ああ」
やや遅れるも、返ってきた返答にほっとした。
けれども、彼らはこの僅か数分後には愕然とする。
扉を開けた先に、ティアナが倒れていたのだから。
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