T
────







 いつの間にか眠っていたらしい。
 気付けばティアナのベッドの中で、ティアナに抱き締められていた。
 気を遣ったのだろう彼女らに申し訳なく思いながら有間はベッドを抜け出した。ティアナが着替えさせたのか、寝間着姿だ。近くには普段着も置いてある。
 朝起きた時のことを考えてのことだろうが、今ここに馬上筒と共に置いてあることはとても有り難かった。

 ティアナを起こさぬように物音立てずに着替えを済ませ、窓から飛び降りて外へ出た。大刀はかさばるし仕方がない。
 着地して立ち上がった有間は、肩越しに背後を振り返った。

 そこには、有間の行動を予期していたらしい鯨とマティアスが立っていた。


「何処に行くつもりだ、アリマ」

「別に。君達には関係無いよ」


 すげなく答えて歩き出した彼女の前に、鯨が一瞬で移動する。


「止めておけ。殺されるか、利用されるだけだ。……確かめたい気持ちは察するが」


 静かながらに同情的な言葉に、紫色の目を細めた。


「知ってたの? あいつのこと」

「ああ」

「……放置したんだ」

「放置した訳ではない。夕暮れの君に阻まれたのだ」


 夕暮れの君?
 聞き慣れない言葉である。
 鯨は有間も知らぬことを知っている。これも、その一部なのだろう。
 何だか彼が全てを承知であるようにも思えて不快だ。有間は馬上筒を握って足を開き腰を低く沈めた。


「撃つか?」

「邪魔するならね。うちはどうあっても行かなきゃいけない。あいつがどうしてこの世に存在しているのか、確かめたい」


 あいつは――――山茶花は目の前で確かに死んだ。無惨に、生存の見込みもないくらいに。
 だから、その真相を知らなければならないのだ。
 それにここにいれば、ティアナ達を巻き込みかねない。なら少しでもティアナ達に降りかかる火の粉を払っておきたかった。

 鯨は目を細めた。


「……ヒノモトへは行くな。山茶花との接触も避けろ」

「断る」

「あいつは理を犯した存在だ。もし山茶花に同調すれば、お前も輪廻に還れんぞ」


 理を犯す。
 それが何を差しているのか、有間は瞬時に理解した。同時に、やっぱり、と何処かで納得する。


「予想はしていたようだな」


 鯨が有間の心中を見透かす。表に出したつもりはないのに、容易く見抜かれてしまった。


「……けど、有り得ない可能性だろ。あれは今まで成し得た例が無い。如何に高名な術士でも、この理を覆すことは出来なかった」

「だが現実にそれを成し得た者がいる。山茶花が何よりの証だろう。過去に例が無くとも、事実は事実だ。これだけ知っただけでも満足しろ。今のヒノモトには決して足を踏み入れるな」


 諭す鯨に、有間は反発を抱く。どうあっても、彼はヒノモトに行かせたくないらしかった。
 今のヒノモトがどのような状態にあるのか、有間には分からなかった。だからこそ、山茶花がヒノモトで宗徒を率いてどうしているのかが知りたかった。
 本当にヒノモトを粛正するつもりなのだろうか。今まで邪眼一族を排他してきた人間達を殺すつもりでいるのだろうか。

 疲弊しきった皆を歌で励ますことに一所懸命だった少女が?

 小さな花を見つけてははしゃいで有間に見せてくれた少女が?

 死ぬその時まで、虫一匹殺せずにいた、か弱い少女が?


『有間ちゃん、私ね、力を手に入れたの!』

『皆を弔う為に私はヒノモトを汚すだけの汚物を殲滅するわ!』


 喜色満面に高らかに告げる山茶花の姿は今でも脳裏に蘇る。
 過去の彼女と、現在の彼女と。
 齟齬(そご)が生じ、そこからは不協和音。調和を著しく乱すそれは胸をきりきりと痛ませた。
 有間は拳を握って鯨を睨め上げた。


「退け」

「悪いがそれは俺も許す訳にはいかない」


 ふと、マティアスが口を挟む。
 振り返れば彼は一通の文を有間に見せつけて歩み寄ってきた。
 その文は、和紙だ。羊皮紙ではない。
 ヒノモトからの文を有間に手渡したマティアスは、厳しい声音で告げた。


「お前とイサ殿を渡せと、ヒノモトからの密書だ。先程カトライア法王に届けられたらしい。クラウスが持ってきた」

「……密書をファザーンを継ぐあんたに見せるって、クラウスさんや法王陛下に危険が及ぶんじゃないの?」

「心配には及ばない。法王陛下にはウグイス殿が付いている。彼女は密書が来る前にそれを俺達に伝えにきたんだ。クラウスも、東雲家の忍び数人が護衛している。アルフレートも、今クラウスにヒノモトの現状について話を聞いているところだ。あいつは腕の良い情報屋を抱えているらしくてな。ヒノモトの情勢に詳しいんだ」


 ……そう言えば、来てたな、あいつ。
 トラウマを想起させる、兄と瓜二つの姿をした女を思い浮かべ、俄(にわか)に殺気立つ。

 それを宥めるように、マティアスが有間の頭を撫でた。
 そしてとんでもないことを言い出すのである。


「お前には、ティアナと共にファザーンに来てもらう」

「は?」

「俺としても、一応の貸しがあるお前をむざむざ危険な目に遭わせることはしたくない。それにティアナも、下手をすればヒノモトに行くと言い出すぞ」


 言葉に詰まったのは一瞬だけだ。すぐに、ティアナの一番身近な人物が目の前の男であることを思い出す。


「それを抑えるのは君の仕事でしょう」

「アルフレートやクラウスもそうだろうな。いや、エリクもか」

「……」

「ついでに言えば、ティアナやあいつらが行くというのであれば俺も行かねばなるまいな。ティアナの身の安全は勿論、ファザーンとヒノモトの外交問題に発展しないように目を配る必要がある」


 つまり、ほぼ全員がついてくるだろう、と。
 マティアスにしては優しい脅しをかけてくる。

 有間は渋面を作った。


「それにしたってファザーンに連れて行く必要は無いじゃないか。結局、ティアナやアルフレート達を巻き込むことになる」

「いや、山茶花はオストヴァイス城には入れない。ヒノモトに隣接している国ではあるが、あそこの気は、山茶花の身体を壊す。理を犯したが故に、成功しても完全ではない彼女の身体にとって濃密な毒が充満している場所だ。だが、俺達には問題は無い。従ってティアナ殿にとってもお前にとっても、ファザーンは安全な場所。むしろカトライアにいた方が危険を招きかねん」


――――という訳で、だ。
 マティアスはにやりと口端をつり上げ、唐突に有間の右手を掴み持ち上げた。そして、抵抗する前に手首に何かをはめた。

 見上げて、青ざめる。


「ちょ、なん……!?」

「これをティアナにも繋げさせてもらう」


 円形に煌めく鋼鉄のそれは。




























 手錠であった。



.

- 14 -


[*前] | [次#]

ページ:14/134

しおり